私がトラウマケアに、臨床心理士をお勧めしたい理由


まえの記事では当事者として実感した、トラウマ治療の専門性の高さについて書いてきました。


トラウマ治療は「当事者の心身の安全」がとにかく大切で、それを守りながら治療を進めるのは並大抵のことではないというお話です。

私が身近な人からトラウマ治療の相談をされたら、間違いなく臨床心理士(トラウマ治療のトレーニングを受けている人)のところへ行くよう勧めると思います。

私は当事者でしかないので、他人様に「回復のためにはこうしろ、ああしろ」と言える立場でないのは重々承知しています。臨床心理士による被害がないわけでもないし、絶対…はありません。

ただ臨床心理士が資格を取るのに何年も掛かるのに対して、カウンセリング系の資格の中には数週間でとれてしまうものもあること。
これは、知っておいて損はないと思います。

そして…私が心配していること…。
もう何年も前、私が一時期アダルトチルドレン(AC)当事者のブログを見ながら、
「当事者が臨床心理士などの過程を経ず、専門のトレーニングを受けずに『カウンセリング』をしてしまうのは、危険かもしれないな」
と思ったことがありました。

今日はその辺りの話をしようと思います。



※私は特定の「ACカウンセラー」を批判したいわけではありません。いくつか例を上げますが、こうした方はネット上に何人もいらっしゃいました。

※私が、公認心理士ではなく臨床心理士を個人的にオススメする理由は、公認心理士になるルートは一時期広過ぎたようで…ゴニョゴニョゴニョゴニョ。


1.私が、臨床心理士でないアダルトチルドレン(AC)カウンセラーの発信を見ていて思ったこと

私はトラウマ治療を始めたころ、アダルトチルドレン(AC)当事者のブログをよく読んでいました。苦しんでいるのは自分だけではないことに安心したり、他の当事者のことばを参考にしたりしたかったからです。

私は今、「アダルトチルドレン」という言葉は使っていません。
「アダルトチルドレン」という言葉が含む世界が広すぎて、かえって虐待被害を軽く見られるのではと危惧しているからです。
その代わり、私はXやnoteで「虐待サバイバー」と名乗っています。お世話になった臨床心理士の先生も「サバイバー」という言葉を使っていました。) 

そこで、発信者の多くが「回復した(しつつある)当事者」として、他の当事者に「カウンセリング」をしていることを知りました。
(今は公認心理士の制度もできて、カウンセリングという言葉はあまり使っていないかもしれません)

最初は「他の人のカウンセリングができるくらいに回復した人の言うことなら参考になるかもしれない」と思って読んでいました。しかしブログを読み進めるうちに、「これはマズいのでは?」と思うことも増えてきました。


2.私が見た、トレーニングを受けていない「カウンセラー」のマズい事例


具体的には、AC支援を求める人たちがどんなところに「苦手さ」を持っているのかをご本人たちが捉えていないまま、「カウンセリング」と発信をしていました。

たとえば…。

2-1.ACの「理想的なゴール」を決めて、発信する。

最初は親と交流を経った立場で発信していた(メディアにも出ていた)のに、自分が親と和解した途端、「親をゆるしたほうが楽だよ」「親と仲直りすべき」と発信しだす等…。

当事者が「自分で決める」ことを取り上げるのは、違うよなと思いました。
またこの方は当時のAC界では有名な方で、やむなく親から逃げざるを得ない人たちを追い詰めないか心配でした。現に私は、自分の背景から怒りを覚えました。

2-2.クライアントからのプレゼントをブログにアップする

こんなことをしたら、他のクライアントさんが「自分もお土産もっていかなくちゃ」とか、「素敵なお土産用意しなくちゃ。どうしたら良いか分からない」と、不安になったり気を使ったりするだろうなと…。

当事者は「他者に気に入られなければいけない(気に入られなければ、酷い目に遭う)」という思考回路が「標準装備」になっています。←私の話です。

支援者は当事者のそうしたスイッチを押すふるまいを慎むことも重要なのではないかと、私は思います。私の経験上、「気に入られなきゃスイッチ」が一度暴発すると、落ち着くまでに疲弊してしまうからです。
(トラウマ治療後はこのスイッチも、暴発しなくなりました。これも大きな変化です)

2-3.クライアントからの感想メールをブログにアップする

トラウマ治療を受ける前の私は「自分が何を感じるのか」に自信がありませんでした。
解離などのトラウマ症状で「感じる」ことが苦手でした。そして、たとえ感じても「これは感じても良いのだろうか」と自分の感情を常に検閲していました。

そんな状況の当事者が、「見本の感想」を見てしまったら、自分の感情を拾うことがますます難しくなります。
実際、私の治療者(臨床心理士)は、私が感じることを大切にしてくれました。

私の回復の過程は(今もポンコツ人間ですが)、感じることから始まりました。

感じることができる
→好き嫌いが分かる
→決めることができる
→小さなことを決めていく積み重ねで、人生を自分の手の中に取り戻す

というように…。あくまで私の場合ですが、支援者やカウンセラーが当事者から「そのまま感じる」ことを奪うのは、マズイなと思います。


2-4.クライアントの愚痴をブログに書く

これは私から付け加えることは、何もないです…。


ここまで書いてきて気づきましたが、臨床心理士であっても上に書いたことをやっている人はやめた方が良いかもです…。


3.治療者は、当事者の「境界線の弱さ」に適切に対処できることが大切なのではないか…

これは主に私の話ですが、虐待サバイバーは「自分と他人の境界線」の弱い人が多いと思います。支援者とクライアントは、どんなに支援者が気をつけても「対等」になることは限りなく不可能ですよね。

クライアントは、支援者が思う以上に支援者の言動に左右されるし、動揺する。
私がマズいと思った、当事者カウンセラー(臨床心理士ではない)の発信は、いずれも「境界線の問題」への理解が乏しいと感じるものでした。

臨床心理士になるためのトレーニングは、自分の言動がクライアント(境界線が弱く、感じることが苦手な人たち)にどんな影響を与えるかを学ぶためにとあるのだろうな、と考えさせられました。
トレーニングには、先ゆく先輩たちが実際のセッションを指導し、評価する場面もあるからです。


最初のほうにも書きましたが、私は「こんな人はやめたほうが良い」「こう言う人のところに行ったほうが良い」とは言えません。
たまたま行き始めた臨床心理士さんが合っていただけだから…。

ただ治療者・支援者がどれくらいトレーニングを積んでいるかは、治療者を選ぶ上で重視して良いのかなと思っています。
今日の記事は、ほぼそれを言いたかったのです。
当事者だから、ベストな治療をできるわけではないかもよ(ゴニョゴニョ)と…。

ただ私は、当事者同士の語らいにも、すごく助けられました。山上容疑者の事件で記憶の蓋が開いてしまい、Twitterに宗教2世としてのアカウントを作りました。
そのときに、わちゃわちゃお話しできたことは、「宗教2世としての自分」が楽になるのに、本当にありがたかったです。

1対1ではなく、いろんな方と繋がれたのが良かった気がします。意外と宗教虐待以外の話をちょこちょこできたのも、元気をもらえています。
似た境遇で、私よりももっと大変な境遇で頑張って生きている人たちがいることに力づけられました。

「ケアする/ケアされる」という関係ではないのもポイントだったと思います。うまく言えないけれど…。
この辺りと整理して書いていければいいな。

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