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言葉の選び方、間違えてない?

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

茨木のり子「汲む -Y・Yに-」

先日、ライター佐藤友美(さとうゆみ)さんこと、さとゆみさんのライティング道場に参加した。2日間で18時間。ぶっ通しの集中講座だ。受講後、さとゆみさんから受け取ったものを反芻しているうちに、冒頭の茨木のり子さんの詩を思い出した。

講座中、文章を数回添削してもらった。最初の課題は他己紹介。隣に座った初めましての人を10分インタビューして、紹介文を書いた。講座時間中に書くので、書ける時間は限られている。文字数制限もある。どうしても文字数がおさまらない。時間が迫る中、焦った私は、最後を「○○さんは、芯の強い女性です」と締めくくった。私の他己紹介を読んで、さとゆみさんはこう指摘した。「たった10分話しただけで、「芯が強い」と表現していいの?本当に?」

この一例だけなら「時間がなくて」とか言い訳できそうだが、事前課題でも私は似たような指摘を受けた。言葉にはそれぞれ重さがある。日本語の使い方としては間違っていない。でも、初めて会って10分話した人を紹介するには、「芯が強い」という言葉は強すぎるのだ。

今、40代の私。社会人になってから、たくさんの文章を書いてきた。ライターではないけれど、会社員の頃は営業企画。フリーランスになってからは講座の企画。どうしたらこの企画を届けられるか。どうしたら読んでもらえるか。そういうことを考えながら書いてきた。嘘を書いたつもりはないけれど、どこかにカッコよく見せようという気持ちはなかったか。インパクトが足りないから、少し大げさに、そういう気持ちを持ったことはなかったか。

整体に行くと、自分でも気づいていなかった身体の歪みを指摘されることがあるけれど、まさにそんな気持ちだった。歪んでいたのは、文章を書く時の姿勢。どこかで初々しさを失っていたのだろう。堕ちてゆく前に、気づくことができてよかった。

それに、強い言葉が使われているから印象に残るのではない。強い言葉を安易に使わなくても、伝わる文章の書き方を講座では教えてもらった。そのためにはまず、自分の気持ちを深く深く観察することが必要だ。それにはとても時間が掛かる。

でももう逃げたくない。

「文章には生き様が出る」と、さとゆみさんは言う。格好悪い生き様が出てしまうような文章はもう書きたくない。講座では著書「書く仕事がしたい」の内容を実践を交えて教えてもらった。たくさんのことを学んだけれど、一番学んだのは書くことに対する姿勢だと思う。講座の2日間は、私にとっては宝物のような時間だった。今の気持ちを忘れずに、書くことに向き合っていきたい。


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