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徳川の一大事でどうする?

今回「岡崎クーデター」は史実では「大岡弥四郎事件」と言われています。

信康(細田佳央太かなた)は信頼していた弥四郎(毎熊克哉まいくまかつや)が裏切った事がショックで涙ぐんでいるのとは対照的に、妻の五徳(久保史緒里)は棒で腹を強く突き、無表情のまま冷淡に言い放つ。

「信康様、このことは、我が父(織田信長)に仔細もれなくお伝えいたします。この者たちをしかと処罰なさいませ。この上なくむごいやり方● ● ● ● ●でな」

「どうする家康20話」

その言葉通り、弥四郎は目を背けたくなるほどの処罰を受けました。

引き廻しの上に7日間生き埋めにされ、竹のこぎりで少しずつ首を挽かれ、その後にはりつけにされました。

しかも、同じく妻子5人もはりつけの刑です。


本当にエグイです💦


弥四郎の正論

この時の背景を考えると、大岡弥四郎のいう事も確かにもっともだと納得せざるを得ません。

「信長にくっついている限り、戦いは永遠に終わらん、無限地獄じゃ」

確かに「桶狭間の戦い」による棚ボタで、今川家の支配から逃れることができたのですが、このまま信長の配下にいても埒が明かない。

弱い立場の徳川の家臣のままだと、いつまで経っても生活は向上せず、先が見えないのです。
それならば、いっそ敵の武田に賭けてみようと思うのも当然でしょう。

誰もが徳川に忠義心が強かったわけではありませんでした。

徳川家中は、武田と繋がりたいと思う派と徹底抗戦派との二つに分かれていました。

正直、この時点では信玄が没しとはいえ、武田の勢力は跡を継ぐ勝頼(真栄田郷敦まえだごうどん)に分があったのかもしれません。

家臣たちはそれぞれ自分の家族と生活を死守するために、各自が時世をジャッジしなくてはなりませんでした。

裏切るのも従うのも常に命懸けです。


光る演技力の毎熊克哉まいくまかつやさん

演じていたのは毎熊克哉まいくまかつやさんで、映画やドラマの脇役でよく出演されていますが、いい味出しているのですよ。

特に私の心に残るのは、2019年にNHKで放送された「少年寅次郎」です。
「男はつらいよ」の寅さんの幼少期~青年期までを描いた番外編でした。

その中で、寅次郎のどうしようもない父親役を熱演されていました。

自分勝手でありながら、どこか淋しさも感じさせ、自らの戦争体験で苦しむという心境を見事に演じていました。

主役は母親役の井上真央さんなのですが、毎熊さんは寅次郎そっくりで、笑わせながら哀愁も漂わせるという見事な演技を披露され、むしろ主役よりも着目していました。




同盟の証・五徳の存在

母は生駒吉乃きつの

彼女の母は、信長の側室で最も寵愛を受けた生駒吉乃いこまきつので、彼女は嫡男の信忠、次男の信雄の次に五徳を出産し、信長にとっての初の女児だったとされています。(諸説あり)

ですから、父の信長から溺愛されたようで、そんな大切な娘を家康の息子に嫁がせた事は、徳川をいかに重要視していたかが伺い知れます。

その重要視にはいろんな含みがあります。
私は、ただ単に同盟者としてではなく、利用できる手駒だと思っていたのかもしれません。

かつて斎藤道三が最愛の娘・帰蝶を信長に嫁がせたように、徳川の内情を知るためのスパイとして送り込み、場合によっては内側から潰す算段だった可能性もあります。

【生駒吉乃に関してはこちら↓↓↓】


信長のネーミングセンス良い?悪い?

私の中では彼女の名は「徳姫」でした。

五徳って、台所のコンロに設置された鍋置きの事ですよね?
可愛い長女に普通、そんな名前を付けます?

だいたい、彼女の兄たちも「奇妙丸」や「茶筅丸」だったので、その場のノリで名付けたみたいですよね。

今で言うところのキラキラネームなのでしょうか?
周りの家臣たちが失笑しているのが目に浮かぶようです。

「織田家雑録」によると、信忠・信雄・五徳の3人兄妹が織田家を支える足となるように「五徳」と名付けたと記述があるそうです。

ホントかな?


