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梅と狛犬の「屯倉神社」

開運パワースポット六社

私の住む大阪府松原市では毎年元旦から15日までに市内の5社と大阪市東住吉区の1社との合計6社を参拝する行事が開催されています。

大阪市の1社「阿麻美許曽あまみこそ神社」がこの中に入っているかというと、過去記事の「大楠めぐり」の詳細の通り、大和川の付け替え工事によって分断されてしまったからです。

松原市のお正月行事はとっくに終わっていますが、以上の六社をめぐり、今まで着目してこなかった「狛犬」観察してきました。

まずは下図の右上(緑)の屯倉みやけ神社」を訪問しました。

屯倉みやけという名はかつての大和政権の直轄という意味があり、そのうちの河内国に設置された直轄地として「依網屯倉よさみのみやけ」が置かれていたことに由来します。

現在は三宅みやけと改められ、この名で阪神高速の出入口やジャンクションがあるので、関西一円の方々には知名度は高いと思います。


菅原道真を祀る天神信仰

2024年2月7日撮影

菅原道真を祭神として天慶5年(942)に創祀され、現在の本殿は寛政4年(1792)に再建されたもので、ご本尊として道真の等身大の神像が安置されています。

総高 99.7センチメートル、総幅128.3センチメートル、膝張78センチメートルの等身大です。体部は近世の作ですが、挿首形式の頭部は南北朝時代の古様を示しています。

松原市

それ以前は日本書記にも登場する|天穂日命《あめのほひのみこと》土師氏はじしが祖神として祀った「|穂日《ほひ》の社」があったと伝わります。

土師氏??といえば埴輪などを作っていた一族では?
知り合いにその苗字の方が居るので、この名も現在に残っているのも確かです。

その始祖は天穂日命あめのほひのみこと
  ⇩
古墳時代の豪族・野見宿禰のみのすくね
  ⇩
土師氏
  ⇩
秋篠氏、菅原氏、大江氏

と枝分かれし、さらに菅原氏も様々に改名して分家しているので、もはや苗字だけでは判断はつきませんが、とにかく土師氏から菅原氏が誕生し。その一族から道真が出たようです。


しだれ梅が有名

さて、こちらの神社は「しだれ梅」で有名です。
昨年の12月中旬に訪れていたのですが、そろそろ梅が咲き始めているかと今週の7日にも立ち寄ってみました。

しかし、まだ早かった!
今のところ三分咲きというところでしょうか?
あと一週間もすれば満開になるでしょう。

しかし、甘い香りだけは境内に漂い、十分に春を感じることができました。

菅原道真は、罪を着せられて京都から大宰府へと左遷させれて、旅立つ時に自宅の梅の木に詠んだ有名な歌があります。

東風こち吹かば 匂ひおこせよ
梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

~春風が吹いたら匂いを大宰府まで届けておくれ、梅の花よ。私がいないからといって春を忘れてはいけないよ~

この歌が元となり、道真ゆかりの神社、全国の12000社の天満宮には梅が植えられていることが多いのです。

宇多天皇の御代を支えた優秀な重臣であり、数々の歌や漢詩も残しています。
次の醍醐天皇時代には右大臣にまで出世しますが、いわれのない罪で太宰府へ左遷を命じられ衣食住もままならない環境下で、ほどなく世を去ります。
これは死刑ではないものの、放置されてじわじわと死に追いやられたわけで、事実上の死罪といえる惨いものでした。

その後、宮中で不幸が続いたことで道真の祟りだと噂されて怨霊扱いにされたのち、今年の大河でお馴染みの道長の姉・詮子あきこ(吉田羊)の息子の一条天皇の時には道真は神格化され、天満天神として信仰されることになります。
特に彼の業績にちなんで「学問の神様」として有名ですね。


本殿の狛犬は260歳!

サムネイル画像は本殿前、阿形の狛犬ですが、昨年の12月に撮ったアップ画像がこちらです。

2023年12月14日撮影

パッと見て目が奥まっていて、明らかに「浪速狛犬」ではないと思えますがどうでしょう?
全体的に毛並みもそれほど立体的でないのは、劣化しているせいなのか、元々なのか。
見るからに古そうだと思い、台座を確認してみました。

上:「町田長」⇒「長田町」
中:「宝暦13癸未みずのとひつじ春正月穀旦 堺石工 男里屋おざとや市兵衛
下:「旦叡たんえい」??⇒「献上」

有難い事にはっきりと文字が残り、読みやすくて安心しましたが、その意味がよくわかりません。特に下の「旦叡たんえい」は読み方が合っているのかも定かではありません。

上記、2月12日皆様からのコメントから訂正いたしました。
尚、こちらも「浪速狛犬」とのことです。

ご指摘ありがとうございました!m(__)m

宝暦13年と言えば、最後の女性●●天皇である「後桜町天皇」の御代、徳川将軍は、「暴れん坊将軍」の吉宗の孫にあたる10代・家治の時代です。

そんな時代に生まれたとはつくづくすごい!

そして何より中の「堺石工 男里屋おざとや市兵衛」という文字に私はにんまりしてしまいました。
komajinさんの著書「大阪狛犬物語」で紹介されていたすみよっさん住吉大社にある狛犬と同じ石工による作品がこれだったのだと判ったからです。

残念ながらすみよっさんにも何度も行っていますが、狛犬をちゃんと見ておらず、自分の目で比べられないのが残念です。
次回行った時にはぜひ確認したいです。

これが260歳の狛犬だとすると、劣化して字が判読できなかった布忍神社の本殿前狛犬はいったいいつの作品なのでしょう?
これもまた再訪して宮司さんに聞いてみたいものです。

「酒屋神社」の狛犬

当社では末社として天津神社・日吉神社・大物主神社・素盞嗚すさのお神社・天照大神社・琴平神社・市杵島いちきしま神社の合計七社が境内の東側にずらりと並んでいますが、その中の一番北に境内社として立派な鳥居のある「酒屋神社」がありました。

2023年12月14日撮影

一目見て、いかにも年代を感じさせる狛犬が鎮座しているので観察してみました。

これはまさしく「浪速狛犬」ではないでしょうか?

施工主の名が5名、最後に銘じ二十一年十月とありますので、こちらは御年135歳の狛犬なのですね。

見た目はもしかしたらこちらの方が古いかも?と思ったのですが、圧倒的に本殿前の狛犬の方が先輩でした。

こちらの狛犬も文政年間のものらしいです。
どこかに書いてあったらしいですが、私は見逃しています💦


私は南鳥居から入って、東鳥居へと抜けたのですが、境内は大楠がたくさん植えられ、その間を縫うように参道が整備されています。

出口とした東鳥居は朱色でひときわ立派なので、「中高野街道」に面したこちらが正門なのでしょう。

この鳥居近くの狛犬は新しく、昭和63年のものでした。


御朱印は達筆の楷書でした



【参考文献】
大阪狛犬物語


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