弁当クリエイターという修行
今日のお弁当には、パプリカの豚肉巻きだった。
作りおきをせず、朝パプリカを刻み、肉を巻き、4面丁寧に焦げ目をつけたもの。
「最近 お弁当がマンネリでつまらないんだよね」などと言いながら。
すごいな、ありがたいと思う反面、もし私が朝のお弁当担当だったらおそらくほぼつくり置きにする。きっと半分以上は残り物だろう。なんなら、夜のうちにつめてしまっておくかもしれない。
効率の修行をしている私だったらそうするだろう。
効率を修行する身としては、朝つくるのは悪だ。
夜2倍つくる労力は、朝オーダーメードでつくるのとちがい、少し材料が増えるだけで手間がかかるわけではない。
美味しさや目新しさや多様さは少し我慢しなければいけないが。
また、夜つくっておけば、もし朝具合が悪くなっても乗り越えられる。リスクに強い。逆に夜具合が悪ければ、朝つくれるチャンスがある。
しかし、
弁当クリエイターの修行の身としては、
つくりおきは悪なので、95%朝つくる。
卵を焼かなかった日などない。
同じものをつくるのはつまらない。
経験と技術をクリエイティブに表現したい。
お弁当で相手を感動させたい。
しっかりタイミングをあわせ手間をかけているので、
相応に当然に美味しいだろう。
弁当づくりひとつとっても、
それぞれがどんな修行をしているのか?どんな山に登っているのかによって、
取り組み方が違うのだ。
昔、よく
「面倒だったら、コンビニで買うから弁当なくてもいいよ」と
楽ができるように、気を使ってるつもりで声かけていた。
でも、その言葉は弁当クリエイターには
(お前の弁当はコンビニの弁当ぐらいの価値、500円ぐらいの価値しかないよ)と聞こえていたのだ。
その違いに気づくのに、20年かかった。
相手の価値観を想像するのは、難しいものだと気づいた。
効率という修行が世の中の共通言語だと思いこんでいた私は、
弁当のことだけでなく、いろんなところで相手を傷つけてきたのかもしれません。
そんなみんな、ごめんね。
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