見出し画像

高校2年生の頃に始まった日記を書く習慣は、今年でなんと33年目を迎えました。最初は確か、修学旅行の思い出を手元にあったノートに書き留めたことがきっかけ。3泊4日の広島・京都での思い出を、雑貨屋で一目惚れして購入したノートに、つらつらと書き綴ったのが始まりのきっかけです。

高校2年生の途中から卒業するまでの約1年半で、B5サイズのノートに綴った日記は20冊ほどになりました。
(今の家に引っ越すことが決まってから闇に葬ったので……今はもう手元に残っていません!残念……)

日々の日記を書きながらよく行っていたことは、「昨年の今ごろは何をしていたっけ?」と、日記ノートをパラパラとめくって、過去の同じ日にちを振り返ること。過去にさかのぼってページをめくり、「あ、そうそう、こんなことがあったよね。懐かしいなぁ~」と記憶をたどるのが好きでした。(まだ学生なのに「懐かしい~」って。笑)

日記を書く習慣は、大人なった今でも続いています。手帳にこだわるようになった頃からは、レフト式ページに細かい字で出来事を記録したり、1日1ページの「ほぼ日手帳」を使うようになってからは、がっつり記録を残したりも。

ここ最近はニトムズ「365デイズノート」(ハーフサイズを愛用中)に1日約1ページをフルに使って、時系列に起きた出来事や印象的だったあれこれを書き綴るなどしています。

★2023年<限定カラー>は、こちら↓

★定番カラーはこちら↓

*ブラック以外の色やサイズもあります!リンク先に入っていただくと選べますよん♪


どうして日記を続けているのだろう?

さて、私は一体どうして日記を書き続けているのでしょう?
忙しい時は書けない時もあったけれど、ずーっと、ずーっと、日記は私の生活ルーティンに組み込まれているのです。

毎日、少しずつでも書き続ける理由は、

日々の記録を残したいから。
忘れたくないことを覚えていたいから。

何年も続いている習慣だけれど、
日記を書くという行為にもきっと意味があるはず。だと思うのです。

今、ふと頭に浮かんだのが【遺す】という言葉。
もしかしたら、私は何かを遺したいと思っているのかもしれない。
普段書いている日記なんて、恥ずかしすぎて誰にも読まれたくないもの。
なのに、なぜかその漢字が頭の中に浮かんだのです。

日記を遺すというより、わたしが生きて存在していたという何かを【遺したい】と思ったのかも。大げさかな。大げさかも。

この時はこんなことしていたんだ、とか、こんなことを考えていたんだ、
というように、私が生きている間に自分自身の人生を振り返るために。
冒頭に書いたように、過去を振り返って懐かしむために。

思い出は色褪せないといいながらも、日に日に忘れてしまうもの。
下手したら2日、3日前のことだって、詳細を思いだせない時もあります。
(特に、夕飯に何食べたっけ?ってよく忘れますよね……)

人生でよい時の記憶など、勝手に自分の都合のいいように塗り替えられてる可能性だって、大いにあり。
(実はこうだったのに、全然こうじゃなかった、みたいな)
だから、新鮮なうちに、その時の事実を書き残しておきたいのかもしれない。

そして、人生の終わりが近づいたら、自分が書き綴った日記を読みながら、人生を振り返りたい。

なんてね。
こんなに穏やかな最後を迎えられたら幸せだろうな~。


人生という長い旅路は、突然終わりを迎えるものです。
人の命なんて、明日どうなっているか分からない。
突然、その人生の幕が下りてしまうこともある。
寿命という形で。

実は、このnoteにも書いたことはあるのですが、
昨年夏から身内を3人亡くしました。
この世との別れは、いつ訪れるか分からないのなら、
一日一日をもっと大切に過ごしたい、と思うのです。

平凡で普通の、特に何かがあるわけではないけれど
他愛のない日々を日記に書き綴ることは、
きっと意味があることだと思う。
今はその理由が分からなかったとしても、
きっといつか分かる日が来るだろう、と想像しています。

いつか、いつかきっと。



おまけ

★冒頭写真のおススメ文具★(365デイズノート以外)

↑私が使っているのは「himekuri memory」ですが、文房具も使ったことがあります(笑)Amazonでも取り扱っているみたいだけど、何故か価格が高かったので”文房具”を貼りました。リンク先に”memory”の詳細があるので、よかったら見てみてくださいね^^


いただいたサポートは、インプットのための書籍代や、アウトプットなど、有効に使わせていただきます。