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金の国 水の国(映画感想)_口の達者な男と、存在感の薄かった女のラブコメ

『金の国 水の国』は2023年1月27日に劇場公開のアニメ。監督は渡邉こと乃で、原作は2014-2016年に連載されていた岩本ナオによる漫画。
原作も読んだが、国に名前が付けられたり、国同士の約束が先代の王によってされたなど、細かな設定の違いはあるもののほぼ原作を忠実に再現されている。
作画の品質が高く、どこか遠い異国の雰囲気が出ていてとても良かった。また演出が丁寧だから漫画では気付けていなかった描写などがあり、エンドロールの登場人物たちのその後が描かれているのも映画ならではで良かった。アニメ化されたことで期待以上に仕上がっていると感じた。
以下、ネタバレを含む感想などを。

国交を断絶した2つの国と男女

100年国交を断絶している2つの国、アルハミト(金の国)とバイカリ(水の国)。アルハミトは欲しい物が何でも手に入る商業国家として繁栄しているが、増えすぎた人口のせいで50年後には水が枯渇すると予測されている。
対してバイカリは水や緑は豊かだが、商業ルートをアルハミトに封鎖されたいるために資源の備蓄が足りず国民の生活レベルは低い。

そんな2つの国同士がお互いに手打ちとして嫁と婿を送り合うことになるのだが、王同士は互いを蔑んでいるから、それぞれが約束を反故にして犬、猫を送りつける。
そうして犬を受け取ったサーラと、猫を受け取ったナランバヤルは事態が深刻化することを避けるためにその事実を隠すのだが、そんな二人が偶然出会うという恋愛物語。
同時進行で様々な人物を巻き込んで、国同士の揉め事を収束させていく根回しも進行するから展開がダレずに観ていて飽きない。

ふくよかな体型のサーラ

本作がユニークなのは、ヒロインのサーラがふくよかな体型の女性だということ。
サーラはアルハミトの国王ラスタバン三世の妾の子供で、第93王女となる。
国境近くの辺境に暮らし、食べることが大好きでおっとりした性格。王女の数が多いのもあるのだろうが、控えめな性格のせいもあって人々からはその存在を忘れられている。

体型にコンプレックスを持っているが、義理堅い性格だからサンチェル(ナランバヤルの父)から嫁のフリをしてくれと頼まれたら嫌々ながらも断らない。
しかも、オドゥニ・オルドゥ(バイカルの族長)から飲み比べを持ちかけられてナランバヤルを馬鹿にされたら、「この国の水が全部ワインでも飲み干す自信がありましてよ」と大言を吐く豪胆さもある。

対して、ナランバヤルはルックスこそイケメンというわけではないが、とにかく頭の回転が早くて口が達者。
街で右大臣ピリッパッパの親衛隊が揉めているのを見て、噂話などの断片的な情報から右大臣と左大臣が対立しているのを瞬時に見抜き、機転を利かせてその場の揉め事もなんなく収めてしまう。
サーラが不安そうな表情をしていたら手を差し伸べられる気の利かせ方から優しい性格も滲み出ていているし、水路計画を持ちかけて一発逆転させようとする野心まである。

このような魅力的なナランバヤルにサーラが惹かれるのはすんなり納得出来るのだが、ナランバヤルは、なぜふくよかな体型のサーラに惹かれたのか。
むしろそういう体型の女性が好きなのかな、とも邪推したくなるのだが、そうではないのが本作の肝。

相手を思いやる優しさを大事にする

ナランバヤルがサーラに惹かれた理由の最もよく伝わるのが、レオポルディーネのお茶会に招かれ、サラディーンがたった一人の王女と結婚するならどのように選ぶのか問われた場面。

父の言葉だという前置きの後に続く。

最初に感じた愛や恋は月日と共にすり減って違う何かに変わっていく
だから君はそのときの美しさよりも
一瞬の美しさよりも
自分の親兄弟と同じかそれ以上に自分を大切にしてくれる人を探しなさい と

つまり、結婚して長いこと一緒に暮らしていくと恋愛感情は「違う何かに変わっていく」ということで、これは一夫一婦制のルールのもとに恋愛結婚するほぼ全ての人々に当て嵌まることだと思われ、その意味は重い。いずれにせよナランバヤルはサーラが自分を大切にしてくれる女性だと考えている。

サーラは帰宅が遅くなればテラスでナランバヤルのことを待ち、本人がいないところで悪口を言われたら族長の飲み比べにも応じるし、命を狙われていたら一目散に駆けつけてくれる。
このように自分のことを大事にしてくれるサーラにナランバヤルが惹かれるのは当然のことで、原作の著者はヒロインを敢えてふくよかな女性にすることで、サーラの芯の強さと優しさを強調したのではないかと思われる。

さらに初めて族長に合う場面では、サーラの体型をネタに敢えて笑わせに来ているのがあざとくて、その後のサーラの反応のギャップも含めて好きな場面。
国一番の美女という触れ込みで、顔を青くしたサーラを登場させて、族長の少年好きが露呈したり、「俺はけっこういける」「全然アリ」などの声が聞こえてきたりと混沌とした場の様子が可笑しい。


エンドロールで流れる手描きタッチイラストの多幸感を含め、観終えた後の余韻の素晴らしい映画だった。改めて漫画を読み直すほど良かった。

ひとつ不可解なのは、同時に3人の姫の愛人として立ち回るほど聡いサラディーンがナランバヤルのことを”本当の婿ではない”のを指摘したこと。
王女たちは反戦派なので、猫を贈ったことは即戦争へと繋がる可能性を考慮してむしろ秘匿しておいた方が都合の良いはず。
ナランバヤルを味方へ引き込めるかどうかを試したのかもと考えたが、サラディーンが国交を開くことへ前向きになるのは、ナランバヤルから説得されてからなのでこの時点でその意図は無い。
ナランバヤルの反応を楽しむため、暇を持て余した姫たちへの余興のつもりというのならかなり危うい指摘だった。


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