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どの時代の親も変わらないこと

今朝、日経新聞の朝刊でこんな記事を見つけた。

ざっくり内容を説明すると、子どもの命名ってその時代の思想とか、変化とか、そういうのを表しているよね』というもの。

この記事によると、戦後から令和へ、社会が豊かになると同時に「横並び」の名付けから「個性」を重視した名付けへと変化していったそうな。

読めば読むほど、名付けって本当に親の身勝手というか、親の意思がモロに反映されるものなんだなぁと、そんなふうに感じた。

我が家には2人娘がいて、2回名付けを経験している。

名付けの方法は2人とも同じで、まずは夫婦それぞれ気になる名前をピックアップする。
見せ合いっこして「これはやだ」というものを消していくと、候補名が2つか3つに絞られる。

最終的には生まれた本人の顔を見て、「この子の名前はこれだなぁ」としっくりくる名前を選ぶ。それが我が家流の名付けだ。

いざ我が子の名前をつけるとき、楽しさよりも責任感の方が強かった気がする。

名前はその子が一生背負っていくものだ。
年齢を重ねたとき、人に名乗るのが恥ずかしい名前はNG。流行りの名前より、いつの時代にもマッチする名前にしよう。それが第一の条件だった。

そしてもっとも大事にしたのが、呼びやすさと覚えやすさ。
名前はその子自身のものでもあるが、それ以前に社会の中で「私ってこんな人ですよ」と示すものだと思う。

個性を出すのも大事だが、とんがりすぎて周りが戸惑ってしまうと本末転倒だ。

他の人にすぐ覚えてもらえる、読みやすく、呼びやすく、覚えやすい名前がいい。

そうあれこれ考えてつけた、娘たちの名前。
手探りでつけた名前だが、年を重ねるごとに「やっぱり、この子はこの名前でよかったなぁ」という気持ちになる。

もうすぐ年が変わる。
コロナも暮らしに馴染んだ今、時代はまた新たな局面を迎えるのだろう。
どうか、この子がしあわせに生きていけますように。そう願いを込めて名前をつけるのは、どの時代の親も変わらない。

次の1年も、子どもたちがいきいきと、しあわせに過ごせますように。

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