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「あなた」のフレームは何で構成される? | フォトグラファー 筒井心一 Interview

名前や年齢、性格、経歴、
ましてや言葉さえも発することなく、
「あなた」という人間を説明してくださいと言われたら、
どのような表現が思いつくだろう。

親、子供、友人、パートナー、
仕事、家、社会、空気、時間、、、
あなたを取り巻く世界には当たり前に
色々な人や事や物、要素が
必然として成り立っているけれど、
そのどれもが当たり前すぎて、
とても大切な要素であることを
私たちは忘れてしまってはいないだろうか。

NY在住の Photographer 筒井心一を取材し、
日々すれ違う人や自身の日常生活を通して
自分を表現していくことの意義、
そして「世界」の捉え方を聞いた。



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筒井 心一 Shinichi Tsutsui

ファッションスナップ雑誌「STREET」でのNY撮影担当を経た後、個人のフォトプロジェクトとして “#TheWayYouWEREThatDay” を2015年末にスタート。マンハッタン、ダウンタウンの若者を中心に、自身の日常生活のなかで出会う人々と新しい文化を写真に収め続けている。






NYのイケてるギャル/ギャル男、そしてカルチャー


スナップ撮られる際に、まあ基本はその "ファッション" っていうのが軸にあるとは思うんですけど、最初に見た時のスタイリング以外で「あの人撮りたいなー」みたいな、ファッション性以外で気にしていることって何かありますか?

筒井:
あー、一言で言うとファッションっていうより「カルチャー」っていう軸で撮りたいなっていうのはずっと思ってますね。しかもそのカルチャーっていうのも、、、あの日本って "◯◯系" とか、ギャル男とか原宿系とか、たくさんあるじゃないですか。New York であんま無いんですよね、そういうの。スケーターとか、そういうのはあるけど。ファッションにおいてあんまりその、縦割りの概念というか、そういうカテゴリー別けの概念があんまり無くて。多分それって日本人の特性だと思っていて。自分が昔ギャル男だったからっていうのも多分一つ起因してるんですけど、New York のギャル/ギャル男、イケてるギャルとギャル男を撮ってるっていう感じで一応やってます。だから、日本語で俺がよく言うのは「おしゃれな人」じゃなくて、「イケてるやつ」を撮るっていう風によく言ってるんですけど、、、まあ、もちろんおしゃれだと思うんですけど、おしゃれなだけじゃなくて。「イケてる」って多分、すごいアホみたいな言葉なんですけど意外と含蓄があるというか。「イケる」って難しくないですか?オシャレになるのってなんとか見た目で取り繕ってどうにか出来ちゃうことってあるけど、イケてる人になるってすごい難しいじゃないですか。で、それってやっぱり年齢的な問題もあるだろうし。服だけに限らずその、連んでいる人だったりとか、そういうコミュニティによっても変わるだろうし。それでその人の所作だったりとかも変わってくるわけだし。その、やっぱちょっと「取っ付きにくそうな人」ですよね。話しかけるの毎回めちゃくちゃ怖いですもん(笑)

そうなんですね(笑)

筒井:
はい、毎回もう手震えながら写真撮ってますけど(笑)苦手なんですよね、知らない人に声をかけるの。
だから、なんかそういう感覚です。それも一つの自分のバロメーターとしても使ってて。怖いし声をかけたくないけど、それでも、なんとしてでも撮りたい!って思う人以外撮らないっていう風に決めるようにはしてますね。そういう、なんか中途半端な人で数を増やすっていうよりかは、今の若者、特に New York の Manhattan、Downtown Fashion Kids の本当上澄というか、俺が思う "上澄の人たち" を定点観測的に、長期間に渡って撮り続けるって言うのが多分、この写真のプロジェクトのテーマで。そう、だから多分年齢も30歳ぐらいまでだと思いますね。大体10代後半から20代前半ぐらいだし。やっぱそれって、別に年齢を気にして撮ってるわけじゃないけど、自分が定める撮る人の枠組みの中で撮ると、どうしてもその年代になってくるってのは、やっぱりあって。

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ちなみに、以前「STREET」で撮影担当されていたじゃないですか。ああいったスナップ雑誌って最近どういった状況なんでしょうか。自分も雑誌を本当に買わなくなったので。全盛期の時っていうか、1番盛り上がってる時は買ってたんですけど、私も。もう全然見ないし。どうなってるんだろうな、と思って。

