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自転して、公転して、金平糖を作ろうよ。

走るのは、あんまり好きではない。

小さい頃は足が速かった。クラスの誰よりもかけっこが得意で、運動会のリレーでは、決まってアンカーに抜擢されていた。

地面を蹴り上げると、たけのこが真っ直ぐに生えたような、何か軽くて、確かな感覚が、かかとを起点に全身へ突き抜ける。

地面を蹴る音はピストルみたいに、ぱんっと乾いて、耳の横を通り過ぎる。

前へ蹴り出す脚は、蹄を持った馬のよう。ぱから、ぱからと駆け抜けていく。私はお馬。走るよ走る、どこまでも。

体じゅうが、風みたいになるところも気に入っていた。息ができなくなるほど、全身が風に包まれる。風と私の境目がなくなり、やがて大地の端から端まで、この世の全てを走り尽くしてしまう。

幼い私にとって、走るという行為は、自由そのものだった。


大人になってから、走るのをやめた。だいいち、大人は走らない生き物だ。

大人が走っていると、それは良くないことが起きたというしるし。担架に乗せられたり、冬眠から覚めた熊に遭遇したり、大切に抱えていた赤ちゃんを連れ去られたり。

とにかく、大人は走ってはいけない生き物なのだ。日々を穏やかに過ごす上で、なりふり構わず走ることなど、あってはいけない。


ところが、街を見渡せば、そこらじゅうで大人が走っている。

右から左に走る大人もいれば、左から右に走る大人もいる。前から後ろに走り去った大人、後ろから前に走り抜けた大人。あちらこちらで、スーツ姿やヒール姿のいい歳をした大人が走っている。

会いたい人がいるのかもしれないし、渡りたい信号があるのかもしれない。乗りたい電車があったり、観たいドラマがあったり、抱きしめたい猫が玄関で待っているのかもしれない。

いろんな事情を抱え、今日も大人は右から左、前から後ろへと走り抜ける。

私には渡りたい信号がなければ、乗りたい電車があるわけでもない。抱きしめたい猫は、玄関ではなくベッドの上で寝転んでいるし、会いたい人は、どんなに走っても、決して会えはしない。


私には走る理由がない。
それに、走るのが好きではない。

風になって、たけのこになって、お馬になって、大地になって、どこまでも走り抜けるのは自由の象徴だと思う。

風を、たけのこを、ピストルを、蹄を、空を、太陽を、時間を、夢を、希望を、とにかく、そこらじゅうに転がっている、きらきらと光っているものを夢中で追いかけていた。


大人が走ると途端に、それは追いかけるのではなく、追いかけられているものになり、自由の象徴だったものは、多忙の現れになってしまう。

時間に追われ、日々に追われ、タスクに追われ、とにかく「逃げたい」と願ってしまうものから、必死に逃げることになる。


私は、追われた人間が走ると、うっかり金平糖を落っことしてしまうのではないかと、不安になる。

小さくて、まあるくて、少しざらついている金平糖を。


駅に吸い込まれていく大人たち(もちろん、走っている)のコートやスーツのポケットから、小さくて、つぶつぶとした金平糖が、ぽろぽろこぼれ落ちる。

こぼれ落ちた金平糖はアスファルトの上で小さく跳ね、そのまま溝に挟まり、街灯を浴びてきらりと光る。

散らばった金平糖のことなど誰も気づかず、スニーカーやローファーの底で踏み潰してしまう。じゃりじゃりと。道路には、星屑が散らばる。


地球は自転している。
さらに公転もしている。

気が遠くなるような時間をかけて、朝から夜へ、春から冬へと、私たちの日々は営まれ続ける。

だけど1日1日は、一瞬で過ぎ去っていく。何もしないまま時間だけを溶かす日もあれば、目まぐるしいほどに濃密な時間を過ごす日もあって、その全てが愛おしく、うつくしいに違いない。

そんなふうにして、私たちは時間を転がし、日々を作り上げていく。自転して、公転して、なんでもない日や、すばらしい日を寄せ集める。


私たちの毎日は、ちょうど金平糖のように、ゆっくりと時間をかけて結晶化される。

まあるくて、つるぺかだった時間も、ぶつかったり落ち込んだりして、突起状のカドになる。カドもひとつじゃあ格好悪いけれど、それがいくつも集まれば、なんだか愛らしく、大切なもののように思えてくる。

楽しかったことも、悲しかったことも、長い月日の中で転がしたり、転がされたりすればきっと、うつくしい金平糖となるのだろう。

爆弾みたいに甘くて、だけど控えめで。間違って噛んでしまわないよう、舌先を使って慎重に溶かしていく。じゅんわりと、口いっぱいに時間が流れていく。

宇宙のような時間が、どこまでも広がっていく。


自転して、公転して、長い時間をかけて、ゆっくりと作り上げられた金平糖の日々を、できることなら大切に持っていたい。

ぽっけの底にそっと仕舞っておいて、時々手のひらに乗せては太陽に透かして眺めたり、すこしだけ舐めては「あまいや」って呟いたり、そうやって慈しめたら、どんなに素敵なことだろう。

ゆっくり作り上げた金平糖を、ゆっくり口の中で溶かしていきたい。

たくさんできたら、好きな人と交換したい。好きな人の金平糖は、やっぱり好きな人の味がするんだねって、嬉しくなりたい。

ネックレスにしてもいいし、指輪にしてもいい。好きな人が自転して、あるいは公転して閉じ込めた月日を、その爆弾みたいな幸せを、薬指の上に乗せていたい。


だから私は、金平糖を落っことすわけにはいかない。

走るなんて、ぜったいに、ありえない。

うっかり走って、うっかり金平糖を落っことしてしまうなんて、そんな悲しいこと、この世界に一瞬でも起こってほしくない。


大人は走ってはいけない。
大人には、自転して、公転して、金平糖を作る義務がある。権利がある。幸福がある。

好きな人の月日を閉じ込めたネックレスを、ブラウスの下に隠すよろこびがある。


夜の駅前は騒がしいけれど、どこか寂しい。電車を吐き出す大きな駅は、孤独の受け皿みたいに、じっと立って動かない。

会いたい気持ちと、会えない気持ちを乗せた電車が交差する。急行電車、好きな人のいる街にどうか、連れて行って。

きみと一緒に過ごした時間で、金平糖を作ってみようと思ったんだけどね。まだ、まあるくて、つるぺかのままなんだ。どうかいっしょに、自転してくれないか。あるいは、公転を。

あっちでも金平糖がこぼれ落ち、こっちでも金平糖がこぼれ落ちる。

パステルカラーの絨毯が広がり、星のない空の下、落っこちて砕けた星屑がきらきらと光り出す。

終電まであと2分。
街は金平糖で溢れている。

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