「十二ヶ条の訴状」

五徳自身は、嫁いだのがたった9歳でしたし、徳川で育った方が長く、父の思惑など考えず、ただ甘えていただけかもしれません。

姑である築山殿と夫の信康との関係の悪化を綴った手紙を出してしまいます。

それは、もはや愚痴話では済まされない十二か条からなる訴状だったのです。

最初は愚痴だったものが、憎しみが増し、その内容は信長もさすがに看過できない内容でした。

一部を挙げると次の通りです。

・築山殿の計らいで信康との仲を裂かれた
・築山殿は医師と密通している。
・築山殿は武田勝頼と内通している。
・信康に侍女を殺された。
・信康は僧侶や踊り子を殺した。



五徳VS姑・築山殿

実家が織田の五徳と今川方の築山殿。
普通に考えると、築山殿にとっては、自分の実家をつぶす原因となった織田信長の娘など息子の嫁にしたくなどなかったでしょう。

しかし、現実には当時の徳川は織田と手を結ぶしかなく、築山殿が最も望まない結果となりました。

おそらく、家康との関係も、五徳の輿入れあたりから急激に冷めたのではないでしょうか?

夫よりも息子の元に

ドラマ中にもありましたが、家康から浜松城に入るように促されても、行かなかった築山殿。

今回の築山殿は過去作品にはない慈悲深い人間味のある女性に描かれていますが、本当の心中は彼女なりの計算があったはずです。

というのも、彼女にはすでに実家は無く、夫の家康もかたきである信長と手を繋いでいる。
もし、跡取りとなる信康に何かあれば、自分の立場も危うくなり居場所も無くなってしまうと危惧するのは当然だと思います。

多少過保護だと思われても、彼女は息子が心配でならなかったはずなのです。


息子に側室を与えた

五徳は信康との間に二女を設けますが、輿入れして10年経っても男子はできませんでした。

それを心配した築山殿は信康に武田方の娘を側室に迎えます。

この時代、嫡男である信康の立場であれば、側室を持つことは当たり前なのですが、五徳には許せない事だったようです。

そのことが、夫との仲を裂かれ、武田との内通たと取ったのかもしれません。

そうみると、五徳はかなり気が強くプライドも高かったようですね。

もしかしたら、五徳の高慢さを際立たせるために、築山殿を柔和で賢く演出したのかもしれません。

そういう設定も可能性はゼロではありませんから。


家康の心中は?

さて、結果は史実通りに話は進んでいる様子なので、徳川家にとって取り返しのつかない事態を招くことになります。

この母子が断罪されてしまった直接の経緯も定かではありません。

信長に迫られたからとも、家康自ら粛清したともいわれています。

いずれにしても家康は後年、この時の事を後悔したということも残っています。

正直、築山殿は諦められても、嫡男の信康だけは家康にとっては大きな痛手だったでしょう。

後に生まれる2代将軍となる秀忠に比べると、かなり勇猛果敢な性格で、有望視していた嫡男でしたので、事あるごとに秀忠と比べては残念がったという逸話も何かで読んだことがあります。

しかし、それにしてもこの時期に嫡男を失っても、天下人になり権力を維持し続けたあたりは、つくづくすごいと思います。

先週の放送で築山殿の侍女・お万が生むことになる男子は後の結城秀康ゆうきひでやすで、福井藩の初代藩主となり、越前松平家の祖となります。

そして5年後に生まれるのがお愛の方が生む秀忠です。

この時期は、家康は自分の子を増やして、徳川3百年の土台を固めの時期なのも見ものです。


もしも。

信康が生きて後を継いでいたら、どうなっていたでしょう?
また違う徳川家となっていたか?
それとも潰れていたか?

歴史はほんのちょっとしたことで大きく方向を変えてしまうところに妄想の楽しみがありますね。


来週の徳川家の一大事の顛末を、大河はどう描くのか見ものですね。

ホントにどうする?




※トップ画像はphotoACよりDLし、Canvaで制作

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