シャボン玉の孤独と共依存。
孤独だな……
そう感じることがある。
常にではないが、消えることがない、この感覚。
それはずっと小さなことから。
休み時間の級友の笑顔の中で、
修学旅行の新幹線の中で、
大人になった今も、それは例えば子どもの参観日で。
孤独を感じた時の状況を、以前受けた心理カウンセリングで、わたしはこんな風に表現した。
自分だけ割れないシャボン玉の中にいる感覚だ、と。
周りと自分の間には、薄くて透明な膜がある。
外の様子もよく見える。
けれど決して膜が割れることはない。
わたしは、そのシャボン玉の中で、周りをじっと見ている。
シャボン玉の中でずっと暮らしていると、実はある嗅覚が優れてくる。
それは、同じシャボン玉族の仲間を見つける能力だ。
あ、この人もわたしと同じ。
孤独なシャボン玉生活をしているな。
その直感はほぼ100パーセントの確率で当たる。
じっくりと話をすると、相手も何かしらの葛藤や苦しみ、そして孤独を抱えていることが多い。
わたしは途端に嬉しくなる。
「あなたもシャボン玉族だったの!?
わたしもわたしも!
ホント、シャボン玉の外の人って嫌だよね。
みんな無神経だし、怖いし。
あ、そうだ!
今度、わたしのシャボン玉の中に遊びに来ない!?
あなたのシャボン玉の中にも遊びに行かせてね!
ずっと、わたしたち一緒にいようね!」
学生の頃、そんなシャボン玉友だちがいた。
A子だ。
彼女とは出逢ってから、10年以上の時間を共に過ごした。
同じシャボン玉族としての結束は固く、
「絶対にシャボン玉の中から出ないでね!」
「ずっとそばにいてくれるよね!」
そんな暗黙のルールが2人の間にはあったし、そんな内容を口にすることもあった。
わたしも彼女を縛っていたし、彼女もわたしを離さなかった。
けれど、3年前だっただろうか。
彼女との関係に終止符が打たれた。
結婚出産をしたわたしと、県外で働いていた彼女。
自然と会ったり話したりする機会が少なくなり、疎遠になっていたころ、
わたしは、彼女の誕生日にメールを送った。
「誕生日おめでとう」
ずっと会ってはいなかったものの、彼女の誕生日を一言祝福することだけは続けていたのだが、その年の彼女の返信にわたしはショックを受けた。
『ありがとう。
ちいちゃんのブログをよく読んでいます。
心理学の勉強をしているんだね。すごいね。
あの頃のわたしたちは、お互いの寂しさをお互いで埋めていたね。』
このメールを見た瞬間に思った。
ああ、彼女はもうシャボン玉から出てしまったんだな、と。
同じシャボン玉族同士は、決して言わない。
「これは、本当の信頼関係ではない」とか
「これは共依存ではないか」とか
そんなことは言わない。
一歩外に出て、自分たちの関係性を客観視出来てこそ、
『お互いの寂しさを埋め合っていた関係』だということが分かるのだ。
彼女は、シャボン玉から出ていた。
もう、外の人間になっていた。
わたしは、心理学やカウンセリングを学び、『共依存』という意味は知ったけれど、やっぱりシャボン玉の中から出ることを恐れていた。
ずっと一緒だと思っていたのに。
どうして出てしまったの。
何があったの。
そんな悲しさと悔しさでいっぱいだった。
わたしは適当な言葉を並べ彼女に返信をしたまま、メールも電話も一切しなくなった。
そして3年経った。
わたしはその間も、しつこく心理を学んだ。
そして今、感じていることがある。
わたしがなぜ、いくら心理を学んでもシャボン玉の中から出られなかったのか。
それは、シャボン玉から出る方法を学びに講座へ行っていたのではなくて、
同じシャボン玉族を探しに行っていたから、だと思う。
心理学講座、という、悩みや苦しみを抱えた人たちが集いそうな場所。
そこに行けば、シャボン玉族がいる。仲間がいる。
傷をなめ合って、自称被害者だという優越感に浸り、周りをバカにし合える、そんな仲間。
そんな人をわたしは探していたのだと思う、無意識に。
現在のわたしはどうだろう。
A子のようにシャボン玉の中から脱出することが出来ているだろうか。
正直言って、あまり自信はない。
まだ、似たような経験をしている友人と傷をなめ合うこともあるし、シャボン玉の外の人に嫉妬してしまうこともある。
けれど、傷をなめ合うことはしても、縛り付けることは違うと気付いたし、
嫉妬をしても、牙を向けることはしなくなった。
わたしもシャボン玉から出たい。
そう決めたのだ。
わたしにとって、シャボン玉仲間は、共に自由を目指す仲間であり、
シャボン玉の外の人は、その方法を伝えてくれる人で、わたしの見たかった世界を教えてくれる人だ。
わたしも、なりたい。わたしも、そこへ行きたい。
被害者から、責任者へ。
孤独から、温かさへ。
優劣から、尊重へ。
わたしも、いつか、シャボン玉の外へ。
サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。