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「食べる」の意味

お酒が好きと言うと「美味しいものも知っているんでしょうね」と言われることがある。インスタもお茶と食べ物ばかりアップしているし、プロフィールには「モットーはお酒が心地よく飲める心と身体」なんて書いているので、グルメだと誤解されたりすることも少なくない



「この街にきたら絶対この店にいく」というようなこだわりもないし、「○○はあの店のもの意外食べない」というのもなし、何時間並んでも食べたいというものもない。むしろ、行列見ただけだ心が折れるタイプだし…。当たり前だけど、行ってみたいお店リストなどというものもない。

せいぜい「今日はスープが食べたいなぁ」とか「赤ワイン飲みたいなぁ」程度である。私の食への欲求はその程度であり、栄養をとるという意味でなら、サプリなどの健康食品とか点滴とかですませたいとすら思っている。

なのに、だ!
私は料理番組を見るのが好きなのだ。中学生くらいからNHKのきょうの料理とかキューピーの3分クッキングとかをよくみていた。テレビを観なくなってからも
youtubeなどで料理動画をずっと観てしまう。自分で料理を作るわけではない。レシピを知りたいわけでもないのに、映画を見るかのように一晩中でも観てしまう。ちなみに先日はこの人の動画を全部観て1日が終わってしまった。

あとこの人の酔っ払いぶりも大好きだ
あんだけ酔ってるのに包丁で指を切らないのが奇跡!

ずっと我ながら不思議でしょうがなかったのだけど、最近、なんとなーくその理由が見えてきた気がする

どうやら私は料理する人の身体の動きを観ているようなのだ。例えば、食材を刻む手の動きや調味料を入れる指先の動き。鍋をふったりオーブンから料理を取り出すときの身体のバランスなどなど、そういうところを無意識に目で追っている。料理が出来上がるその過程もさることながら、料理を作る人の立ち居振る舞に注目してしまうのだ。

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最初に「栄養をとるという意味でなら、サプリなどの健康食品とか点滴とかですませるのもありなんじゃないかとすら思っている」と書いたけど、私にとって食べることというのは「誰と」が最優先だ。その次は「何を」であり「どこで」は一番最後かもしれない。

誰かと場を共有することと食べるということが、とても近い。(それは例え一人ごはんであったとしても、どこかのお店であれば、その場にいる人との共有になる)そういう意味では食べるということは、ちょっと大袈裟かもしれないけど、人とは何なのか?を知るツールであるとも言える。

この点でも動画を観て理由と通じているように思える。

私にとって「食べること」は肉体を持つ人とは何か?を考える営みの大切なツールなのだ。

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