◇物語に満たされる身体

没頭する、という言葉があります。のめり込む、という表現もあります。他のことを気にかけないほど何かに熱中するさま、ですね。
昨日買ったばかりの小説をずっと読んでいたのですが、まさにそういう状態にありました。
ただし、より正確に自身の感覚を表すとするなら、それらの言葉は適切ではありません。

わたしが物語の中に入り込むのではなく、わたしの中に、物語が入り込むのですから。
我を忘れる、心を奪われる、などのほうが相応しいかもしれない。そんなわたしの中を、物語が余すところなく満たしていく。見える景色も、抱く感覚も、揺れ動く感情も、すべては物語がもたらしていくことになる。
「想像する」とか「思い描く」といった言葉ではもはや収まらない状態です。この身すべてで物語を体験しているようなもの。
だから、強く惹きこまれる作品を鑑賞しているときは、身体的な反応が頻繁に現れます。分かりやすい反応のひとつは、涙を零すことでしょう。それ以外にも、身震いするとか、鳥肌が立つとか、身体がかっと熱くなったり、逆にさっと冷えたり、胃が縮こまったり、頬が緩んだり、さまざまです。

ただ今日は、あまりに反応が強すぎて、思考停止してしまう場面がありました。感情が急激に昂ぶりすぎて、オーバーヒートを起こしたというんでしょうか。とにかく、落ち着くまでは先に進めないほどだった。
キャラクターが見ている景色、抱いている感覚や思考、その描写があまりに見事だったうえ、とてもとても重要な意味を持っている場面だったんです。その箇所に差し掛かって間もなく、打ち震えるような昂ぶりと、総毛立つにも似た快感が全身を抜けていくのを感じました。総毛立つ、は本来おそろしいものなどに用いる語ですが、感覚として近いのはその言葉だった。
それらの感覚はだんだんと強まり、平静に文章を追うのも難しくなるほどで、一字一字をゆっくり拾うようにして読み進めていきました。そしてなんとか区切りまで辿りついたときには、もう頭はまっしろ、脳が痺れるようにじんじん疼いて、先へ行ける状態ではなかった。それに、いま自身を満たしている感覚がすっかり消えるまで、余韻すら完全に味わい尽くしてしまいたくもあった。だからしばらく呆然としたまま、椅子に身体を預けていました。

その小説も、残すところあと百ページほどです。読み終わってしまうのは寂しいけれど、もちろん結末まできちんと見届けたい。そうしたらまた、次巻を心待ちにする日々が始まりますね。続きが出るまで、彼らの軌跡をなぞりつつ、楽しみにしていようと思います。