アクセルとブレーキを同時に踏むと、壊れるのだ…

前回、前々回につづき、大学時代で自分のものの見方が変わった話を書くことにします。
私はトラウマ治療の後半ごろ、男性全般への強烈な怒りに苦しみました。

男性を無差別に痛めつけてやりたい!プライドをズタボロにという気持ちが湧いてきて、抑えるのがとても苦しかったです。
でも私がその怒りを整理する助けになったのは、大学時代の記憶でした。


私は高校までを地方都市で過ごし、大学のみ東京に進学しました。今はまた違う地方に住んでいます。複数の地方に住んだことが、自分のものの見方に影響を与えたと思っていますが、ジェンダー観もその一つです。


1.大学で出会った女子たちが、自己主張できる理由

私が通った大学には主張の強い女子が多かったです。
ふだんの何気ない会話でも議論ぽくなる子もいたし、みんな口喧嘩はメチャクチャ強いのです。
私は挑まれては全敗していました。

ただある程度親しくなってみると、実は思いやりのある子だった人が多かったです。もちろん、全く思いやりのない人もいましたが(笑)。

当時の私はこのタイプの女子に出会ったこと自体が初めてで、本当に戸惑いました。
正直、入る大学を間違えたんじゃないかと悩みましたし、彼女たちを「女性らしくない」と批判的に見ている自分もいました。

当時の私は、自分が刷り込まれてきたジェンダー観を疑うこともありませんでした。


1-1.男子の視線におびえなくて良かった人、おびえてることも気づけなかった人

治療中に男性への怒りに悩みながら、なぜか彼女たちを思い出しました。
どうして彼女たちは、自己主張に抵抗がなかったんだろうと初めて考えました。

そして、ああなるほど…と自分が育った地方が、いかに女性を抑圧してきたかに気づくことになりました。


大学で出会った「主張の強い彼女たち」は首都圏のザ・進学校な女子校出身者か、女性に抑圧的でない地域の出身者だったのでしょう。
主張をするときに遠慮をしなくても生きてこれた人たちだったのだなと…。

私が高校まで見てきた世界では、陰湿な陰口はあれど、女子が堂々と自己主張するなんてありえませんでした。何なら物を知っていても、知らないふりをすることが多かった。

高校時代の感覚では、女子よりも実は男子のほうが怖いなと思っていました。こう感じていたのは高校だけかも…。

真面目で融通聞かない女の子のところに、わざと罰ゲームでお菓子を持って行っていたのも男子たちでした。

私も受験生の時、志望校を迷っていたら同じクラスの男子から、
「ねえ、志望校さっさと決めてくれない?ちくわさんいたら、(合格者の)席が減るんだけど」
と言われたことがあります。


言われた私は凍りつきました。そして、その人が男子相手にはそんなことを言わないことも分かるのがまた…。

また高校に通っていた当時から、学業優秀なのに地元の大学に進学する女子が男子よりも多いことも、何となく気になってはいました。
その頃は深く考えていなかったけど…。


1-2.身の丈以上を求められる男子、身を縮めるのにエネルギーを使う女子

とはいえ、こういう意地の悪いことをする男子生徒にも特徴がありました。国立大学医学部や難関大学など、頑なに実力からかけ離れた進路を希望していたことです。

彼らのやってきたことは許されることではありませんが、実力よりもはるかに高い目標を期待されつづけるのも苦しいでしょうね。

私の育った地元の場合、真面目にお勉強をする層は、

・男子の一部は身の丈に合わない高い目標を押し付けられて性格が歪み、
・女子は自分のもつエネルギーを、反発を買わないよう押さえつけることにエネルギーを使い、

と、それぞれの性別(ここは便宜的に男性/女性とします)への期待が偏り、時には加害者的/被害者的な立場になりつつも、みんなどこか生きづらかったのではないかと思います。


2.アクセルとブレーキを同時に踏みまくって壊れた私…

私はトラウマ治療を受けていたとき、
「自分が男性に生まれていたら、ここまで心身を病まなかったのではないか」と思ったことがありした。

勿論、男性の大変さは想像しているつもりです。「仕事をしろ」という圧で苦しむのは、圧倒的に男性が多いと思うからです。

ただ男性が課せられるタスクは、女性に比べてシンプルなように思います。男性が貸される目標は、一方向なんです。社会的成功、経済的成功など…。
シンプルだけど求められるもの自体大きいのが、男性のタスクの特徴だと思います。

一方女性が求められることは、複雑です。
優秀さは求められるけど、悪目立ちしないように。男性には勝てない、または男性のプライドを傷つけないように。


※不健全な家庭は、両親の「プライド」も地雷になる

そして不健全な家庭では、「母親のプライドを満足させる」ことを求められながらも「母親よりも成功しない/生き方で母親を否定しない」ことを求められる。(これ、何を隠そう我が家の話です)

また私の場合は、父親のプライドが意外と厄介でした。受験勉強を頑張れば、
「お前とママはブランド志向なんだよ!」
とキレ口調で当たり散らされ、大学に進学しても、
「大した大学じゃない」と言われる。
(※一応、父よりは勉強したつもりです…)

プライドが揺らいだ男性の陰険さは、まず父に、次に高校の同級生男子に教えられました。


おわりに

相反することを同時に求められる。自分のアクセルとブレーキを同時に全開で踏みつづけるようなもので、いつか壊れる日が来ても当然だ。
私が心身を病んでしまったのは、自分が弱いからじゃないんだと初めて思うことができました。

そして散々女子に遠慮させて、譲らせておいて、譲られていることにも気づいていない当時の同級生(高校)には改めて、腹が立ちました。
(ご縁もなかったけど)私は地元で結婚しなくて正解だったのでしょうね。結婚してからあれこれ気づいたら、しんどすぎたと思うから…。

幸い今の地元は、女子に対してそこまで抑圧的ではなさそうです。ここで子育てできるのは、ありがたいなと思っています。

私のトラウマ治療をしてくださった臨床心理士の先生は、決してフェミニストでもなかったと思います。
ただ私の場合は、育った地域のジェンダー観の偏りを理解することが、そのときの自分を見る「補助線」にはなりました。

今日は、トラウマをジェンダー観から眺めてみました。家庭内だけでなく、地域のもつ歪みがもたらすものもあるんだなと感じています。




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