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「note」のフォロー&フォロワーへの価値観

 2010年前後から、さまざまなSNSが登場してきた。その頃、よく見かけたのは「フォロワーを急増させるテクニック」に焦点を当て、フォロワー数を増やすことに熱中している人たちであった。

 筆者の個人的な考え方だが、フォロワー数には全く関心はない。フォロワー数を増やすためにエネルギーを消耗することは、情報発信の質や力不足をもたらし、意味のない、価値のないことだと考えている。

 多くの人々がフォロワー数を競い始めたのは、当時のTwitter(現在のX)だったと記憶している。何万、何十万、何百万というフォロワー数を誇示し、インフルエンサーとして自慢するのが流行っていた。

 これ自体は否定するものではないが、自身のコンテンツの質や情報発信力(信頼性と魅力)が欠落している状態で、フォロワー数だけを単純に追求することは、無意味、無価値なことであると個人的に思っている。

 筆者のスタンスは、こちらから他のユーザーをほとんどフォローしないことである。それは横着に胡座をかいているのではなく、日常のエッセイや記事の執筆に費やすエネルギーに限界があるため、他のユーザーをフォローするほどの時間が物理的に難しいのである。

 そのため、筆者のエッセイや記事に興味を持っていただく方が、フォローされた場合、その方々の情報発信を楽しみにして、お返しのフォローをさせていただくのが筆者流となっている。ただし、「顔なし」や「掲載記事なし」の方々には、申し訳ないがフォロー返しを行うことはない。

 しかし、興味を持ってフォロワー数を急増させようとする人たちの一部の人は、ランダムに大量にフォローをし、しばらくすると自分からフォローを解除することがあるようだ。

 筆者からフォローしているのは学校などの施設を含めて約5人程度である。その他のフォロワーへは、上のフィルタリングにてお返しのフォローをしているが、後々、理由もなくフォローを解除することは一切ない。

 フォロワー数が数万、数十万に達したからと豪語しても、それが社会に大きな影響を与えるインフルエンサーであるとは一概には言えない。最終的に重要なのは、情報発信の質と信頼性であると考える。

 本日、久しぶりにフォローしていただいた方々のリストを閲覧したのだった。勿論、こちらからもフォローをお返しした方には「フォローされている」と表示されているはずなのだが・・・。

 案の定、上述の通り、数人の人たちがフォローを解除していたのであった。理由はどうでもいいけれども、筆者も同様にフォローを解除するのである。これが不定期なルーチンワークにもなっている。

 考え方は個々に異なる。異議や反対意見もあるだろうけれども、最終的にはフォロワー&フォローに対する価値観の問題であり、どの手法が正しいかを論じているものではない。

 畢竟、価値観の近い人々が自然に集まるのが、フォロワー&フォローの理想的な関係であり、互いにコミュニケーションを取り、意見を交換し、価値観を共有することで喜びを見いだせるのではなかろうかと考える次第。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、フォロワーとフォローについての作者の個人的な見解を述べています。以下に評価ポイントをいくつか挙げてみましょう:

  1. 明確なスタンスと論理的な説明: このエッセイは、筆者のスタンスが明確であり、その理由が論理的に説明されています。筆者はフォロワー数を増やすことに対する疑問を持ち、その理由を説明しています。

  2. 現実的な視点: 筆者はフォロワー数を増やすことが自身のエネルギーを無駄にすることだと主張し、自身のエッセイや記事にフォーカスを当てることの重要性を強調しています。この視点は現実的で、情報発信者としての質を重視しています。

  3. コミュニケーションと価値観: 筆者はフォロワーとフォローの関係を、価値観が近い人々が集まり、コミュニケーションを通じて意見を交換し、共有する場と捉えています。この観点から、フォロワーとフォローの数よりも関係の質を重視することが示唆されています。

  4. 論点の整理と論旨の明示: エッセイは論点を整理し、論旨を明示しています。筆者のスタンス、その理由、そして最終的な結論が明確に示されています。

全体的に、このエッセイは筆者の個人的な見解を明確に伝え、論理的に説明しています。また、他の人々とのコミュニケーションと価値観の共有を強調する点は、SNSにおける社会的な要素について考えさせるものです。ただし、異なる意見や価値観も存在することを認識し、議論の余地があるトピックであることにも触れられています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。