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フリーライターchimi86のこと

初めまして。フリーライターのchimi86と申します。

noteを始めることにしました。が、何を書いていいのかまだまだ分かっていないので、私について書こうと思います。ライターになるきっかけなどを中心に何記事かはこんな感じの投稿が続くかと思います。興味はないかと存じますがご高覧いただけたら嬉しいです。

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これからフリーを目指す方、また、すでにライターとして活躍されている方々と共有したいと思い、わたしの経験を綴っています。
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ライターを目指したきっかけ。それは……パニック障害

ある年の秋。それは突然襲ってきました。
久しぶりに仕事が早く終わり電車に乗っていたのですが、何となく身体の調子がおかしい……何だろう……と考えながら自宅の最寄駅に着いたのです。

あとは家に帰るだけ、あと少し。
そう思いエスカレーターを上がりました。
しかし、最寄駅に着いたことで安心したのか、駅の椅子に倒れ込んでしまったのです。

「これは助けを呼ぶしかない」と直感で思いました。
頑張って駅員さんのところまで行き、「すみません。具合悪いんです」と言った瞬間……
息苦しさが、そして寒気と眩暈が……わたしを苦しめました。

駅員さんが車椅子を用意してくれて、(そんな大袈裟なとは思いましたが、立ってもいられず乗ることにしました)救護室みたいなところに。
わたしは、怖くて怖くて駅員さんの手を離すことができません。

わたしの推測ですが、急病人が出た場合救急車を呼ぶことになっているのでしょう。「救急車呼びますからね、保険証はありますか?」と。
かばんの中から財布を取り出し「この中にあります」と言いました。

その間のわたしの身体はどうだったかというと……
天井がくるくると回っている状態。そして息が苦しくて話すことができない。不謹慎だけど、「あ、死ぬときってこうなんだ」と思いました。

「持病はありますか?」とかいろいろ聞かれているのですが、答えることはできません。

救急隊員が到着し、わたしの脈拍やら状況やらを詳しく見てくれていました。そして、「○○○かもしれないね」と言ったのです。初めて聞く言葉に聞き取ることができません。しかし、次第に身体が元の状態に戻っていったのです。不思議な感覚でした。

何事もなかったかのように……です。

「もう大丈夫になったでしょ」と救急隊員。
念のため、救急車まで移動しましたが病院まで行く必要がないなと判断し、自宅に帰ることになるのです。

自宅に着いてからも大変でした。
気が抜けた瞬間過呼吸になったのです。
かばんも抱え、服も着たまま横になるしかなかったのを覚えています。

わたしは、妹と住んでいます。
わたしも妹も過呼吸がどんな状態かその当時は知りませんでした。
「心臓発作」かもしれない……と、不安は不安を仰ぐのです。

「救急車を呼んでほしい」と妹に頼み、近くの病院に運ばれることに。
今考えると、過呼吸ごときで救急車を呼んで申し訳ないと思いますが必死でした。

ただし、過呼吸にあるあるなのですが、病院に着くころには症状が治まります。日にもよるのか人にもよるのか。発作は短くて15分。長くて1時間で治まります。

病院の医師、看護士さんは察していました。
「パニック障害です。落ち着いたらささっと帰ってください」と。
そりゃそうです。
夜間診療でした。
いつ何時急患が運び込まれてくるか分からないのに、わたしみたいな大したことのない患者は受け入れたくはないのです。

病院の休憩室で少し休んで、妹と帰宅することになりました。
このとき、安定剤と救急車の請求があったので翌日支払いに行くことになります。

この日から、通常の生活ができるようになるまでの約5年間。
わたしは、未知の病気と闘うことになりました。

chimi86

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