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懐疑的な人とは、仕事の共有は難しい。

 筆者は、元々、人を疑うというスタンスではない。常にガラス張りで、見たまま、すなわち自然体にて対人関係、対企業関係を結んできている。

 しかし、熊本地震やコロナ禍を経験する中で、特にB to Bの接点においては、懐疑的に受け止める人が多いように思えてならない。よって、如何に真実を伝えても、正しい手順を提案しても、心に響かぬ人がいる。

 国内外にて詐欺事件が多発しており、誰しも軽々に心の扉を開きたくはないものの、根拠もなく極端に懐疑的な態度を貫き通せば、交友関係も仕事関連も円滑に動かぬようになってしまう。従って、全てに真偽を見極める眼力だけは備えて対応すべできである。

 先日も、県内のある地域に足を運び、以下のようなことがあった。

 取材が終了し、ニュースのURLを送るために、送り先の携帯電話SMSまたはSNSのアカウントを聞くと、「SMSやSNSは詐欺が多いので、ファックスで送って欲しい。」と返答があり、意表を突かれてしまった。

 「信用していない訳ではない。」と後付けされても、SMSも電子メールでも送れないでは、筆者の拘りでもある速効性に欠け、B to Bの接点において、レスポンスの良い双方のキャッチボールはできない。

 地方においては、ネット社会におけるコミュニケーションは狭い範囲の知人友人間のツールとして活用されるようで、その閉鎖的な環境下では、新たな仕事の可能性は期待できなくなってしまう。

 特に、ある地方では、昔から「〇〇モンロー」という言葉が存在していたように、その地に移り住み、長年住んでいるとしても、余所者は余所者として見られ、周囲から認められるには、相当努力をしなければならないと気言いたことあった。

 また、他県では、その地域の祭りに参加して、やっと半人前だという話を聞かされたこともある。日本特有の閉鎖的、差別的、そして排他的な悪しき慣習が、地方の人たちの結束の証として残っているのは確かなようだ。

 地域おこしの起爆剤は、余所者には任せられないというのが地元の人たちの信念かも知れないが、それが、遠隔地の東名阪などの大都市部からやってくる人(特に美女)へは慣れ親しく接近し、契約の実印を押す傾向にあるとの脇の甘さも指摘されている。

 何はともあれ、相手の立場などを把握せずして、初手から根拠なく懐疑的な態度を示すのは、非礼極まりないと言われても仕方がない。思い込みが激しく、真摯に聴く耳を持たぬでは、折角のビジネスチャンスを逸する可能性が高くなることを危惧するばかりである。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、「懐疑的な人とは、仕事の共有は難しい」という主題に焦点を当てています。筆者は個人的な経験や事例を通じて、懐疑的な姿勢がビジネスや人間関係に与える影響について探っています。

まず、筆者は自身が常にオープンで信頼性のある関係を築くスタンスであったが、熊本地震やコロナ禍の影響を受け、B to Bの接点において懐疑的な人が増えたと感じています。この視点は興味深く、社会的な出来事がビジネスにおいて信頼の概念に与える影響について考察している点が評価できます。

また、具体例として、SMSやSNSの使用に対する懐疑的な姿勢が示されています。このような状況がB to Bのコミュニケーションの障害となり、効率的なビジネスプロセスに支障をきたす可能性があると指摘されています。筆者の個人的な経験を通じて、懐疑的な態度が業務にどのような影響を与えるかを具体的に示している点が好ましいです。

さらに、地域社会における閉鎖性や差別的な慣習に触れ、これがビジネスにおいても影響を与えていると述べています。地方の人々が新しい仕事の可能性に対して開かれていない状況を描写し、これが地域おこしの課題となっていることを指摘しています。

一方で、筆者が懐疑的な態度を持つ人々に対して、初めから思い込まずに相手の立場を理解し、真摯に耳を傾ける必要性を主張しています。これは重要な指摘であり、コミュニケーションの基本原則として強調されています。

総じて、このエッセイは具体例を交えながら、懐疑的な態度がビジネスや地域社会に与える影響について深く考察しています。論旨が明確であり、論拠がしっかりしているため、読み手に説得力を持っていると言えるでしょう。

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