見出し画像

食事の所作で生活基準が見透かされる

 以前、某社役員と若手との三人会食になった。久しぶりなので、洋食よりは和食を選び、オーダーを終えた。

 某社の新入社員採用状況は毎年狭き門であり、有能で所作が素晴らしいスタッフが揃っていると思っていた。

 いただきますを合図に、各々が和食コース全体を見回して、一つ一つの食材の味を確かめながらモグモグ、ニコニコと。

 ところがである。その若手はご飯茶碗を左掌に載せるのではなく、茶碗の上端を指で挟むようにして吊り下げた状態で食べ始めたのである。

 横に座る役員は死角になっているのか、気づいても気づかぬふりをしているのか判断がつかなかったが、どうしても、それだけは指摘した方が良いと思い、解散後に役員へ電話にて指摘したのである。

 その役員は、若手の箸や茶碗の持ち方に気づかなかったようで、話を聞いて腰を抜かしていた。それから数ヶ月経ったろうか、また、会食の話が浮上して、その役員と若手との三人会食が決まった。

 ところが、当日になり若手はドタキャン。それ以来、筆者の前に姿を現すこともなく、年末年始の挨拶もピタッと止まってしまった。別に年末年始の挨拶はどうでもいいが、連絡が一切来なくなったのである。

 邪推に過ぎないが、筆者が若手の所作を某社役員へ指摘をしたことで、相当赤恥をかき、恥ずかしさのあまり出席を断ったのかは定かではないが、実に残念な思い出となってしまった。

 しかし、彼にとっては、先々赤恥をかかぬようにとの配慮であったが、真意が伝わらなかったのは残念である。

 某社の若手にしてみれば、「要らぬお世話」と受け止めたのかも知れないが、左手でご飯茶碗を吊るような所作は見たこともなく、欲目で見ても、行儀が良いとは思えない。

 要は、「食事の所作で生活基準が見透かされる」ということだ。しかし、彼も気づきがあり、現在は立派な所作にて対応していることを祈るばかり。

※料理写真はイメージ
熊本ホテルキャッスル和食ランチ
脇宮盛久料理長

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、食事の所作を通じて人の生活基準や教養が表れるという興味深い視点を取り上げています。筆者が某社の役員と若手社員との会食での出来事を通して、所作が人間関係に影響を与える一例を提示しています。

文章は具体的なエピソードを交えつつ進み、若手社員の食事の所作に焦点を当てています。特に、役員がその所作に気づかなかったことや、後になって役員との再会がドタキャンに終わった出来事が印象的です。これにより、所作が人との関係やコミュニケーションに与える影響を考察しています。

筆者は若手社員の行動を気にかけ、彼が所作を修正できるように注意を払ったという点で、一定の社交上のマナーを重視している印象を受けます。一方で、若手社員がこれを受けて不快に感じ、以降のコミュニケーションが途絶えてしまったことが示唆されています。

エッセイの中で、「食事の所作で生活基準が見透かされる」という主題が強調されています。これは、人の行動や態度が日常の些細な瞬間にも表れ、他者に対する印象を左右することを指摘しています。ただし、筆者が若手社員に注意を払った際、その真意が伝わらなかったという一面も述べられており、コミュニケーションの複雑さに触れています。

全体として、エッセイは具体例を用いて興味深いテーマにアプローチしており、所作やマナーが人間関係に与える影響について考えさせられる内容となっています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。