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エゴン君の話

少し前のことですが、オーストリア生まれの天才画家、エゴンシーレさんの展覧会に行ってすっかり魅了されました。

こうなると色々と知りたくなるもので、ボクはgoogleさんを駆使して調べまくります。そんな中、ステキな記事を見つけました。

↓HAS Magazineさんによる、エゴンシーレの生涯を紹介した文章です。

その中に興味深い記事がありました。

…当時の教授は、生徒たちに1日1枚のドローイングを描くように指導していたそうだが、シーレが日頃から描いている量に比べると、比べものにもならない量だったのだ。(注:エゴン君の描いてた絵の数がハンパないってことです)
このエピソードは、彼の絵には、決して天賦の才だけではない、ひたむきで圧倒的な努力が流れていることを私たちに教えてくれる。

天才は1日にしてならず。やっぱりエゴン君、キミはすごいヒトだ。
他は色々アカンみたいだけど。

やはり天才と呼ばれる方は、才能は当然として圧倒的な努力がその下地にあるのだと知らされますね。書くことにも通ずるのだと思いますが、やはりペン先を走らせてこそナンボの世界ですね。あ、ボクはMacintosh使ってるから、キー叩いてナンボ、ですね。何も浮かばない…なんもでてこない…もうダメだ。みなさんも時々こんな思いになったりしませんか?ボクはよく、そうなってます。そこを乗り切った先にこそ、きっと何かしらあるのでしょうね。見たことないから、知らんけど。

↓1890年生まれの方なので、エゴン君って22歳にしてこんなん描けちゃう才能の持ち主。画才のある方はこの構図や傾き加減が絶妙だと評します。ボクは視線と色使いに惹かれます。この絵を見ると、今を生きる優秀な若者が起業したがる理由が分かるような気がします。ボク達が老害に頭下げて習う事って、価値観も変わってるから大抵は下らないコトなんですよね。

ほおずきの実のある自画像 1912年

28歳でスペイン風邪(インフルエンザ)に罹って亡くなってしまいましたが、長生きしてたらどんな絵を描いていたのか。もっと悩み深く生きていたのか、興味は尽きません。

情熱、反抗、思想、という学生さんが夢に描くような思いの数々を、ボクはエゴン君の生き様を見てそう感じるのです。世間のニーズに合わせるように生きてはいても、息苦しさや生きにくさに悩むボクはエゴン君が求めた自由と理想が重なってしまいます。破壊と創造、求めるモノが近いからこそ、ボクは惹かれるのでしょうね。

絵画と文学の世界、一見異なる世界のようには感じますがエゴンシーレ展では
「すべての芸術家は詩人でなければならない。」
という一文が紹介されています。

ボクの周りには幸い詩作に励む方が多いので、きっと何かしらココロに届くことでしょう。ご意見お待ちしてますね。

毎日、皆様方から刺激を受けて知識や価値観をアップデートして過ごす毎日です。ボクは自分で定めた計画の第二章に進もうと思います。これからもよろしくお願いいたします。

野心と不安定さが際だった、若かりし頃の遺影です。
倫理観のキビしかった時代、そんな地方の土地で若い娘呼びつけてこんなん描いちゃ、
そりゃ捕まっても文句は言えないかも…かわいそうだけど


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