筒井:
うーん。色々頑張ってたけど、ファッションウィークの写真ってなると、今もうインスタグラムでそうゆうのあげてる人がたくさんいるじゃないですか。それこそ、Street Fashion Photographer が多いから。ま、そうゆう人たちの見れば良いじゃん、ってなって。昔は価値があったと思うんですけどね。その、ネットも無いし、そうゆう本があったとしても海外から取り寄せるのか?ってなった時に「STREET」しかないっていう状態だったから。ファッションウィークの写真だけでも価値があったと思うんですけど。今もう、それを誰でも簡単に真似できるようになって、何処でも発信できるようになっちゃったから。まあ、ちょっとそこで、、、っていうのはあるのかもしれないですね。悲しいけど。

なるほど。。その流れでなんですけど、筒井さんも主にインスタグラムでやってらっしゃるじゃないですか。でもたまに、この前とか「ステッカー販売してます!」みたいなの見たんですけど。なんかその、ネットじゃなくて、雑誌なりステッカーなり、 "モノ" として製作する意味っていうか、、、まあ単純に、なんでステッカーにしようって思ったのかな、とかって言うのは何か。

筒井:
なるほど。うーん。なんか俺もまだ途中というか。アウトプットの方法、ショーケースの方法をどうしたら良いのかは、自分でも全然はっきり分かってなくて。結局やっぱ記録をしていくっていう作業と、Street Photography の大きな2つの作業って、まず "写真を撮ること" じゃないですか。撮った写真をどう見せていくか、どのタイミングでどう見せていくのかっていうところになってくると思うんですけど、その「STREET」とか「FRUiTS」とかもそうなんですけど。結局、昔の写真だから価値が出るっていうのもあるじゃないですか。20年前のスナップだから見てて興味が出るなーとかも絶対あると思うし。まあだから、俺が自分のスナップを始めた理由の一つとしては、今撮ってどうこうというよりかは、とりあえず、まず撮り貯めて、でそっからまあ20年経ってからじゃあどうしよう?っていう気持ちでやろうかなっていうつもりで始めたものだったので、、、
で、やっぱり時代の移り変わりと共に雑誌が売れなくなって。実は2年ぐらい前に出版していて、大好きな本屋さんに置いてもらえたりそれを通して色々な人に写真見てもらえる経験になりました。本当に嬉しかったですね!ただ、その反面自分の写真の表現方法として本、というのがまだ100%しっくりきてないなーという感覚もあって。そういう意味でまだまだ模索中です。それと使用してるカメラですが基本的にデジタル一貫です。フィルムカメラあんまり、使いたくなくて。

そうなんですね。

筒井:
ていうのも、このプロジェクトにおいて一番大事なカメラの要素は ”ちゃんと記録できる” 事なので、撮影のプロセスからデータの保存まで簡略化されていて管理しやすく、かつ比較的ミスやデータの消失が少ないというのは本当に大事なポイントで。もちろんフィルムの美しさ、その工程の楽しさは素晴らしいです。フィルムを使ってた時期もあるんでその良さもすごくわかります。そのフィルム独特の楽しさゆえに ”写真を撮る事” 自体が目的になってしまって、自分の中で ”何をどういう理由で撮るか” という所が欠落してしまう事がある事に気付いたんです。これって本末転倒だなと。
こと、このプロジェクトに関してはやっぱその、本質的な部分がズレちゃうなって思ってから、フィルム、ヤべーぞと。(笑) 現時点ではもうフィルムは撮らないでいこうっていうのは、ちょっと決めた部分もあって。でもまあ、この先どう気持ちが変わっていくかは俺にもわからないですが。(笑)
結局、インスタグラムはもう、あれはあれで使い続けて、現状を見せる場所として使って。あともう本当に名刺代わりですよね。俺はこういうことやってますよっていうのを人に見てもらって、一発で分かってもらえたらいいな、っていう場所にしようっていう。それ以外は正直あんまりまだ、、ちゃんと自分の中でもはっきりどうしたいか分かってないっていう部分がある上での、っていう感じですね 。

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んーなるほど。やっぱり日本でもこう、ステッカーを使って、作っていっぱいばらまいて、みたいな人ってやっぱり多くて。確かに、ステッカーも名刺代わりって考えると、すごい使いやすい方法ですよね。

