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何者

ちまちま、コツコツ、地道に、という事が何より苦手のどうしようもない人間はこの私である。

誰しもが秘めているであろう”自分は何か他の人とは違うずば抜けた才能があるのかもしれない”という想いを私は幼少期から抱き続けてもうすぐ22歳を迎えようとしている。

5歳頃から補助輪なしで自転車を漕げるようになった私に、母は「天才だ」と褒めちぎった。

なんとなく人よりも早く自転車を漕げるような気がしていた。
その時の私、「ふっ、みんな漕ぐのおそ〜」と心の中で罵っていた。
そんな気持ちで得意げに姉に、自転車競争をしようと持ちかけた。
勝った。
姉は私に言った。「まだその歳なのにはやいね。ちーちゃん、すごいよ」
もしかしたら自転車競争のプロになれるのではないかと思った。

小学5年生の頃、家族でよくカラオケに行っていた。
歌う事は幼い頃から好きだった。
得意だ、とも思っていた。
みんなは私に「歌手になったほうがいい」と絶賛しながらそう言った。
私もそう思っていた。

同じくらいの時に姉と一緒にダンスを始めた。
姉よりかはダンスは苦手だったけれど、続けるうちに少しは上達した。
発表会の時、コーチが褒めてくれた。
「随分上達したね、今の歳からそれだと、将来が楽しみだね」と。
私は得意げになった。
たしかに、周りの子達はまだDSに夢中だったり、習っていてもプールぐらいだった。
もしかしたら私は、歌って踊れる歌手になれるような、ものすごい逸材なのではないか。そう思った。

ミュージカルを始めた。
最初はすごく嫌だった。
でも一度幕を降ろすと、また幕を上げたくなった。
2年目では役をもらえた。それも、主役の妹役。
涙なんて流さなくてもいいシーンで自分の演技に熱が入りすぎて、自然と泣いてしまった。
それを監督に大絶賛された。
私はこの日本の、顔の知れた”何者”かになるんだと、その時思った。
急に自信がついて、子役なら誰しもが憧れる”アニー”のオーディションを受けた。
第ニ次まで行った。
というのも、第一次は書類選考なので初戦敗退のようなものだ。
二次は歌唱審査だった。普段の自信を大いに振りかざし周りの女の子達にドヤって見せた。
するとこれがなんとも恥ずかしく情けなくもある瞬間だったと思い知らされる。
周りの子達の歌唱レベルには度肝を抜かれた。
悔しいというか悲しいというか、そういうものを通り越して目をキラキラさせて彼女達の歌声を聞いている自分がそこにはいた。
みんな上手な上に、1人1人自分こそアニー役だ!と言わんばかりの自信が漲っているのが見てとれた。
“逸材”と思っているみんながそこにはいた。
みんなが逸材だったら、”逸材”とは言わないけれど、思うのは自由なのだ。

私だけじゃなかった。
上には上がいる。
厳しい社会の現実を小学生ながらに感じとった。


私は何になりたいのだろう。何者になれるのだろう。
今も思う。常に思っている。
きっとみんなそう思いながらもがいている。


1年ほど前に、佐藤健、有村架純など、豪華俳優陣計6人が出演している「何者」という映画を見た。
就職活動を通して自分たちが「何者」であるのかを模索する若者達の映画だ。

身を削って就活をして、死ぬ物狂いで「何者」かになろうとする若者達、何かの一員になりたくて頑張るけど、頑張ってる途中でなんで頑張っているのか、自分が何になりたいのかを見失ってしまう。
結局合格してみても、そこで働いてみても「何者 」かにはなれなくて、むしろ自分がどんどんすり減って、本来の自分すら過去になって、自分でも自分が分からなくなってしまう。
そうして新しい「社会」の中の自分が生まれていく。

見た当時私は、就職していた。
「何者」かにならねばいけないと思っていたからだ。
結局、幼い頃に抱いていた歌いも踊りもできる自転車漕ぎの逸材の自分は「何者」にもなれていなかった。
今もそう。だが当時は「自分」すら消えかけていたような気がする。
そのようなものが「大人」なら、私は大人になりたくない、とも思った。

何者でもないから、何者にでもなれるけれど
その何者でもない中にも「自分」はちゃんとある。あっていいんだ。と思った。
それすら失ってしまったら、つまらない人間になってしまう気がしてならない。
私は人生の中に「つまらない」を極力減らしたいたちなんです。

自分が、「自分の生きたい世界」で何者かになれた時、私はやっと本物の「何者」かになるんだと思う。思ってる。そう思わせてくれ。
それがどんなに時間がかかったって構わない。(いや本当は今すぐにでも一攫千金を狙っている。)
本質は自分にしか分からない。本質を見失って自分を殺してしまう人間にはなりたくないのだ。

極論、何が言いたいかと言いますと
そろそろちゃんと動き出したいんです。
当たって砕けたい。そんな気持ちです。
22歳、年上の方からしたら”まだ”22歳でしょうが、私にとっては”もう”なんです。
母の、姉の、コーチからの無駄褒めを無駄にしたくないという気持ちです。
ただ、大人になってからコツコツ、ちまちま、地道に物事を進めるというものの尊さ、格好良さも同時に感じているから今の私の課題はセカセカもしながらも、夢に向かってコツコツ歩んでいきたい、そんな気持ちなんですよ。

あともう1つ言えるのは、試してみて良かった。という事ですね。
当たり前のことを言うようですが、「私の居場所はここじゃない」と気づくのもやってみなければ分からなかった事です。
飛び込んで、気付かされて、また飛び込んで。の繰り返しですね。
飛び込んで、気付かされているのに勇気が無くて違う場所に飛び込まないでおくのだけは無しにしたい。無しにしましょうよ。
一緒にどんどん飛び込んでいきましょうよ。
逸材の皆さん、自意識過剰、自信過剰に、一攫千金を狙おうじゃありませんか。
そして又、無駄褒めしあっていこうじゃありませんか。

あなたにしかなれない、「何者」
私にしかなれない、「何者」かを目指して

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