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お坊さんがお金について考える。お金の誕生と役割:人や物に流れ通る水としてのお金

「お坊さんがお金について考える」と聞いたら、何を想像しますか?

お布施でしょうか?

確かに金銭の授受はお布施となりますが、必ずしも金銭の授受がお布施になるというわけではありません。


お金とお布施

今や人間の暮らしにとってなくてはならないお金。私達にとってお金の存在は常識です。しかし長い人類の歴史を紐解けば、お金がなかった時代も当然あります。

お金がなかった時代、人々は物々交換をしていました。物々交換は流通の面から言っても非常に効率が悪いやり方です。お互いに必要なものがかみ合わなかった場合、交換は成立しません。

そこでお互いがスムーズに必要なものを手にするために考えられたのが「お金」です。お金という価値基準を生み出すことで、人はお互いに役立つものを得やすくなりました。そしてまた与えやすくなりました。

自分にも相手にも、必要なものを施すことができる。このように人々がお互いに支え合う好循環は布施のあり方の一つです。

例えば水のように、川を流れ、海となり、雲となり、雨となり、ある時は人に、動物に、草木にと姿形を変えながら、グルグルと巡っていく。そういう水の巡りのような、循環を乱さないことが布施といっていいでしょう。

もちろん、我田引水という言葉があるように、自分の田だけに水を取り込もうとすると他の田の水の循環を妨げることにもなります。

あるいは、他の都合ばかり考えて自分の事は一切顧みない。自分の田に水をひかず、結局は自分が枯れていく。自己犠牲もまた自分の田への循環を妨げることにつながります。

与えることも布施であれば、自ら用いることも布施の一部なのです。

また全体の循環の勢いが増しすぎると、洪水のようにオーバーフローしてしまいますし、勢いが弱まれば滞ってしまいます。ある時はあえてせき止めることが好循環につながり、ある時はあえて引き込むことが好循環につながる場合もあります。

お金も人々が互いに支え合い、流れ(流通)をスムーズにするために用いられた仕組みだと考えれば、その用途で使うお金は布施となります。

しかしそのお金の仕組みを理解せず、循環を乱すような使い方をする場合は、お金は布施となり得ません。

これは冒頭にあった「金銭の授受はお布施となりますが、必ずしも金銭の授受がお布施になるというわけではありません」という説明の補足にもなっていますよね。

「そもそも何故お金というものがあるのか?」

お金が誕生した背景を知ることで、お金を活かす使い方を学ぶ。それが布施を学ぶことにもつながるのではないでしょうか。

お金の歴史

お金は人々が互いに支え合い、流れをスムーズにするために用いられた仕組みと言いました。ではお金がなかった時代、人々はどのように生活していたのでしょうか?

物々交換

お金がない時代、人々は自給自足の暮らしをしていました。

例えば日本史ですと、弥生時代の頃も自給自足です。米作りが始まった時代ともされていますが、米をつくったり、魚をとったり、着るものも自分で作ったりしていたわけです。

私は弥生時代というと、高床式倉庫の話を思い出します。鼠返しの話がすごく印象に残っているのですが、これも米の保存を考えた倉庫だということでしょう。

そうして物を保存する、つまり貯えができます。貯えは、今の時点で自分が使わないもの、ある意味で余剰品なわけです。そこでそれぞれ自分に必要な物と相手に必要なものを交換するようになります。

ただ物々交換にはデメリットがあります。それは自分の欲しいものと相手の欲しいものが合わない場合、交換が成立しません。

「俺は魚余っている。野菜ほしい」
「私は木の実余っている。魚欲しい」

この場合、物々交換が成り立たないわけです。そこで人々は考えました。

欲しいものがいつでも交換できる仕組み、物品貨幣と呼ばれるものです。

物品貨幣

物品貨幣とは、物品が貨幣の代わりになっていたということです。

貝・布・家畜、石など、貨幣ではないですが、物が今でいう貨幣としての役割を担い、一定の価値基準を生み出しました。

「魚は貝五枚と交換」
「木の実は貝二枚と交換」

このように、自分と相手の欲しいものが合わない時でも、物を交換できるようになりました。こうして物の価値を定め、等価値で交換するための道具として、お金の原型が生まれました。