筒井:
そう、そういう感じでやってて。まあなんか、んー、ステッカーってやっぱ身近だしストリートカルチャーの一つでもあるじゃないですか。その手軽さみたいなところもあるけれど、なんかこれをアートピースと言うかこれをアートワークにできないかなっていうのは、ま、ちょっと考えてて。なんか雑誌よりも俺こっちの方がなんか性に合ってるかなという気はしてて。だからなんか、シートにしてみたりとか。まあちょっとそれも全然模索段階なんで、何とも言えないんですけど。全部これ家で作ってるんですけど、、だから本とかになると、さすがに家では作れないから。なんか全部自分の手でコントロールしたいっていうのもちょっとあって。何か作りたい時に適宜作れるっていう気軽さも良いし。んー、そのへんは本当にまだ全然模索中と言うか、やりつつたまにアップデートして、ぐらいな感じなんですけど。これを一つ魅せる方法としてもう少し昇華していけたらいいなっていうのはずっと思いながら、やってはいるって言う感じですね。

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多様から生まれる「流行」、逆らえない「潜在意識」


筒井:
逆にあの、どういう経緯で今回僕にインタビューしようと思って頂いたんですか?

いや、元々その「STREET」がすごい好きでやっぱり。スナップもある意味そうなんですけど、ポートレート写真が個人的にずっと好きで。人物の、なんていうんですかね、"人物焦点" みたいなアートが結構好きで。それもあってスナップもすごい、ある意味見やすいというか、なんか好みというか、気になってるなっていうのに気づいて。
スナップで見るファッション性ももちろん、何でしょう、まあそれこそ「FRUiTS」を見るより「STREET」の写真を見る方が元々好きだったんですよ。なので単純にその外国の風景が好きっていうのもあれば、海外の人のファッションセンスみたいなのってやっぱり違うじゃないですか。そういう部分とかも、やっぱり一枚の写真だけどすごい現れてる気がしていて。

筒井:
そうか、そういうところもあるのかなあ。日本のスナップはもう殆ど、、だって今、無いですもんね。あんまり見ることがないから、あんまり比較も俺もできないですけど。まあでも、確かに多種多様ではあると思うし、あとやっぱりそれぞれ違うルーツを持ってるひとが集まるなかで一つの「かっこいい」っていうディレクションというか、こういうのがかっこいいよねっていうのが生み出されるわけじゃないですか。まあ、たぶん一言でそれが「流行」って言葉になるんだと思うんですけど。同じ人種の中で生まれる流行よりも、多種、他人種の中で選ばれる一つの流行って、そりゃ多分、ちょっと概念としても変わってきますよね。それは間違いなくあると思います。

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なんか、日本のスナップと海外のスナップを比べた時に、海外の人の方が、なんかちょっといわゆる奇抜なファッションっていうか、変な格好してる人がいても、なんかすごい許されてるような雰囲気が伝わってくる気がして。

筒井:
でもそれ、もしかしたら海外フィルターかもしんないすね。多分、こっちの人も日本の原宿に対してそう思ってる部分ってあるから。やっぱりその、普段見ないものに対しての、なんていうんですかね、全く関係のないものだからこそそういうちょっと無責任な見方ができるっていう、無責任って言い方が正しいか分からないですけど、、そういう見方ができるっていうのはあるかもしれないですね。実はこっちでもそういう人たちめちゃくちゃバカにされてたりするかもしれないですしね、周りの友達から、分かんない、そんなことないと思うけど。それはでも、本当に、その人にしか分からないことなので。
ただ、もちろん多様性とかに関してはこっちの方が感覚としては絶対に進んであるとは思うんですけど、、ま、それもすごく難しいところで、意識としてあるからそういう風にしていこうって、言われているからといって、その人たちが本当に心の底からそう思えてるかどうかってのは、また別の話じゃないですか。結局その、人種差別とかいう心がどっかに生まれて育った中であって、でも、今の流れがそういうことを口にしたら社会的に行動できなくなるってのがもう分かってるわけじゃないですか、特にアメリカに関して言えば。だから自分たちの見せかけを良くするために、そういうことを一緒に叫ぼうっていう気持ちでいう人がいないとは言い切れないですしね。それは結局、本人たちにしか分からないことだから。なんか、これはもう本当俺のちょっと穿ったものの見方かもしれないけど、なんか、もはやそれすらも流行なのかなっていう風に思う時があって。

