由比ガ浜

★斉藤すず『由比ガ浜機械修理相談所』(電撃の新文芸)

こちら、第25回電撃小説大賞《読者賞》に選ばれた作品です。

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この《読者賞》、編集部選出の4作品の中から読者投票によって決めるという、第25回記念の企画によるものだったそうです。
また、刊行レーベルである《電撃の新文芸》は今年1月に創刊されたばかりで、“電撃が放つWEBエンタメノベル”と銘打ち、WEB発表作品などを書籍化しているとか。B6単行本という大きめサイズですが、カラーページや挿絵などもあります。受賞作が単行本となるのはこれが初のケース。
こうした経緯を見ると、これまでとは何か違う、新しい風を吹き込む存在だという印象を抱きます。

さて。
この物語の舞台は鎌倉。若宮氷雨が開設した「由比ガ浜機械修理相談所」に、「これを、引き取ってもらいたい」と依頼する男が現れます。彼が指す「これ」とは、人に近づきすぎた機械「TOWA」。男にいやだと懇願するも拒絶され、帰る場所を失った彼女――結と、彼女に相応しいオーナーを探す氷雨の、共同生活が始まりますが……。

まずなんといっても、結が非常に魅力的です。整った美しい顔立ちをしているというだけではありません。所作や表情、言葉遣いなどが丁寧でやさしく、穏やかでやわらかく、彼女がヒューマノイドであるという設定を忘れてしまうほどに細やかなんです。
そんな彼女と氷雨が心を通わせていく、惹かれあっていく過程もそう。機械と人間という違いを越えて……という感じではなく、ただ結と氷雨というふたりがいて、共に暮らす中で少しずつ距離を縮めていくような印象でした。
お向かいさんの姪っ子・萌ちゃんも加わり、ハプニングがありながらも賑やかな日々のなかで、いっそう近づいていく彼ら。
このままなら、いつかふたりは結ばれて幸せな生活を送れるだろう、と思ってしまう。けれど、そう簡単にはいかない。

もちろん、金銭の問題もあります。結のオーナーは買取を希望していますから、最低でも相場である十五億、下手すると二十億が必要になる。
でも何より氷雨の前に立ちはだかるのは、彼自身の過去であり悔恨なのです。

氷雨はかつて、TOWAを生み出した「ブラックアイリス」という会社に勤めていました。『TOWAを治せる人になりたい』という希望を持ち、有名企業の内定を蹴ってまで、入社を果たした。
そこで初めて調律を担当したTOWAとの日々、次第に胸に広がる疑念、TOWA生みの親である佐藤社長との会話、そして……。
結との仲が深まるほどに、氷雨の中で過去が、悔恨が、色濃くなってゆく。結と一緒にいたいという望み。結に幸せになってほしいという願い。でも、自分は幸せになる資格がない。幸せにする自信も、ない。
迷って、悩んで、苦しんで、怖気づきながら、言い訳をしながら、氷雨がどんな結論にたどり着くのか。何を選び取るのか。それもまた、この作品の見所だろうと思います。

わたしはこの作品、第一章の時点で涙ぐんでしまい、読み終わるまでに5,6回は堪えきれずに泣いてしまいました。
氷雨視点で進む物語ですから、彼の思考や感情はとても分かります。カッと熱くなったり、サッと血の気が引いたり、唾を飲み込む動作ひとつとっても、いかに苦しいかが感じられる。
でもそれ以上に、結から……氷雨の目に映る結の表情や仕草から、仔細に彼女の感情が伝わってきて。心に、流れ込んできて。どうしようもなかったんです。
たとえ結が隠そうとしても、氷雨はわずかな変化を見逃さなかったりする。笑顔の前に一瞬、泣きそうになったのに、気付いてしまったりする。
だから、願わずにはいられなかったんです。結に、幸せになってほしい。氷雨とふたりで、幸せになってほしい。

感想を書くのが遅くなってしまいましたが、夏にこの物語を読めて良かったと思います。素敵な物語、ありがとうございました。