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スマホを見ていても味わえなかった一体感のヒミツ〜日本とマラウイの公共交通機関で感じたこと~

日本での出張の電車内で

3年ぶりに電車に乗って出張する機会があった。

行きの電車の中で、ふと、あることに気づいた。車内広告のスペースが埋まっていないのだ。

一番目立つ中吊り広告でさえ、場所によってあったりなかったり、網棚の上の窓上ポスターはもっとすかすか。10枚くらい入るスペースにかろうじて1〜2枚入っているかどうか。初めはポスター入れ替え中か、何かのメンテナンス中なのかと思うほどだった。

乗り換えた路線の電車でも、帰りの電車でも同じ状況だったから、それが「メンテナンス中」ではないことがわかった。コロナ禍の前後で、電車広告の状況は大きく変わったらしい。長らく電車に乗っていなかった私が気づかずにいただけだったのだ。浦島太郎だ。

通勤通学の車内で手持ち無沙汰になり、目のやりどころに困って、ついつい中吊り広告に行きつくはずの目線は、一様にスマホの画面に吸い込まれていた。

かつての電車名物だった、新聞紙を器用に縦長に開いているサラリーマンはもちろん、週刊誌、小説を読んでいる人も見当たらない。車内の様子はここ10年ほどで大きく様変わりした。

電車で本を読む人の観察

そういえば昔、電車で通学や通勤をしてた頃、本を読む人を観察するのが好きだった。読書する人がいると、どんな本を読んでいるのか気になったものだ。

ブックカバーをしていなければ、題名か表紙デザインが目に入る。その情報をもとに、どんな本かと本屋で探してみることもあった。「え、あの人がこんな本読んでたの?」と、ギャップを発見したときは何だかうれしかったし、実際素晴らしい本との出会いもあった。

ブックカバーで覆いかぶされ、何の本か分からないときは、その人の様子から、ただ想像を巡らせるしかなかったが、それもまた楽しかった。

自分が大好きな本を読んでいる人に出会ったら、ついつい「その本最高ですよね!」なんて、話しかけてみたくなったりもした。(実際には話しかける勇気なんてなかったが。)

そんなふうにして、どこの誰だか全く知らない、目の前の生身の人間と、本を通して勝手につながりを感じることもできたのだ。

スマホを見ている人に興味はそそられない

中にはスマホで読書する人もいるかもしれない。でも、一様にスマホをのぞくその姿からは、紙の本のように「この人は何を読んでいるんだろう?」という興味は不思議と生まれてこない。逆に「あーこの人もスマホの画面を見ているのね」と、スーッと興味が消えていく。

電車で本を読む人がそれなりにいた頃は、本を通して(勝手に)人とのつながりを感じることができたのに、それが全くなくなってしまったのが、残念に思えた。

マラウイのミニバスは日本のラッシュ時の通勤電車の密度

「公共交通機関の中」という条件の下、それ以上のつながりを感じたのは、マラウイのミニバスの車内だった。

2017年10月マラウイのミニバス車内 ハイエースが多い

マラウイの最もメジャーな移動手段である乗り合いミニバスでは、必ずと言っていいほどラジオがかかっていた。マラウイにも、鉄道はあるにはあるのだが、貨物が中心で、人の移動手段としては一般的ではない。

2018年9月 マラウイ共和国バラカ県 珍しく列車が通る

定員の2倍くらいの乗客が平気で詰め込まれるミニバス車内は、身動きが取れないほど隣の人とぎゅっと密着する。東京の通勤ラッシュ時と同じくらいの密度、といえばイメージがつくだろうか。

そんな状態でも、マラウイの乗客たちには心のゆとりがあるのか、どことなくゆったりしている。東京の通勤時の殺伐とした雰囲気とは大違いだ。

せまっくるしい車内には、広告なんてない。読書も一般的ではないし、スマホを持っている人は少ないので、みんな基本的に前を向いたままじーっとしている。

乗り合いミニバスの中でラジオを聴いて反応するマラウイ人

そんな中、必ず流れていて、乗客の耳にもれなく入ってくるのがラジオの音声なのだ。日本との違いは、たまたま乗り合わせた人たちが集団でラジオに反応するところ。たまに面白い内容があるとみんなで笑ったり、理不尽な内容には舌打ちしたりすることもある。

ラジオの内容について、わざわざ語り合うまではしないが、みんなで1つのラジオを静かに鑑賞し、みんなで反応することで、自分以外の誰かとの共感の場としているのだ。

もちろんラジオだけではない。運転手や運賃回収員と乗客とのやり取りが、思いがけず面白い掛け合いになるときには、笑いが巻き起こることもあった。

そんな感じで、うすーくつながりがある空間だから、隣の人にトウモロコシを半分シェアするのは普通だし、座れないぐらいぎゅうぎゅうのときには、見知らぬ女性から「私おぶってられないから、赤ん坊を抱っこしといて」と赤ちゃんを託されることさえある。

目的地につくまでのひと時ではあったが、バスの車内に不思議な一体感が生まれた時、なんだかそれがとても心地よかったのを覚えている。音楽ライブ会場の一体感に通じるものがあるのだろうか。

うすくつながることができるリアルな場はスマホにはつくれない

それぞれにおすすめされたニュースやコンテンツが表示されるスマホ。多様化の時代だから、それぞれが好きなものを見ればいいし、その方が効率のいいのは分かる。

でも、目の前で読書する人の本を通してその人のことを想像したり、流れてくるラジオを何となく聞いて一緒に反応したり、「全く関係ない誰かとも、うすくつながることができるリアルな場」は、自分の心をほんの少しだけなめらかにしてくれる、潤滑油のようなものだった気がしてならない。

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