そうなんですよね。なんか、確かにトレンド化してるのはすごいあって。日本もやっぱそうなんですけど、まあその、トレンドになることでより広い人に届くっていう利点もあれば、なんか終わりが早いみたいなことも多分あるじゃないですか。なんか熱が冷めたらもうそれで終わりみたいな。もう人間性の話だと思うから、あんまりトレンド化しすぎても、なんか良くない方向に行ったら意味無いよなとか、やっぱり思いますね。

筒井:
でも口に出して、問題提起し続けることで、次に生まれてくる世代の子供たちがそういった差別的な思想に陥ることなく、フラットに物事を捉えられるようになっていく、というのは間違いなくあると思います。
なんか俺も別に、日本で育ってるから日本人の感覚は強いし、"白人至上主義" っていうのは頭の、体の隅々に染み渡ってるから。やっぱり白人が何故か優位に思ってしまうというか。でも自分が生まれた環境に既にあった潜在意識っていうのは、やっぱり自分だけでは変えられなくて。

うん。そうなんですよね。正解って結局分からないじゃないですか。なんか自分の中の、なんだ、「目指す道」みたいなのがもしあっても、それが正しいとはやっぱ言い切れないし。永遠にきっと終わらない問題なんだろうなとは思っています。

筒井:
そうですね、まあ多分終わらないし、ずっと続いていく問題だとは思いますね。何がどうなろうと。
俺もほんと、New York にいるけれど、だからと言って何か気持ちが大きく変わって吹っ切れたみたいなことは逆に無いですよね。むしろ常に何か、どういう風に振る舞えば、どういう立ち位置に立っているのか自分でも未だに分からないし。ましてや俺の場合、移民なので、ここで生まれたわけじゃないじゃないですか。だからやっぱどうしてもそこに対する劣等感というか。結局自分は、自分で選んでこの国に勝手に来てるわけだから、そりゃ国に帰れって言われたら、まあ確かに言い返す言葉は無いよなっていう風に思っちゃう部分もある、、そうゆうことは無いですけどね俺は(笑)ただ、確かにここは俺の国じゃねえよなとは思うから、そういう意味ではどっか一つ、一歩引いちゃってる部分は絶対どっかにあると思いますね。胸を張り切れてない部分というか。
でもやっぱり "事なかれ主義" をやめて、常に自分の周りの問題を意識して、それを提起し続けていくことは重要だと思います。


物理的なモノ・外的刺激 からの解放

それで、このCHIRUDAというプロジェクトは、SDGsとか社会問題に一応照準は向けてるんですけど。さっきもあったように、トレンド化してしまってることがすごく気になっていて。あと、実際そのSDGsとか社会問題って言っても、人がいるだけ考え方が、色んな考え方があるから、なんかあまり固定化しすぎるのもあんまり良くないなと思っていて。人によって考え方が違うとか価値観が違うっていうことを、何でしょう、表現じゃないんですけど、色んな人の考えを知るっていう部分においてなんか、アートってやっぱ1個ツールになるというか。単純にこう「SDGs」っていうトピックに挙げてディスカッションするというよりは、1個アートを挟んで解釈した方が分かりやすい時とかもあるじゃないですか。でまあ、そういうことを色々考えていた時に、スナップもそうなんですけど、あの定点観測のやつあるじゃないですか!

筒井:
あはは(笑)はい。あの部屋のやつですか、窓からのやつ。

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" #TheWindowByTheBed "

あれすごい好きで!

筒井:
あー嬉しい。まじ嬉しいそれ!

あれもその、なんて言うんだろう、個人的解釈ではあるんですけど、その、ポートレートではないけど、定点観測って他人の生活がすごい分かるっていうか。色んな世界が自分の気にしていないところで起きてることを表せるツールなのかなっていう考えをしてるんですけど、なんかそういう部分で、、、作品として多分SDGsとか社会問題っていう方に焦点は全然当ててないとは思うんですけど、なんかちょっと考えたらそういう部分が意味合いとして入ってたりとか、、

筒井:
「SDGs」ってなんでしたっけ?

Sustainable Development Goals、ですね。
その、温暖化とか、海が汚れてるとか、、、まあ基本的に人間が起こしている活動によって地球が滅ぼされてるっていうもので、それを止めていこうっていう話なんですけど。

筒井:
だから要は、地球を守るために出来ることは何か、みたいなことですか?

