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人の為になり続ける

今から一年近く前のことだけど、会社のメンバーで飲んでいるときに、もし新規事業をするなら? という話題になった。
今、儲かる仕事ってなんだろうね、と話していると、一人がYouTuberと言った。

すると上司がやんわりと優しい口調で、「それで儲かっても一時的なものだと思うよ。社会に貢献しないと続かないからね」と言った。
それが私にとっては結構、衝撃的だった。

その「社会に貢献しないと続かない」という言葉で、なるほど、お金を稼ぐ仕組みってそういうことなのか!と、私の頭の中でビビビッと何か、色々なものが繋がったのだった。


つまり、詐欺だとか悪いことをするとか、無理やりの営業だとか、ギャンブルで勝つとか、そういうことで一時的に稼げたとしても、社会に貢献していないから、それが長続きすることはない。

「社会に貢献する」ということは大きな視点の話だけれど、小さな視点で考えると「人の為になる」ということだ。

人の為になることをして、その数が大きくなればなるほど、社会に貢献でき、お金を稼ぐことができる、という仕組みがこの世の中には確実に存在していることに気づいた。


政治家は、国民の代わりに国の運営をし、それで国民の生活を作ってあげているから人の為になっているし、

警察官は、何かあったときに身を削って治安を守ってあげているから人の為になっているし、

運送会社は、物を運んで家まで届けてあげるから人の為になっているし、

飲食店は、美味しいご飯を提供してあげているから人の為になっているし、

アーティストだったら良い作品をつくり人々の感情を豊にしてあげているから人の為になっている。

……と、考えれば本当に全部の仕事が人の為になるから需要があり、結果的に社会に貢献していた。


人々の生活になくてはならないレベルのもので競合が他にあまりいないもの(公務員とか鉄道会社とかその他もろもろ)は、とりあえず私たちが生きているうちまでは人の為に存在し続けるので、安泰で仕事がなくなることはないと思うけれど、

反対に、一時的には人の為になっていても、時間が経つと人の為にならなくなってしまう可能性の大きいもの、つまり永続的な需要を得られる可能性が低いもの(小売り系や飲食店、アーティストなど)を仕事とするのは大変だということにも、気づいてしまって、怖くなる。

アーティストだったら人々が感動するものをずっと作り続けなければ終わりだし、飲食店だったら自炊されたり数多ある他の飲食店に行かれたら終わりだ。
アパレルとか小売系も全て、競合が多く他社で替えが効いてしまう状況にあるので、人の為になり続け、永続的な需要を得るのは大変なことだ。



そんなことをビビビッと考えたのが、その一年くらい前の会社の飲み会で、それ以来そのことはあまり考えていなかったのだけど、

最近テレビでYouTubeを見られるようになったので、YouTuberの方々のチャンネルを見るようになった。


そして、またこの「社会に貢献しないと続かない」話は、私の中で復活し始めたのだった。


YouTuberの方々のチャンネルは、見ずに想像していたものよりもかなり、人の為になって社会に貢献していた。

今の芸能人にはなかなかいないような圧倒的カリスマ性を持った人々が、テレビでは得られないようなピンポイントで知りたい有益な情報や、テレビでは放送できないような刺激的で面白いコンテンツを提供してくれていた。

それは人々の生活を楽しませたり、学ばせてくれたりして、確実に人の為になっていて、ものすごい再生回数を記録していた。そんな再生回数の多さを企業が目当てにし、広告を入れることで報酬が発生する。

動画で人々の求めるコンテンツを作成し提供することと、広告収入を得ることは直接的な報酬の関係には結びつかないけれど、やはり人の為になるところに人は集まり、報酬は必ず発生するのだった!

だけど、こちらもやっぱり小売りや飲食、アーティストと一緒で、永続的に人の為になるコンテンツを作り続けるって難しいことで、それをやり続けられるYouTuberは、トップのほんの一握りの人々の厳しい世界なのでしょうね。
ちょっとやってみたーいなんて、ミーハーな憧れはあるけど、よく考えてみたら私には無理無理、だ。


最後に、「社会に貢献しないと続かない」話に感化された私がそれに加えて気づいたのは、人間関係にもこの法則が当てはまるのではないかということ。

学校や職場が一緒とか、そういう枠組みでその時々に一緒にいる人は決まるけど、その枠組みから離れても、(学校を卒業したり、職場を退職しても)また会いたい、関係を続けていたいと思える人っている。

反対に、もう環境が違えば会わなくてもいいや、と思ってしまう人もいて、その人々の違いって何なのだろう、と考えてみると、

これもまた、相手が自分の為になってくれているかどうかなのではないか、と思ったのだった。

恋人でも友人でも自分の為に何かをしてくれる人(例えば、心配して気にかけてくれたり、相談に乗ってくれたり、何かあっても味方でいてくれたり、励ましてくれたり)そういう優しさを感じた時に、これからも関係を続けたい大切な相手だなぁ、と私はどうしても思ってしまう。

逆に一緒にいて楽しくても、こういった自分の為に何かしてくれる優しさを感じないと、そこまで相手を大切に思えない(親友や恋人にはなれないという感じ)ので、徐々に会う回数は減っていってしまう。

だから自分も人の為になる行動ができなければ、周りから人はいなくなるし、積極的に会いたいとも思われない人になってしまうのだろうと気づき、はあ、人の為になるってなんて大切!気をつけようと身が引き締まる思いがしたのでした。


人の為にならない仕事をしていても、長くお金を稼ぐことはできないのと同じように、
日常生活でも人の為に行動できない人は一時的に幸せになれても、それが長く続くことはできないのかもしれないなぁ、と。


仕事も人間関係も、人の為になることを続けていないと、いつか破たんしてしまう、そう考えると、この世界は人と人がいて、支え合いながら成り立っているのだと、金八先生のように、しみじみ、思ったのでした。

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