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言の葉の行方ver.4



早朝を待って、僕は始発電車に乗り込んだ。在来線を乗り継ぎ、夕方前には男が入院しているという病院に辿り着いた。思い立ってここまで来たが、いざ病室に入るとなると僕の心はひどく乱れていた。「何て言えば良いんだ?まず謝るんだろ。その前に僕のことを何て話せば良いんだ、あの手紙を勝手に盗み見た礼儀もロクになってないただの若造だ。」僕は自身をひどく恥じながらも、もう一度覚悟を決め震える手でドアを開けた。そこは白い壁に囲まれただけの質素な空間だった。

思いがけず訪れた、僕の人生の一大事、です。

目の前のベッドに横たわった男の頬はこけ痩せ細り、生気を失いつつも眼光だけが鋭く光っていた。その視線が僕を射貫くと、僕の足は震えが止まらなかった。『帰りたい。』そう思いつつ、でも帰ってどうするんだ。僕はこのままじゃ何もない、これからも何もないだけの存在だ。だからここまで来たんだ。『力を、ください。』思わずそう思った僕は、一体誰に何を祈っているのだろう。心の中は激しく乱れ思考はまとまらないまま、僕は何度も同じ思考を螺旋らせんを描くように繰り返していた。

「…どなた、ですかな?」
男の低い声が、静かな病室に静かに響いた。拒絶でも嫌悪でもない、ただの純粋な興味のような声だった。その声に、僕はようやく自分を取り戻すことができた。ひとつ、大きく息をつくと僕は男の前で白い床に膝を折った。

「大変申し訳ありません。せっかくの手紙を無駄にしてしまいました。」
そう言うと僕は、これまでの経緯いきさつを正直に話し出した。経験はないのだが、教会での懺悔とはきっとこんな風なのだろう。許しを乞うように、素直に謝罪の言葉を並べた。聞き苦しい言い訳もなく、ただただ素直に僕は浮かんできた言葉を並べていた。涙は自然と流れだし、自然とやんだ。男の顔は、見えなかったが僕を、こんな僕を、この男は受け入れて許してくれるのだろうか。そんな不安が僕を襲い、僕は顔を上げて男の顔を見ることはできなかった。息は上がり、話す言葉はたどたどしかった。初めて会う男の前で、僕は突然現れた誰なのかも良くも分からない、まさに「馬の骨」だ。でも自分にできる事はやり遂げよう。男の思いに僕なりに応えないと、そんな思いが僕を強く動かしていた。

「そうですか。分かりました。僕のせいで、わざわざこんな所まで来て頂き、誠にありがとうございました。」
男はそう言うと、深くため息をついてうつむいた。その姿からは怒りよりも深い失望の念が強く浮かんでいた。丁寧な口調に、男の深い失望の念がより強く浮かんだように感じられた。僕は男の顔をじっと見つめたまま身動きもできなかった。ひどくがっかりさせてしまった、当たり前だ。でも正直に話さないと、きっと僕はこの先ずっと後悔して生きていくことになるに違いなかった。自分の人生を見つめ直し先に進むためにも、これは避けては通れない道なのだろう。だからこそ、僕は男の許しを得るまで何度でも謝ろうと思った。

「あの、本当に、申し訳ありませんでした。できたら、僕にも一緒に娘さんの行方を捜させて頂けないでしょうか。」
僕の口から、思いもしない思いがこぼれた。きっとこれが、僕の本心なのだろうか。僕はきっと、目の前の男に許しを得るよりもきっと、男の心の安らぎが得られるようにと、そう思っていたんだ。後で冷静になって、僕はそう思った。でも男の口からは、意外な言葉が並んだ。

「ありがとうございます。でも、もう良いんですよ。所詮、僕のしでかした過ちのせいですから。そんな、見ず知らずの方にお世話になることはできません。」

その言葉に、僕は男に冷たく突き放されたようで二の句が継げなかった。感謝されるなんて傲慢な考えはなかったが、それでも身体の自由がきかない男の立場に立てば、こんなふらついて自由な我が身の僕は役に立つんだと信じていた。だからこそ、ここに来て正直に打ち明けた。でも男の本心は僕の思いとは違う所にあったようだ。僕らは互いに、遠慮がちに、失望の念も隠せず、静かに互いを見つめ合っていた。僕の息だけが、行方ゆくえもなく荒く、この無機質な病室の空を舞い上がり、そして行く宛てもなく彷徨さまよっていた。

「あの、今日はありがとうございました。本当に、あなたのお心遣いには感謝致します。でも、もう本当に、もう良いんです。」
男のその、控えめで伏し目がちな目線の先に、自分がいないことに僕は苛立っていた。この時初めて、僕は生きている意味を実感した。

「そんなことはありません。僕はあなたのお役に立ちたいのです。だからどうか、僕にお手伝いをさせて下さい。こんな僕でも、きっと何かお役に立てます。だからどうか、僕を見放さないで下さい。」
堰を切ったように、僕は夢中で話していた。息が上がって、言葉がうまく出てこないようだった。それでも僕は、男の目を正面に捉えて話していた。生きている。そう、僕は生きている。そんな充足感に満ちた思いが、僕の心を支配していた。何のツテもアテもない。そんな現状を忘れてもなお、僕は男の前に立ち続けた。

「お願いします。あなたの人生の最後に、こんな僕でも、加えて頂けませんか。」
すがるような、振り絞るような僕の言葉に、ふと男の表情が緩んだように見えた。

遠くから、見回りの看護師さんの足音が聞こえてきた。僕が黙れば、病室は意外と静寂に包まれた空間のようだ。僕らは互いに目を合わせ、そして笑い合った。



(イラスト ふうちゃんさん)


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