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どんなふうに生きればいい?

この世の中どれだけお金を稼ぐか、名声を得るか、そんなことにみんな夢中になり過ぎてないか、という気がしています…(そうでもないかな?)


サミーさんは臨死体験をされてこう語っています。

これまでは経済的豊かさや地位を追及することこそ人生の意義あることだと盲信してきました。しかし臨死体験をしてからというもの、そんなことには興味がなくなってしまいました
偉大なる計画があり、誰もがその役割の一部を果たしているのです。役割の1つ1つが別の役割と同じくらい重要であると私は信じています。コンビニで働く女性より、自分の役割や地位がずっと大事だと考えるのは、自分勝手な考えにすぎません。自分もそんな考えの一人でした

ジョージさんは、以前はモスクワ大学で精神科の研究員をしていましたが、今では(というかこの文章↓が書かれた当時では)メソジスト教会の副牧師をされているそうです。ちなみに彼は死亡が確認されて死体安置所に放置されてから三日後に息を吹き返しています…

ゆっくりとながら健康を取り戻しました。しかし、今までと同じという訳ではありませんでした。なぜなら残りの人生、英知について学びたいと望むこと以外には考えらなかったのですから
神とのそのような体験をした者や、現実との深い繋がりを感じた者なら誰しも、人生においてたった唯一の重要なことが、愛すること、つまり、自然、人、動物、創造そのものをあるがままに愛することを知っているはずです。神が創造されたものに対して温かい愛情に満ち溢れた寛大さと思いやりを持って仕えること、それこそが唯一の存在意義なのです

臨死体験後にこれまでの仕事を辞める方はわりと多いのではないかと思います。とんでもない荒くれ者だった人が奉仕活動を始めたり、ベジタリアンになったり…


わたしが以前ティク・ナット・ハンのプラムヴィレッジに滞在したとき、5つのマインドフルネス・トレーニングと書かれた紙を渡され、常にそれを意識しながら生活するようにと言われました。

だけどいつも少しわからなくなってしまうのが、前の記事で書いたナンシーさんが言っていたように、全てのものに意識が行き渡り、岩も生きている、という話になると当然植物も生きているし…ベジタリアンもアウト⁈😱

まぁその点に関してはダライ・ラマ法王も先日お話しされていましたが、肉食は環境への負荷が大きいから、ベジタリアンのほうが地球に優しいということなのでしょう。一番良いのは不食の人になることですかね。

プラムヴィレッジでも当然ベジな食事を提供していました。朝早く起きて坐禅して、食事と瞑想と講話…ひたすらそんな生活です。でもそこの運営費は滞在している人たちの支払う宿泊費や、外部の方々の寄付で賄われているようでした。その寄付者の職業は、果たしてマインドフルネス・トレーニングに完全に沿ったものとなっているのかな…そんなことを疑問に思うのは間違いでしょうか?


ひとつ前のノートで書いたナンシーさんは、以前はサイエンスライターをされていたそうですが、今はスピリチュアル関連のセミナーや、絵画等の販売で生計を立てていらっしゃるようです。

わたしもたまに絵を描いたりしますが、この絵具の製造過程や筆を洗った後の水を流しに捨てるのは地球にとって優しいのか??と頭の片隅で罪悪感が疼いたりすることもあります(すぐ忘れてしまいますが…)。

そんなこと言い出したらトイレットペーパーも洗剤も、なんか色々ダメじゃないか…

反原発が叫ばれるけど、今自分が使っている電力は原発由来ではないのか?

なんかもうみんなで原始人みたいな暮らしするしかないのでは??

そんなふうに思えてきます。。


少し話が迷走しましたけれども…実際どう生きれば良いんだろう?どこに行って誰に訊けば良いんだろう?そんなことで頭を悩ませています。。