中学時代、母の殴る蹴るの暴行が2週間つづいたときのこと

最近のnoteでは、母や教会の大人たちの話を書いてきました。
今日からこのnoteのなかの私も中学生になりますが、一言でいうと生き地獄。

中学時代は私も「それどころではなく」、キリスト教のことで悩むことはありませんでした。
ただこの時期のあれこれが、後にメンタルを壊すことになる重大なポイントになるので、書くことにしました。

1.相変わらずな教育虐待と、学校でのいじめ

母からの教育虐待は、相変わらずでした。
あるとき数学で85点をとってしまい、殴られると思った私はとっさに、
「でも女子では一番だっんだよ」と言い訳をしました。
しかし、ひょんなことから100点を取った女子がいたことを母が知ってしまい、ボコボコに殴られました。

また私は後に、いわゆる進学校に進みますが、中学時代、一度ここを目指し続けることに限界を感じたことがあります。それを母に訴えたときも、スリッパで何回も殴られました。

学校でも暗黒時代というか、毎日神に、
「もう明日、目が覚めることはありませんように。私はもう生きていたくないので、私の残りの寿命を生きたい人にあげてください」

と祈っていました。

神に祈ったところで、母の暴力やいじめがなくなることはないことは、とっくに身に染みていました。

また、私の通っていた学校は荒れていて授業が成立しないこともありました。
一部の教員は大多数の生徒の人気を得るために、みんなの前で優等生で転校生の私を馬鹿にすることもありました。

私はしがない専業主婦ですが、そいつらが一生感じることのできない、ささやかな楽しみをキャッチする力を身につけました。
そんな今だから「でも私、あいつらより幸せだもんね」と静かに思えるようになったものの、当時はそんな未来があることも知りませんでした。

(とはいえ、私は「いじめられても必ず幸せになれる」と安易に言うことはできません。
私も自分が幸せだと思うまで、虐待の後遺症も相まって、「子どもの時に死ねばよかった」とばかり思ってきたからです)

あの頃の私にとって「私の命を終らせてください」は最後の手段だと思いましたが、それさえも神が聞き届けることはありませんでした。


しかし母には、私が友だちが誰もいない人間だとは思われたくなかったのですね。あまりにも惨めだったから。
(中3の終わり頃には、3人、4人友だちはできました。卒業後、通学路でばったり会って色々話せるようになった人もいました。
 みんながみんな、私を憎んでいたわけではなかったと、そのとき知りました)

また言い訳をすると、この頃は私の兄弟への激しい暴力も始まっていて、なぜだか知らないけれど、とにかく間を持たせなければならないと思い込んでいました。

家の雰囲気を最悪にしているのはあくまで母親であり、兄弟を殴っているのも母親であり、私がそれを和らげる義務は何ひとつなかったのです。
でもんなことは、当時の私には分からなかった。

2.学校生活を楽しんでいるという嘘をついた私
ーその嘘がバレて毎日殴られて続けることに

だから、私は嘘をつきました。
学校でいかに自分が友達に恵まれているか
、架空の楽しいエピソードが、作ろうとしなくても毎日口からポンポン出てきてしまいました。

そしてその嘘がほころびを見せたことをきっかけに、毎日学校から帰ると同時に母親から殴る蹴るの暴行を受け続けることになりました。
「一番の被害者はママよお!!」と叫びながら、私の髪の毛を引っ張って床に引き倒し、母自身が疲れるまで暴行は続きました。

父は母の暴力を知っていましたが、母を止めることはありませんでした。
「殴られるだけのことをしたんだ。自分のやったことを考えなさい」

そう言うと目を逸らし、さっさと自室にこもっていきました。

暴行を受ける生活は、2週間つづきました。
ある日の夕方、母は急に憑き物が落ちたような表情になりました。
「もう一回ちくわのことを信じてあげる。
 これから心を入れ替えて、まともになりなさいね」

と言い、その件で殴られることはなくなりました。単に殴ること、怒ることに飽きたんでしょうね。
恩着せがましい言い方だったのを思い出します。

別件ではその後も殴られ続け、身体の暴力は高校卒業まで続きました。
また、この時私が嘘をついたという話は、母にとっては私を攻撃する「伝家の宝刀」のようになりました。
私が母の言うことに従わないと、このエピソードを出してきて金切り声で延々私を責め立てました。)

3.「すべて自分が悪い」と思い込み、虐待されていると気づけなかった私

私が大学時代にメンタルを崩した時、大学時代の友人にこのエピソードを話したことがあります。
「私、本当は中学の時に壊れてたんだよね」と…。

そのとき彼女が言ったのは、
「ちくわちゃんのお母さんは、自分がそれだけ信用されてなかったんだって思わないんだね」
というものでした。

つづけて彼女が言ったのは、
「ちくわちゃんのお母さん、それだけ殴るのは異常だよ。親ならパーンと1発叩いちゃうことはあるかもしれないよ。
殴り続けるっておかしいよ。それも何日も同じことで殴るってどうかしてる。
ちくわちゃんは被害者だよ。
もうメンタル病んだことについては、親に対して、『産んだ責任とれ』で良いんだよ」

というものでした。

私はやっぱりポカーン。
世界がひっくり返るって、こういうことなんだろうなと…。

それにしても母は子育てに対しては何故か自信満々。母が「もしかして自分が間違えてるんじゃないか」と思うことは一度もありませんでした。

そんな母も、このとき私の父方の親戚の勧めで私を精神科に連れて行ったことがありました。
でも結局、母が拒否したことで私は治療を受けられず…。

つぎの記事では、その話を書いていこうと思います。

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