そうですそうです。
で、いよいよやばいねって言って、国連がそれを出したんですね。

筒井:
んーなんか最近めっちゃ見ます、そのワード。

そうですよね。なのでもうある意味、強制的に色んな国がやって行かなきゃいけないよっていう項目が色々あって。それが「SDGs」。

筒井:
いやーなんかそれは、そうですね。なんか、俺がさっきフィルムの話とかもしてたじゃないですか。それも一つあって。まあ別に俺、正直そこまで環境問題がどうだとか考えたこともあんまりなかったし、どっちかっていうとそういうの他人事として思っちゃうタイプの人間なんですけど。どっちかっていうと違う観点から、、、なんか、自己の幸せって何だろうっていうのは考える時間がすごい長くて。ってのは、海外にいると一人の時間って長くなるし友達もいないから。今は結婚しましたけど、つい数年前まではすごい闇、闇の時代があって、もう本当に誰とも喋らないみたいな。スナップ行ってる時間以外、誰ともコミュニケーション取らないみたいなことがやっぱりあったりして。でもやっぱりスナップしか俺にはないし、日本に帰ってもやることないし。とりあえずビザもいつまで続くか分からないけど、なんとなくギリギリの生活を続けて、スナップを続けていくことでしか自分を維持できない、みたいな時があって(笑)これがもう俺に残された全てだ!みたいな時があったんですけど。やっぱそういうところから、自分哲学みたいなところにすごい走るようになって。走るっていう言い方もちょっとおかしいかもしれないですけど、自然と、、、別に宗教に入るわけでもなく、ドラッグに頼るわけでもなく、やっぱ自分の考え方一つで「自分の幸せ」っていうものを、こう構築していけるようになれたら、、ならないと多分駄目なんだろうなっていうのはどっかでずっと考えてる部分があって。だからもう、物理的なモノからの解放ってのにすごい執着し始めて、それから。と言いつつ、最近めちゃくちゃ服買ってるんですけど。夏になって、Quarantine (=隔離) 明けて、服買うの楽しくなっちゃって(笑)服は買っちゃってはいるんですけど(笑)そこはちょっとなんとも言えないんですけど。
やっぱそのミニマリズムとか、そういう色んな情報も入ってきたりして。でもなんかそれは流行ってるからっていうのももちろんあるのかも、刷り込み効果もあったのかもしれないですけど、やっぱその自分が考えてたことと合致するから。世の中の流れがそうなって、、、自分がそう思うってことは多分、他の人もそう感じてるわけじゃないですか。

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" #LowkeyVeganLife "

筒井:
人間ってやっぱ、そういうシンクロニシティが絶対あるわけだから。それが世の中で流行になったりするわけで。流行ってやっぱ服だけの話じゃなくて概念的な問題で、その、誰に言われたわけでもないけど、こういう風に気持ちが動いてるって多分あるわけじゃないですか。多分俺もその一端になっちゃってるだけだと思うんですけど、如何にモノから解放されて自分の幸せってものを考えられるかってなった時に、それも多分、デジタルに強く執着し始めた一つの理由で。やっぱフィルムだと現像出しに行かなきゃいけないしとか、物理的な制約が生まれてくるじゃないですか。それはそれで楽しいんですけど、それをやることによって結局、最終的な写真を残していくっていう工程がなんか霞むというか。余計を撤廃して如何に自分のゴールまで最短距離で行けるかっていうのを考えるようになって。あとはその、自分って不幸だなって思うことだったりとかすごく多かったから。その闇時代というか、今もそうなんですけど。結構俺はネガティブな人間なので常に。あんまり明るいタイプではないから。でも、こういう風に俺に興味を持ってくれてる人ってやっぱいるわけじゃないですか。口に出さなくても、どっかで見てて面白いなって思ってくれてる人は多分いるんだろうなっていう推定、、計算は出来るじゃないですか。海外住んでこういうことやっていたら、しかもネット時代だし、自分がやっていることを見てもらえることもあるわけだから。じゃあなんか、自分がやっているしょうもないようなことでも、野球選手になって活躍するみたいな、めちゃくちゃ運と実力と全てを求められるようなことじゃなかったとしても、自分の生活の中から無理なく生み出したもので人に何かしら共鳴して、自分がそっから幸福を得られるようなものって多分、見方次第では生み出せるんじゃないのかなと思って。
この "#TheWayYouWEREThatDay" っていうプロジェクトとしてやり始めたのが6年前なんですけど。スナップ自体、最初は行き掛かりで始めて、運良く流れでそれが仕事になったから続けていたんですけど、ある時全てのクライアントを失って。。

