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普通科に通う高校生が、芸大を目指すためにやったこと(その2)

いざ行かん、河合塾千種校

ついに、高校3年生になった私は、毎週日曜日に河合塾美術研究所に通い始めました。

東海3県の芸大美大を目指す高校生や浪人生が集まり、一日中絵を描いたり立体作品を作る日曜専科コース。
朝の9時半から夕方6時までみっちりと作品を作りました。

私にとっては、創作にどっぷりと浸かる時間を得る初めての経験でした。

裕福ではなかった我が家にとっては、かなりの出費だっただろうと今では思います。
ありがとう、両親。

▼前回のお話はこちらから

人生初の自分の作品がランク付けされる経験

無慈悲で残酷な現実を知る講評の時間

予備校という事もあり、1日の授業の最後には「講評」という時間がありました。
アトリエの北面にズラリとイーゼルが並び、生徒がその日作った作品を立てかけました。

講師の先生が、ズラリと並んだ作品の中から優秀作品をピックアップしていきます。
真ん中に置かれれば、それは優秀な作品であり、外側に行けば行くほど、 いわゆる実力のない作品とされていました。

思ったよりも真ん中に置かれれば、もちろん嬉しく思いました。
逆に、外側に置かれる時は言いようのない恥ずかしさと悔しさが渦巻く感情に襲われました。

それまで、作品を作ることに自分の考えを落とし込んだり、表現方法のことなど考えたことがなかった私。
自分が好きだと思っている美術で、明確な優劣がつけられることに強い衝撃を受けました。

そして、わずかな自信が、ポキリと折れたのをよく覚えてます。

今のようにネットが発達していなかった世紀末の頃。最初は何となく手を動かし、とりあえず課題をこなしていました。

私は週1回しか塾に通っていませんでしたが、平日の放課後に通う平日専科の子や浪人生が通う本科の子たちは、私とは明らかに画力の差が大きくありました。
ただ絵を描くだけの私はとてもレベルが低く、途方にくれたのを覚えています。

デッサンモチーフ「ぬらぬらと光る黒いゴミ袋」

デザイン科を目指していた私は、鉛筆を使ったデッサンが必須でした。
塾に通い始めた頃、モチーフが中身が入った黒いゴミ袋だった事がありました。

途方に暮れました。

デッサンは、物に当たる光とそこに落ちる影(陰影)を捉えて表現する事で2次元の紙に立体感のある絵を書くものです。

しかし、経験の浅い私は「真っ黒に見える物」を立体的に書く方法なんて、さっぱり分かりませんでした。

ただ、鉛筆で黒く塗って時間をやり過ごし、講評の時間にはもちろん1番外側。
いわゆる最下位グループに所属していました。

念願の河合塾にやってきたのに、当たり前ながら芸大合格なんてかなり遠そう…。
焦った私は受験攻略のための作戦を立てることにしました。

ちょっと長くなってきたので、今回はここまで。読んでくださりありがとうございました。

次回は1番為になるかもしれない実践編を書いてみようと思います。

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