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感性の自衛

10代の頃、毎日を生きるのが苦しくて苦しくて悟りを早く開きたいと思っていた。

悟りを開けば、とんでもなく日本人差別してくる教師の態度も一瞬で受け流せる。小うるさい小学生にも何も思わない。絶賛反抗している親にも腹は立たない。自分の悪口を裏で言っているかもしれない友達も笑って一瞬で捨てれる。曖昧でどうなるかもわからない恋愛だって余裕で流れに任せられる。

そう思っていた。

そう思っていたら、本当に色んなことを諦めていった。何かを思っても無駄なことは言わないし、笑えなくても笑うことが必要なら笑う。何か怒りを感じることがあっても、怒ったってしかたないと、だんだん自動的に思えるようになった。自分が大人になっていったような気がした。その代わり、何にも感動できなくなった。

眠れなくて眠れなくて。でも当時は10代で上海に親と住んでいたため、夜の自由がない状態で鬱屈したモノを溜めていた。なので、たまに両親が居ない夜はネオンと中華の香辛料の香りが混ざり合う街中を、当てもなくずっと歩いた。

そこで出会ったある人の言葉は、目が醒める色をしていた。


「辛さを目一杯感じる感性は、逆に幸せも味わい尽くせる。感動も余すことなくその身に受けることができる。その感性を命と共に守り抜かなくては。死にたくなったらまず寝なさい。そして起きたらその気持ちをなんでも良いからアウトプットして。死ぬほど叫びたいなら文章を、死ぬほど退屈ならカメラを持って外へ。」


その言葉を聞いたとき、今までもう感じなくなっていたと思っていた悲しみや怒りが、自分中で少しだけモゾっと動いた気がした。そして、そのモゾっと動いたものを無視して、辛いと感じることを辞めたら、逆に何を良いと思えるのか分からなくなったらどうしようと、危機迫るように思った。

そこで私は、危機感と共に悟りを開きたいと思うことをやめた。

死にたいほど辛くても、逆に良いものを良いと全身でビリバリと感じたかったし、幸せを味わい尽くしてから涙して死にたいと願ってしまった。

私は大人になんかなってなかった。大人になったつもりで、ただ感性を捨て、感じた事実を捨てていただけなのだ。それに気付いてからは、そこらへんに投げ捨てていた感性を拾い上げ、もっと研ぎ澄ますことを決めた。


30を手前にしたいま、あの時の決断が人生で1番の選択だと思っている。

自分の感性があって、そこを通した文章を書き、読んでいただいた人と声のない対話をする。

自分の感性があって、そこを通して文章を読み、書き手の無意識の世界まで旅をする。

例え文章を書く世界で有名になれなくても、これは私のライフワークとなった。

10代のあの日、感性を自衛する覚悟をしたからである。


「才能を使い切って見せてくれる人には、こちらも感性を使い切って感じたい」

とは、椎名林檎の言葉である。これもまた痺れるような言葉だ。


人は一生独りであり続けるからこその何かがある。独りでいる時こそ美しいものを見つけ出したい。そのために感性を磨く。

怒りをやめず嵐のようだと言われても、人の優しさに泣き、大袈裟だと言われても。

素晴らしいものに出会ったとき、全部を感じれるように。そんな日が来るまで。




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