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初夏のレキジョークル② 犬山編 其の二

前回はこちら↓↓↓


犬山城天守へ

いよいよ天守へ向かいますが、そこに続く石段は緩やかに整備されていたのでホッとしました。

先日行った安土城に比べると、まったくカワイイものです。

あっという間に登りきり、くろがね門をくぐると、本丸の敷地内に突入です。

犬山城主の変遷

犬山城と言えば、個人所有の城として有名でした。

今から20年以上もまえでしょうか。最後の13代城主の成瀬淳子氏がテレビのドキュメント番組に登場され、国宝を個人所有することの大変さを語っておられたのを思い出します。

結局、苦慮の末、平成16年(2004)、犬山城白帝文庫という財団法人を設立され、個人所有から法人所有となりました。

成瀬正成がこの犬山藩の初代領主となったのは、元和3年(1617)の事なので、家康が没した翌年の2代将軍・秀忠の時代です。

その後、約250年にわたり江戸期を代々成瀬氏が引き継ぎ、9代・正肥まさみちの時に明治を迎えます。

廃藩置県で「犬山藩」は消滅し、城も「廃城令」で「天守」だけを残してすべて取り壊されました。

その後「天守」は県より無償で譲渡され、「城主」のまま代々成瀬氏が引き継ぐことになります。

天守だけ残されたのは奇跡的かも!


この成瀬氏が城主となるまでの戦国期は、「本能寺の変」「関ケ原の戦い」「大坂の陣」など、歴史的な大事件により短いサイクルで城主が変わりました。

1、織田信康ー築城(1537年~)
彼は織田信長の叔父にあたり、1544年戦死。

2、織田信清ー信康の嫡男(1547年 ~)
信長に敵対して敗れる。

3、池田恒興ー織田信長家臣(1570年 ~

4 、織田勝長ー信長5男(1581年~

と、ここまでは織田家の配下にあったのですが、その後は豊臣⇒徳川と天下人の変遷とともにその支配下になりました。

その節目には「誰??」と思うような城主の名もあります💦


小振りだがバランスが良い

天守自体が小さいことは予想していましたが、敷地自体も小さく、中央に立ってグルっと見渡せる範囲しかありません。

実際に見ると、天守は予想していたより大きく感じました。
もしかして「彦根城」より大きいかも?と思って、後日調べると、やはりそうで「彦根城」15.5mに対して「犬山城」は18mあります。

彦根城を見た瞬間「ちっちゃ!」と思ったのですが、犬山城はそれほど感じず、たった2.5mの差なのですが、その差は大きいようです。

どちらも小さな現存天守ですが、とてもバランスの良い立ち姿だと思います。

ちなみに現存天守で高さNO1は断トツで「姫路城」の31.5m。
最下位は「備中松山城」の11m。
「高知城」がこの犬山城と同じ18m。

どの天守もそうですが、犬山城も見る方角によって違う表情を見せます。

南北の正面から見ると、「唐破風からはふ」の効果で、どことなくかわいい癒し系の犬のようですが、東西から見ると「入母屋破風いりもやはふ」の効果でキリっとした武者の顔のようにも見えます。

両方を見比べると、極端に違う表情を見せるのも面白いですね。


気配りが大変!

普通、城を訪れるのは体力を要しますが、今回は楽勝でたどり着きました。

しかし、

一歩中に入ったとたん、あまりにも急な階段に面食らいました。
手すりに掴まりつつ這うようにしないと登れません。

登りはまだいい。下りはもっと怖くて、それこそ手摺にブラ下がる勢いで降りました。
おまけに階段の一段一段が高く、頭上に障害物があったりして、足元だけでなく注意をあちこちに向けなければなりません。

その上、各階の見どころは押さえたいのもあり、気分的には結構忙しい。

私が現存天守の内部で、いつもかみしめるのは「床」です。
滑らかにすり減った様子を見ると、ここを歩いた歴史上の人々を思い浮かべ、「同じところ」を歩いているのだという感慨が湧いてきます。


望楼から見えるもの

〈犬山城の支城〉

細心の注意を払って登った末、望楼に立つと、また格別の思いがします。

東を見れば、今朝私たちが渡った「犬山橋」の向こうの小さな天然の岩山は城山じょうやまと言い、鵜沼城うぬまじょうがありました。

西を望めば、「夕暮富士」とも言われる伊木山いぎやまが優雅に佇んでいます。

かつてここにも伊木山城がありました。

東の「鵜沼城」も西の「伊木山城」も犬山城を制したものが支配し、支城としての役割を果たしていたようです。

信長は織田一族の勢力争いに競り勝った尾張統一や美濃攻めの時に足がかりとし、徳川家康VS羽柴秀吉の「小牧・長久手の戦い」の時には秀吉が本陣とした城なのです。

木曽川のきわの小山に建てられたため、北側は断崖絶壁で木曽川自体が大きな堀となる後堅固うしろけんごの城」と言われています。

中山道と木曽街道へのアクセスも抜群で、戦ともなれば非常に重要な拠点となるため政治・経済が発達するには理想的な立地のため、織田、羽柴、徳川の三英傑たちが、ここを押さえることに躍起になったのも頷けます。


〈ライン大橋〉


伊木山の手前にある橋は「ライン大橋」こと犬山頭首工とうしゅこうライン大橋といい、「せき」として木曽川の水量を調節しています。

だから、これより西はまるで湖のように穏やかなのですね。

かつては木曽川の支流から農業用水を得ていた各地の住民たちは、度々水害に遭い、それらを廃川はいせんして新たな用水路を作ったりしたようですが、結局は安定供給には至りませんでした。

そこで建設されたのが犬山頭首工とうしゅこうライン大橋です。(昭和43年に完成)

それまで渋滞に悩まされていた「犬山橋」の迂回ルートにもなりました。

水の安定供給とインフラ整備
両方の役割を果たしているのですね。

全長420mもあり、川が川なら「堰」もタダ者ではありません。




あれは桃??
長寿と魔除けの意味があるそうです。


犬山城の望楼は廻縁まわりえんと言い、天守を一周できる作りになっています。
現存天守としてこれがあるのは、高知城と犬山城だけなので、これらの天守は高さと廻縁の2点が共通している事になります。

縁の高さが低いのでスリル満点💧


余談ですが、ゆっくりみんなで1周したあと、チコさんはもう一回おかわり● ● ● ●しました。

地図が大好きなチコさんにとって、高いところからの眺めはリアルな立体地図となるので胸が躍るそうです。

そういえば以前、大阪・ハルカスからの眺望も熱く語っているのを聞いたことがありましたっけ。






【参考文献】
日本の城



>>>続きます


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