えー!そうだったんですね。

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筒井:
インスタグラムが流行り始めてスナップとかって感じじゃなくなって。仕事が全部無くなって、じゃやること無いじゃんってなって。でもやっぱその、辞めようかなって思ってた時に「STREET」とか「FRUiTS」を見て受けた感銘っていうのがあったから。じゃあそれを元にして自分で自分の作品集を作っていけばいいな、ってぐらいの気持ちで始めたものだったんですけど。でもやっぱやっていくうちに、これって自分の人生でもあるわけじゃないですか。自分が何処にいたかとか、何時に何処にいたかっていう記録でもあるから。だから途中から時間とか場所とかも写真に入れるようにし始めたんですけど。あくまでスナップとして、New York のカルチャー、彼らの、この人たちのこの日の姿っていうのでもあるし、この時の New York のトレンドっていうことでもあるし。もう一つの裏テーマとして、自分がじゃあその時何処にいたか、何をしていたのかっていうこともここに記せるかなっていう風に思うようになって。で、これってお金かかることじゃないし。じゃあこれを、どういう風にもっと側面からそのメッセージを伝えて行けるかなって考えた時に、その窓からのやつとか、あともう一個やってるのがあって、毎日自分の服を撮って上げているのがあるんですけど、、、

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#MicroOOTD "

筒井:
あれとかもそうだし。あともう一個は、普通に街で見たものとかを撮ってあげている4つを今やっているんですけど。まあちょっと、服のやつに関しては自分のセルフィー載せちゃってますけど、その「自分」ていうものの存在を言葉とかを通さずに、なんですか、「自分」の枠組み(?)を、この内側を見せることによって説明するんじゃなくて、その外側のフレームを見せることによって「自分」ていう人間はこういうものなんだよっていうのがそこで表現できるようにならないかな、っていうのがあって。まあ今は4つ、他にも何個かやっていたことがあったんですけど、適宜、自分の生活が変わることによって撮らなくなる写真とかもあったりするから、それでやめちゃったものもあったんですけど。全部#タグつけて、自分のストーリーという意味で、それをまとめて最終的に「自分」っていうものはこういうものだっていうところで、出来たら良いなっていうのと、やっぱそれが一つ形になることによって自分は間違いなく充足感を得られるわけだし。

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" #MomentFromToday "

筒井:
人間が幸せを感じる瞬間ってすごく単純で、やっぱりその、人から感謝された時だったりとか、人から有り難がられた時じゃないですか。それってもう多分、それ以外無くて。愛情とか、親子の関係とか、そういうのも多分全部、結局そういうところじゃないですか。子供がいて、子供との関係とかもそうだし、友達もそうだし。だからなんか、もし自分がやってることが少しでも何か、人に対してそういうインスピレーションになったりするのであれば、それって自分にとってもう、これ以上の幸せなことはないだろうから。しかもそれが自分の生活の中から見出せるのであれば、こんなに低コストなものも無いし。その、今みんなが求めてるような、わざわざ高いお金払って、秘境の地に行って、一枚のインスタグラマブル写真を撮って、POST して LIKE をもらう快感って本当に必要なのかな、っていう。なんかそういうアンチテーゼも結構ある部分があって。如何に自分が素朴で、何処にでもいる人間かっていうのを、出来るだけ包み隠さず出したいっていうのは結構あって。みんなやっぱかっこつけるじゃないですか。それに、そういう風になるように世界が仕向けられてるから。だからこそ脚色なし、出来る限り、みたいな風にしていけたらいいなっていうのは思って、ずっとこれをやってるんですけどね。このそれぞれのプロジェクトは。

なるほど。

筒井:
だから俺みたいな凡人でも、何かしら形にできるし、これがもしアートとして認められる時が来るのであれば、その、世の中の誰だってアーティストになれるんだっていうことを証明したいっていうのが、一番大きなゴールかも。だから多分、モノに頼りたくないっていうのもあって。カメラも iPhoneか、デジカメをずっと使っていたんですよ、一番ちっちゃいデジカメ。 ただデジカメはもう技術が相当進歩しているから、バカみたいに高い一眼レフなんて買わなくても、結局その、自分がテーマを持って日々を過ごしてれば、それが$500のカメラだろうが、iPhoneだろうが、全部何かしら価値のあるものになるっていうのをこれで伝えられたら良いなっていうのは、、ちょっとすごい恥ずかしい話なんですけどね(笑)まだ途中なんで、今言っちゃたらあんまりなんか説得力無いんですけどね(笑)

