物語依存症

どうも~千夏です。今回は物語に依存してきた話をします。

よく辛い現実から逃げるために小説を読んで逃避するという話を聞く。

自分はいつもそうしてきた。小学生の頃までは娯楽だったドラマや小説が中学生以降気づけば逃避の材料になっていた。

逃避するのは現実から離れることだが、それだけではない。他人の人生の話に時間を使えば、自分の人生を生きる時間が短くなる。だから惰性でも、どんなにつまらない物語にでも時間を費やしてしまうのだ。

今思えば明らかにあの頃の自分はおかしいと思う。週にドラマを3本見て、小説は7,8冊読んで、映画は2,3本見ていた。

(ぼーっとニュースを見るのは毎日2時間、バラエティ番組は週5,6時間くらいだった)

おかしいのは数ではない。おかしいのはそれだけ見ているのに半分以上内容も覚えていなければ感想もでてこなかったことだ。しかも見ていても満たされなかったし、楽しくなかったのである。


読書は好きだったけれど、おすすめもなければお気に入りの本もよく分からなかった。

感情が分からなくなるくらい見ていたのか、感情が分からない精神状態だから依存したのかは実は自分でもよく分からない。

ひまなの?と思われるだろうが、中高生時代は当然たくさん勉強する必要があった。勉強するたびに考え事を思い出しては泣いていた。自分の感情を無にすることでなんとか日々つらいことに耐えていたのかもしれない。

不思議なことに大して思い出しもしないようなドラマでも、生きる気力がなくなると、あのドラマの放送日までは生きてみようと思えた。

依存しやすい自分は物語以外にも多くのものに依存した経験があった。

友達に依存してしまったし、チャットやツイッター、グラビティ、掲示板、配信アプリなど多くのものに依存していった。なんと依存遍歴の多いことか(笑)

昨年の9月頃、課題ややりたい勉強をミッションと称して、やるべきことをやるのを義務だと感じないようにした。するとなんとなく前よりやるべきことをやるのが楽しくなっていき依存が減った。物語も音楽もドキュメンタリー番組もニュースも見すぎず、惰性ではなくきちんと時間や量を選んで見られるようになった。

なぜこんなことを書いているかというと、突然高校生の頃の依存している自分に戻ってしまったからである。

おととい家族との会話で感染症流行の話が出た。いつもならさらっと受け流せるのに、家族が「いつまで続くのだろう、お先真っ暗だな」と吐露したことから自分の心の糸が切れてしまった感覚があった。

そのおとといの夜眠れず、一つドラマを見てから寝た。

たまたまはまっていたドラマを12本全て見て、別のドラマも6話のうち6話観た。そして、ドラマ以外も5本、カムカムと今やっているこれまた別の番組も観た。一日のほとんどをドラマやバラエティに費やしてしまった。久しぶりに惰性で見てしまったので観ても楽しくはなかった。

ただありがたいことにこのnoteのスキやコメント、連続記録に助けられて、苦しくても、数分とはいえ運動と検定の勉強は続けられた。アプリで日記もつけていたので他人に当らなくとも自分の中でなんとか感情を処理できた。ただ今日もそんなふうに惰性で見てしまったため二日続けるのはさすがにまずいよなと思い始めている。食事も睡眠も多少削るだけだが、こんな長期休みの過ごし方、本当はもったいないし、自分自身のためにも家族のためにも良くないだろうと反省している。

もしも同じように何かに依存している人がいたら言いたい。必要以上に責めないで、と。ただ終わらせるための解決策は必要だ。

自分の場合、解決策はミッションを毎日立てる習慣を復活させることだろう。再来月良い報告ができるように堕落生活から抜け出せるように少しずつもとに戻りたい。いや、元以上になりたいし、なる。

苦しいことも、失敗もこうやって書き出せばただの愚痴よりはましな発信ができる。失敗を教訓に変えられそうな気がする。いつも見てくださっている皆さん本当にありがとうございます。