「平均点」という虚構の生徒

日本全国の学校には、いないはずの生徒がいる。


今回は定期テストの話である。作る側の事情を書く。

私は平均40点の問題を作成したことがあれば、85点の問題を作成したこともある。また、ある年度のあるクラスでは、4回連続で67.2点だったことがある。1文目だけ読めば、問題作成が下手な教師と思われるだろうし、2文目だけ読めば、問題作成が上手な教師と思われるかもしれない。

ここで問いたいのは、平均点に振り回される教員の馬鹿さ加減である。

集団の出来不出来に囚われる先生方の姿は、残念に見える。また、最初から平均点の目標ありきでテスト問題の作成をするのも、残念に見える。生徒個人は固有名詞だが、平均点は普通名詞である。我々は生徒と固有名詞の間柄で過ごしているはずなのに、テストの世界では固有名詞が消えて、平均点という普通名詞が占領するのである

私は前述の、平均40点の定期テスト後に教科主任と面談し、いろいろと説教を受けた。平均点が低いのは担当である私の責任だということになるのだが、私の責任として受け止めたとしても、平均点を高くする努力をするのも違うのではないか。わかる授業をする努力は必要だろうが、極端なことを言えば、成績を上げるのであれば脅せばいい。脅して上げた平均点に納得するんなら教師なんてやめちまえ。しかし、教科主任も立場があるので、次の定期テストで平均点60点を目指すことになり、無事に平均点60.2点で目標達成。これは教務主任が私のいないところで脅したようなので、教科主任もある意味被害者だ。私が被害者にしてしまったのだけれど。

こんな茶番をやっていても私自身のスキルは上昇しないので、点が著しく低かった生徒に聞いてみた。ずばり原因は何なのかと。さすがに担当者の目の前で都合が悪いことは言えないのだろうが、こんな答えが返ってきた。

・将来のことで悩んで、内容が頭に入らなくなった

・先生の顔が優しいから、後回しにしていた

・ペットが死んだショックで悲しみに暮れていた

問題の所在は、教科の内容ではなく、私生活や優先順位のつけ方に終始した。これは教科指導ではなく、本人の成長や時間の経過を待てば解決する話じゃないか。

平均点に囚われていては、満足に指導に集中できない。目安にはなるが、信じ込むと害悪にしかならない。再提示するが、学校には「平均点」という虚構の生徒が存在する。一人一人の生徒の努力と怠惰の上に平均点があるのに、何もかもを教員の責任として抱え込んでいるうちは、学校教育は駄目になる一方だ。

別件で、行政が全国学力テストの平均点に口を出す話はまた今度。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?