ちなみに貝は中国で3000年前に物品貨幣として使われていたそうです。「貨幣」「貯める」「買う」「購入」「財産」などお金に関する漢字に”貝”が使われている理由はこういった経緯があるのですね。

金属貨幣・紙幣

物品貨幣の後、金・銀・銅などを用いて金属貨幣が登場してきます。現代もおと言っていますから、ここまでくると今のお金の感覚に近づいてきますね。

しかし実際の所、金・銀・銅なども物品です。貝や布、石など多種多様にあった価値基準(物品貨幣)が最終的に金属貨幣という価値基準へと集約されていったと考えられます。

そして特定の金属が道具の材料としてではなく、金属そのものに価値を持たせ、それが他の物の価値を計る基準となりました。

こうしてみると、私達は物の価値を計る基準・尺度としてお金を使っていることがわかります。そのおかげで物の価値だけではなく、労働やサービスなど形のないものにも価値決めることができるようになりました。

金属貨幣は現物として長期間保存できるため、人はお金によって価値基準そのものを保存できるようにもなりました。

貝殻を保存するのと金属を保存するのと、どちらが長期間保存できるか考えてください。金属が貨幣に選ばれていった理由も納得ができます。腐って朽ちてしまったら価値はなくなってしまいますからね。

ただ保存するということは、その場に留まるということです。金属などの資源にも限りがありますから、金属貨幣は不足してしまいます。

貨幣不足すれば、貨幣の価値は上がります。逆に貨幣が過剰ならば、貨幣の価値は下がります。

お金(貨幣)自体の価値があがり物価が下がるデフレ、お金(貨幣)自体の価値がさがり物価が上昇するインフレの関係もこのあたりから考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

金属貨幣不足は金属資源の不足ですから、不足しない貨幣として考えだされたのが紙幣なのだとも考えられます。こうして価値基準となる数字を書いた紙がお金として用いられるようになりました。

本来ならば形にできない「価値基準」というものを形しているのが、お金本来の意義。それは人間が長い時間をかけて構築していった共通認識・知恵の道具でもあるのです。

貨幣の歴史

日本最古の貨幣(お金)は「和同開珎」と私は学校で教わりましたが、今は「富本銭」が日本最古の貨幣だと言われています。和同開珎は少なくとも708年には使用されており、富本銭は683年にはあったとされています。

いずれにせよ、和同開珎は唐の文化や制度を取り入れようとして作られたわけですから、まだ日本にそれほど貨幣制度が広がっていなかったことがわかります。

ちなみに552年には既に日本に仏教が伝来していました。日本に貨幣制度が普及する以前から仏教があったという点も考察する上では大事なポイントかと思います。

更にお釈迦さん(考古学的にも歴史的人物として証明されています)が生きていた2500前のインドでは、ちょうどそれぐらいに貨幣が誕生したと考えられています。紀元前5世紀頃ということですね。

打刻印貨幣といい、マガダ国の貨幣と考えられています。マガダ国はお釈迦さんもよく居た場所、最初の精舎(寺院)の竹林精舎があった場所です。

また世界最古の貨幣は、紀元前670年頃に作られた「エレクトロン貨」だと言われています。

いずれにせよ、貨幣が作られ始めた頃は、まだまだ貨幣制度が盤石ではないということです。

私達にとってお金は常識ですが、仏教はお金という考え方が常識ではなかった頃からあるわけです。

だからお金を中心に布施を考えるのではなく、布施を中心にお金を考えると考えやすいのかもしれません。

「どうして布施でお金を払うのか?」ではなく「どうお金を使ったら布施となるのか?」と考えてみてください。それはきっと自分のお金の使い方も変えてくれることでしょう。

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