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持つべきものは、春日


持つべきものは春日。
題名のとおり。
春日というのはそうです。皆さんが想像した通りのあの、春日です。

一切お笑いに無頓着だった私だが、オードリーのラジオをぜひ聞いてみてほしいという友人のあまりの一押しに負けradikoをダウンロード。
それからというもの、お笑い、というよりオードーリーにハマり込む。
私のリトルトゥースはここからが始まりだ。

とは言いつつリトルトゥース歴もまだ浅い。
漫才を死ぬほど見たのかと言われるとそうでもないのかもしれない。

だが、このコンビが好きで好きで仕方がない。
土曜の夜にラジオから聞こえる2人のたわいもないトークが今の私には欠かさないものになっている。


「だが、情熱はある」を見て、より一層”春日”と”若林”という2人の人物が明確になり、より確実に2人がいかにしてコンビになったのかそしてどのようにして”オードリー”が完成されていったのかが分かった。このドラマを見てからオードリー愛が更に強くなったリトルトゥースは私だけでは無いはずだ。


「春日」
なんとなく幼い頃から目にしていたあの七三分けのピンクベストのゴツイ人。

正直、オードリーといえど「トゥース!」や「アッパー!」くらいの印象しかあまり無かった私にとってこの人よく見るなあ、ずっといるなあ、程度でしか思っていなかった。

「若林」
春日がいるから生き残ってこれたのであろうナヨナヨした中年の(少し可愛めの)おじさん。

なんて事を、偏見ながらに思っていた、まだ何もオードリーという存在を知らなかったあの時までは。


ネタを書いているのが若ちゃんだと知った時は驚いた。
そして春日の「春日な所」の面を目にして、この人本当にモテない人やなあと思ったと同時に天才だとも思った。


オードリー愛を語るのはこの辺にしておいて、題名の「持つべきものは、春日」というのはどういう事なのかを話していこうと思う。


自分がオードリーの2人のどちら側なのか、ともし聞かれたら私は間違いなく若ちゃん側だ。
変にマメな所と変に大雑把な所、普段からつまらない事から割と真剣な事まで考え込んでしまっていて、ベースは一応ずっとネガティブ。その中でいかにポジティブに自分を見せようかと模索している。自信が持てない芸術家(?)タイプだ。

となれば、かすみんは誰か。
私には幼なじみの地元の親友が1人いる。
彼女(以後ルキ)はどこをどうとっても、私にとっての春日だ。

ルキは逆に、普段からノホノホしていて、何も考えていなさそうで実は考えている、ように見せかけて本当に何も考えていなくて、好きな事を一生懸命説明してくれて(けど私があまり興味が無い話ばかりだ)、いつもとりあえず何にも賛同してくれて(多分否定するのがめんどくさい、)私が、「えっそれほんとにいいの?!」て事を「ん?えいいのいいの〜」というようになんとなく物事に冷めていて、かと言って冷めた人間というわけではなく、でも時折毒舌で、意外にも度胸だけはある。

私とルキは10年来の友達で今でも気持ち悪いほどに仲が良いし、うまくやっていっていると思う。
それもこれもきっと、真逆な2人というよりお互いの要素がいい塩梅で中和されているからなのだと思う。


まだオードリーが売れていなかった時期、若林がもうやめよう、解散してしまおうと自暴自棄になっている時も「やめても他にやることないですしなー」と、なんともふざけた口ぶりで言った春日。
「お前もネタ書けよ!」と言っても、「いや、春日は春日ですからなー」という感じ。

でも確かに、春日は春日だった。
若林がネタを書き、ただの春日俊彰をピンクベストのあの”春日”にする。

この”オードリー”を創り上げたのは自信が持てない若林とお馬鹿(を装っている)春日によって完璧に作り上げられたのだと思う。

私が仕事や将来に悩んだ時もルキは、「やりたくないことわざわざやらなきゃいんじゃな〜い?、ルキはそういう野望とかないから逆に羨ましいよ」と言っていた。
「やりたいと思う事とかないの?そゆのなんでもやってみたら」と私が言っても「今のままで別にじゅうぶんなんだよな〜」と言う。
ルキは幸せ者だ。私が深く深く物事についての迷宮を理論的に弄る中、彼女は物理的に物事をまず見て、それを教えてくれる。
幸せって、もっと単純で簡単でいいんじゃないの?と。

もしかしたら彼女は、何も考えていなさそうで実は考えている、ように見せかけて本当に何も考えていない、と見せかけて実は考えているのではないか。
だとしたら、紛れもなく彼女は天才だといえる。

だが、私達2人はお互いに2人で1つ、などと思っている訳では無い。
あくまでルキはルキで、私は私。

それと同じく若林は若林、春日は春日だ。
司会やMCでよく見る若林、バラエティ番組に引っ張りだこの春日。
2人一緒にこなしている仕事もあれば、それぞれが輝いてる場面をよく目にする。

このコンビ、中々のコンビだ。


ルキだけじゃない、他の人にも言える。
家族や恋人、相方のような友達。

2人で1つ、家族で1つ、なんて一括りしなきゃいけない事なんてないのだ。
そして、完全に合う人とうまくやっていこうなんて気張る必要も全くないのだと思う。

1人1人が輝ける場面で輝いて、プラスアルファでいてくれたら助かる、物凄く助かる、んもう超〜助かる、ぐらいでいいのではないだろうか。

「合う人と会う。それだけでいいのでは無いか、」という若林のエッセイの中の1番好きな名言がある。
それはそうだ。本当にその通りだと思う。
ただ、人と付き合っていく中で合うと思っていた人でも合わない所はどうしても出てくる。
それでも、自分と合わない所を無理にはめ込む必要もないのだと感じている。
現に、春日が若林と同じく物事をいちいち深刻に捉えてしまうような度胸も楽観主義でもない人間だったとしたらきっとオードリーというコンビは名を知られずに終わってしまっていたかもしれない。

お互いの要素要素、良い所と悪い所を取り合って調理して最高に美味しい料理を作る。
そのぐらいがちょうどうまく客や自分達にもウケてくるのかもしれない。


たまに、山ちゃんと若ちゃんのタッグ、「足りない2人」のような考えている所がほとんど同じような組み合わせでも物凄くウケる事もあるのは余談だが。


なんでもかんでも考え込んで、実はベースがネガティブな私のような人間にとっては、
持つべきものは、春日。のような、自分に無い所をフっと何気なく差し出してくれる人なのだ。

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