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モブと「顕現」(古本屋解析)

今回は物語初期からハチワレ行きつけの「古本屋さん」として登場しながら、今やメインキャラクターのひとりとなった「古本屋」を解析し、次回「ちいかわ」におけるモブがいかに特殊な表現かをお伝えしたい。

さまざまなマンガ作品において、積極的にストーリーに絡んでくることのない人物は、名無しの群衆のひとりとして、特徴のないキャラクター「モブ」として描かれてきた。
モブのうち、例えば主人公のクラスメイトとしてありきたりなセリフを貰えたり、ヤラレなど引き立て役として消費されるものは選ばれし一握りであり、大半のモブは1回限りの印象を残さない出演で、時には表情さえ見せない黒塗りのモコモコ(頭山脈)として背景に溶け込むような扱いを受けてきた。

モブからのスタートでも、繰り返し登場することでその人格や特徴を明らかにし、ストーリーの中での(あるいは漫画家にとっての)存在感が増して、特別な役割を与えられメインキャラクターに「昇格」することがある。それ自体は「ちいかわ」に限ったことではない。
しかし古本屋のように「次のコマで彩色された顔をハッキリと見せる」という衝撃の手法でメインキャラクターへと転じたキャラクターは他に類を見ない。初見時には「誰?」「エ?」と瞬時に理解が停滞し、すわキメラ化かと恐怖すら感じたものだ。大げさではなく前代未聞のインパクトがあった。

順を追って見ていこう。
「古本屋」はハチワレ行きつけの古本屋の店主という立ち位置の特別なモブとして読者に認知された。ちいかわ族単独での古書店経営にはなんらかの資格が必要かとは思われるが、古本仕入れの様子までが詳細に描かれ、この時点でむちゃフェス編の「ツノの子」、パジャマ回時点での「あの子」、そして「あの子(キメラver.)」討伐をひとり生き延びた「てぃは!」などと同様に、古本屋は(実に4年越しと言える)最古参の「選抜モブ」としての地位を確かなものとした。
その後、モモンガと巡り合うことで(本の読み聞かせ回、お家にお招き回、あんまいクリーム回や銭湯回などを経て)徐々にその友人格として存在感を増していき、そのおおらかで丁寧で思いやりのある性格が明らかになり、読者の人気を得るに至った。
そしてついに、彼の内面をより繊細により効果的に描写するために、「表情」が必要となった、そう考えてもよいだろう。
ここでは、この黒塗りモブが突如彩色を得て顔を持つことを「顕現」と名付け、このナガノならではのマンガ表現から、「古本屋」さんの特殊性、それが物語や僕らにとって意味するものを考察していく。

ちいかわ世界でモブからメインキャラクターへと昇格したのは何も古本屋だけではない。それを最初に果たしたのは、今やちいかわ世界最強の一角を担うキメラとなった「あの子」である。
突如姿を消したちいかわの友人が、大型討伐回における討伐対象キメラとして登場し、圧倒的なパワーを得たこと、モブの記憶が引き継がれていること、キメラ化をむしろ喜んでいることまでもを、主人公ちいかわには何も知らせないままに読者に示し、「ちいかわ」という作品の闇の深さを見せつけたのだ。
混同を避けるために説明するが、「あの子」の場合は選抜モブのキメラ化であって「顕現」ではない。これまで不確かだったもの、見えていなかったものが、ハッキリと姿を現すことが「顕現」の正しい意味であり、存在自体の変質であるキメラ化はこれには当たらないと考える。

つまり現時点で「顕現」を果たしたのは、ひとり「古本屋」のみである。そしてこの1例のみに参照し、顕現にはひとつの条件がある。それは名前の獲得、つまりメインキャラクターから、なんらかの呼称を得ることである。(いかんせん1例なので、絶対条件かどうかは検証できない)
今の所、呼称を得たモブは他に存在しない、と思う。メインキャラクターですら「先生」、サブキャラクターですら「島二郎」など、実は呼称を持っているキャラクターが圧倒的に少ないことが「ちいかわ」というマンガの特徴であり、ナガノ表現の特殊性でもあるのだ。それはまた別の機会に。

