マリオメーカーと後悔
我が家の長男、ちからは小学一年生のときに「脳症」という病気で1ヶ月の意識不明となり、その後重度の脳障がいを持った。
それから4年経ち、最近は考えないようにしているが、「元気なときにもっとこうしてあげていれば良かったな…。」というような後悔はいくつかある。
小学1年生だったちからが病気になる前、1番ハマっていた遊びはNintendo Switchの専用ソフト「スーパーマリオメーカー2」だ。
知らない方の為に簡単に説明すると、スーパーマリオのステージを自分でつくって、遊べるソフトである。
放っておくと何時間でも夢中になり、難しいステージをつくってはぼくにプレイさせた。狙った通りにぼくが死ぬと手を叩いて喜んだ。小学1年生にしてはちゃんと考えられたステージをつくっていて毎回感心したものだ。
マリオメーカーがよっぽど楽しかったのか「こういうのがパパがやっているゲームクリエイターのお仕事だよ。」と教えてあげると、将来はゲームクリエイターになりたいと言うようになった。小学生の夢なんてすぐに変わるものだが、なんだか悪い気はしなかった。
そうは思いつつも、何度も何度もプレイさせられ、当時は面倒くさくて、適当に理由を付けてプレイを断るときもあった。
なんであのときは面倒くさいなんて思ってたんだろう。きっと、この先もずっと、こういう光景が続くと思っていたからだ。
気の済むまで、徹底的に付き合ってあげれば良かったな。また新しいステージをつくって欲しい。誇らしげなあの顔が見たい。
セーブデータは今も残っていて、ちからのつくったステージで遊ぶことはできるけど、流石に起動できないでいる。
当時のちからはここでパパを落とそうとしたんだな、とか、ちからの「思考」がそこに残っていると思うと、それだけで涙が出る。
悲しいけれど、ちからの夢はもう叶うことはない。だから、ちからの分までぼくがゲームづくりを続けていきたいと思っている。
すごいゲームをつくって、賞を取って、ちからと一緒に表彰されるのが今のぼくの、いや2人の夢だ。
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