終わらせて4月
いかがお過ごしゅう、お過ごしでございましゅう。
人生の急ハンドル、こと4月でございました。
しがついっぴ(ひらがなにするとかわいいね)から、「社会人、やれそう?」と問われ、Noとは言えず、答えを濁しながら、ありがたい研修の日程を受け取る。
横浜の地面を踏み締めてきた、踏み固めてきた私ですが、東京進出までの研修期間は、埼玉にまで顔を出している。
毎日片道2時間なんて、やってられなくなっちゃうんで、来週には研修地の近くに部屋を借ります、どうかやさしくわたしを受け入れて埼玉!!!(フロアから湧く歓声)
帰ったら、それは寝るまでのカウントダウンで、余暇と呼べるほど気楽なものが、平日の隙間にはなくて、どうしたもんかね〜〜 と金曜の夕方くらいまでは過ごしています。金曜の夜は特技の寄り道が披露できて、ご満悦の様子です。楽しく過ごそうよ華金!!!(各々好きに踊りだすフロア)
こんなもんじゃないんだ、という意思だけあっても、通い詰める電車の中で、譲って譲ってで、せめてもので差し出せる親切心は、人の目には映らないのかもしれないと、知ってしまいそうで、池袋の地下を通過しながら、人の所為に譲ろうとした。
自分の頑張りを正当に頑張ったと思えないから、自己肯定と傲慢さと自己承認の濃淡が見えてきていなくて、どう頑張りたいのかも、わかってない。労働を差し出して対価を得る仕組みは全うなことだと思うが、どうせ働くのなら、何か気持ちを上乗せしたい、とは、ずっと思っているんだ
今は仕事面の知識と一般的な労働ペースに着いていくことに精一杯になっているのはその通りなんだけど、ずっと上ばっかり見てしまって、私個人が勝ち取りたいバッジは、その平行線の先に期待するのがおかしいってだけで
習慣にはしないで済みそうな長時間移動の、捻り出す睡眠をやめてまでして、整理つかぬままでも書こうとした。
感情の機微にお近づきになれるチャンスだったのに、楽しみがそこにいない。
俺はこの子と遊びたくて、夜遊びと朝活の悪いところ取りをしてまで顔を出しているのに。
もっと軽やかに、身体から程遠い言葉と共存したい。
目を瞑った世界が東京のビル群よりも、身の丈にあった綺麗な星空であってほしい。
今は持ち合わせで紡ぐしかなくて、快いとは言いがたい。引っ越しが終わったら、また見違えた景色で見違えた自分とバトンタッチしてあげたいのです。
ハハハ、楽しみにしているよ。
もっと遠くへ、遥か先へ。
来年はお花見に1日使えたらいいな、おやすみ4月。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。