先ほど、顕現時に恐怖さえ感じたと言ったが、その怖さのワケ、そして今もどこか不安がぬぐえない理由が、「古本屋の頭部がカニ色に変色している」ことである。他のキャラはヘアバンドならぬ「カニの爪バンド」を付けても頭部まではカニになっておらず、古本屋にだけ特別な現象が起きたことを意図して示している。あたかもカニ細胞に侵食され、その部分のみ乗っ取られたかのように見えてしまう。
古本屋はカニ爪バンドとともに顕現したのであって、カニバンドの方が顕現に巻き込まれてしまったという僕ならではの特殊な見方もあるが、もし顕現と同時にキメラ化が起きていたとしたら、読者は「そういうキャラ」と思い込み、キメラ化に気づかないとしても無理はない。
これについては、その後の古本屋の様子を追跡しても特にキメラ化の兆候や不穏な表現はないので、取り越し苦労かもしれない。
同様のメインキャラクターのキメラ化疑いという意味では、喫茶店のスーパーアルバイターが「トゲあたま」に変異した直後、シーサーが発熱した時には相当危ういものを感じたが、この件も深掘りはまた別の機会に譲ろう。

顕現後の古本屋の働きには目覚ましいものがある。
現時点で言えば、モモンガに最高のタイミングでびんよよを手渡し、そこからの「ヨジッ!ヨジヨジヨジヨジッ!」「パシッ!!」である。ツタの切断こそ不発に終わったが、十分にちいハチの救助に貢献し、僕にしてみればまさに期待通りの大活躍だった。
もちろんその過程として、自らが誘い島に連れてきたモモンガが巻き起こす騒動への罪悪感、それをなんとかリカバーしようとする責任感と(一方通行ではあるが)初めての「ともだち」への友愛があった。
これら様々な感情が繊細に、情緒たっぷりにその表情に盛り込まれ、オロオロとうろたえる姿、泣きながらモモンガを𠮟りつける姿、様々なアイデアを出し必死にモモンガをサポートしようとする姿に、読者たちは時に胸を痛め、時に胸を熱くしたこと請け合いである。
まさにメインキャラの名にふさわしい八面六臂と言えよう。そしてこれらは、顕現(表情の獲得)なしにはあり得なかったのである。
(個人的には「パシッ!」が出た段階で伏線回収できたのだから、島編後はカニバンドを外すか、もしくはカニ爪を研いで今度こそ切れ味のあるサブウェポンとしての活躍を期待している)

さて、「顕現」という全く新しいマンガ表現の手法が、「ちいかわ」においてはマンガのバランスを崩したり違和感を残すどころか、見事なまでに機能して物語を盛り上げることを僕らはもう知ってしまった。
それは、同時に僕らが、黒塗りのモブ一人一人がいつ顕現してもおかしくない、かけがえのない存在であることに、あらためて気付いてしまったことを意味している。

こうなると、二番煎じと言われても、ナガノが今後、例えば十分背景となるストーリーを持ってしまったツノ折れの選抜モブ「てぃは!」を顕現させる可能性だってある。いや十分にある。ていうか・・・見たいだろ?ソレ。

もうお気づきだろう。
顕現により、物語に新たな選択肢が生まれたのだ。
これまであったモブの「選抜とキメラ化」という選択肢に加えられたそれは、「選抜モブのキメラ化と顕現」である。(もちろんこれまで通り、「メインキャラのキメラ化」というビッグイベントの可能性を残している・・・)

本来、「考察」とは考えうるパターンの総当たり検証である。突拍子もない独りよがりのこじつけや、「いいね」欲しさの予想屋であってはならないと考えている。そういうの多いけど。
僕の「解析」はその考察に、①物語における意味、②漫画家ナガノならでは表現の分析、あわよくば③マンガ史における位置づけ、まで加えることを狙った、独自の解釈だ。

「顕現」は、名前の獲得という特殊な条件を満たす必要があるにせよ、その考察(パターンの総当り)と解析をさらに楽しいものにしてくれた。
それを、僕らが想像力が膨らませることで「僕らが見ることが出来なかったモブの表情が少しずつ見えるようになってきた」と言ってしまうのは、あまりにもロマンのある言い方だろうか。

僕はいわゆる「グッズ系ちい民(推し活の中心にグッズ収集を据えているファン)」ではないが、それでも選抜モブ「ツノの子」フィギュアや「フ・・・グス・・・」モブのぬいぐるみを見た時「・・・ア・・・欲しいかも・・・」と思ってしまうほどにモブ(というナガノ表現)を愛好している。
そうなると「てぃは!」なんて、ツノ折れ前ver.と討伐失敗ver.と、そして顕現ver.のフィギュアなんてものが出ちゃったら・・・しちゃうよね、ワクワク!つけちゃうよね、キーホルダー金具!
(うわ出たよハチワレ構文。したらオマエは「唐突だよね、オチ」だよ)

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