はい(笑)

筒井:
でもただ一つ心に決めていることは、もう何年かかっても良い、ってのは思ったりしていて。これを半年とかでまたね、結果を出そうとすると、またやっぱ、変わってきちゃうじゃないですか。俺がアンチテーゼを唱えてる、その、今すぐに fame (=名声) が欲しいとか、お金が欲しいみたいな、そうすることによって得られる充足感とか外的な刺激とかっていうものに溺れていくっていうところからの解放って言ってるのに、そこ我慢できなかったら結局それって同じことだから。すみません、長く喋っちゃいました(笑)

ははは(笑)全然。最後に聞きたいことを全部聞けた気がするので。

筒井:
本当ですか?それが聞きたいことでよかったです(笑)

ありがとうございました!楽しかったです。



Q | 「あなた」のフレームは何で構成される?

今まで求めてきたもののなかで、どれだけ残り、"本当に大切なもの"として認識できているだろう。現代に生きる私たちはもしかすると、必要以上に色んなものを求めすぎていて、本当に重要で有難い存在を忘れ始めているのかもしれない。
自分という人間 "以外" の要素を介して自分を見つめ直した時、これまで出会った人や思い出、場所、時間、様々な事や要素に恩恵を受けていることに気が付くのではないだろうか。そして求めずとも、すでに充実した世界に生きていることに気が付くのではないだろうか。



●追記

日本文記事の公開をしたタイミングで彼に報告連絡をした翌朝、「御免なさい交通事故に遭ってしばらく動けないのでまた連絡します」という返答が返ってきた。まさかとは思いながら、この記事のせいで事故に遭ってしまったんじゃないかと心配になるくらいタイムリーだった。
彼の様子を陰ながら伺いつつ、SNSでの情報を追っていたところ、轢き逃げ事故で犯人は不明、約2ヶ月経った現在でも加害者は未だ見つかっていないらしい。この事故により、彼の右脚は完全骨折。直後のことで医療費やその後の生活費でどのくらいのお金が必要なのか想像がつけられない中、心配に思った彼のアルバイト先のオーナーを含めた友人たちが僅か2〜3日で GoFundMe にプロジェクトを立ち上げ出資募集を開始。ニューヨーク現地で彼を知るひとたち、遠い日本で彼を知るひとたちなど、様々な出資者の協力があり想定募集金額を達成した。

今回の痛々しい事故においても彼はカメラを回していた。完全骨折だから当然言葉に出来ないほどの痛みがあっただろうに、彼の「日常」に対するジャーナリズム精神には圧巻だ。この追記について連絡を取っている現在も絶賛リハビリ中とのことで、まだ思うように生活は出来ていないようだが、事故直後の映像から術後、退院して自宅療養する過程までが、彼の記録として既にYouTube上で公開されている。
この2本の記録ビデオを見てただ感じるのは、彼の周りに彼のことを大切に思っている人々が当たり前だが実際に存在していることだ。今回の彼の取材を通してみえた "自分の周りにあるフレームを介して人生を追う" ということがすなわち、平凡な日常生活を送ることこそが幸せであるといった解釈になり得ると感じた。 事故後、事故の様子や体験を少し聞いたが、アメリカという異国の地での生活で10年が経ったとはいえ、如何に自身が小さな存在であるか、そしてこんなにも気にかけてくれる人々が周りに存在していることを、改めて体感させられる機会になったとこぼしていた。

不幸中の幸い、右脚の骨折だけで済み術後は良好、周りの温かいサポートもあり、順調に回復へ向かっているということだが、もしもっと大きな事態になっていたら?彼自身だけでなく、彼を大切に思う人々も同時に傷付けてしまうことは明白だ。目の前に見える人物だけでなく、その人の日常の幸せや周りの人々の気持ちまでもし想像することが出来れば、こういった加害者本位の事故や事件も少なくなるのではないかと願わずにはいられない。何か起きてしまった後に気付き反省しても、それはもう手遅れなのだ。


想像してみよう、あなたらしいやり方を創造しよう。あなたの「声」を #ChirudaVoice で聞かせて。



Recorded | 2021.6.30
Postscript | 2021.11.1
Interviewer | Haruko Kubo (CHIRUDA)
Editor | Haruko Kubo (CHIRUDA)

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