ひかりのなかで遊ぶ
いちばん秋が好きだ。秋のなかにいるとこれが永遠という気がするのに気がつくと去っている。
とはいえ秋はバランスを崩しやすくて、そのたびに寝込んだり薬のお世話になったりしていた。じょうずに思い出せない年もある。
私がとくに弱っていたとき、ろくに本も読めなかった。ふだん暇さえあれば本を読んでいたけれど、当時はほとんどの本を体が受けつけなくなっていた。
胃腸の弱っているとき、どんなに美味しくても脂ののったお肉とかは食べられないのに似ていて、あのころ私はだし汁の上澄みみたいな、やさしいものだけ読んでいた。
いちばん心に残っているのは、八木重吉の詩。
短くて、平仮名ばかりなのもよかった。
こんな感じに。
いっけん子どもが呟いたことばのようだし、この短さもふしぎだった。でもだからこそ、弱っていても負担なく、ひとつ、またひとつと読みすすめることができる。
ぽつりぽつりとこぼされたような詩はあどけなくて、優しい。
でもどこか深い悲しみもある。
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八木重吉は、明治31(1898)年生まれ。詩作にはげみながらも結核に侵され、29歳で夭折。
生前刊行された詩集は『秋の瞳』ひとつだった。(没後に自選の第二詩集『貧しき信徒』が刊行された。)
あどけなくて、自然そのものに溶けこんでゆくような透明感があるけれど、ひとつひとつ未発表詩なども含めて読んでいくと、けっして美しくて光に満ちたものだけではない陰影の重みがほんとうはあることがよくわかる。
死への傾斜や、綺麗ではない感情もあるし、とくに病に侵されたのちの絶筆のノートには、娘の名前をただ連呼するような差し迫った気持ちのほとばしりもあって胸にせまる。
でも彼が残したかったのは、おだやかで、しずかな、どこか飄々とたわむれるようなことばたちだった。
「かなかな」という詩のなかで彼が書いた
「ひたすらに 幼く 澄む」
という言葉が、彼の詩のすべてを表しているように感じる。
苦しさの淵であえぎながらも、死にたさを抱えながらも、その苦悩すら手のひらでそっと撫でるようにして、どこまでも澄んでいこうとする。そして澄んだ水面の上澄みにうかぶ、いちばん綺麗なものをすくいとって詩集に編んだ。
ちなみに未発表詩稿にも心惹かれるものはいくつもある。
重吉は、じょうずな詩を作ろうとかではなく、ただただ澄んで、いちばんやさしくやわらかい部分を詩としてすくいとった。
上澄みはけっして表面的なものではなくて、そこには深い底からたちのぼる味も香りも含まれている。
元気でいるときには味気なく感じるかもしれないけれど、私がとくに弱っていたとき、この詩は甘露のようだった。
いまでも大切なものだし、心の奥深くまで響く大好きな詩。
もう季節は秋から冬にむかっている。去りゆく秋を惜しむ気持ちで、最後に八木重吉が秋をうたった詩のなかから、ふたつばかり。
晩秋の光は低いところから斜めにさしてくる。
真上から叩きつけるようなものではなく、斜めからやさしくさしこむ。まるで地面のうえをすべりころがるように広がってゆく光だまりのなかで、いまも重吉の魂は遊んでいるかもしれない。
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参考文献
詩の表記はすべて『定本 八木重吉詩集』(彌生書房、第18版 昭和53(1978)年発行)に拠りました。
※重吉の詩集には歴史仮名遣いと現代仮名遣いのものがあるけれども「誰にでもわかりやすいようにと念願した重吉にとって、現代かなづかいは最もふさわしい表記法であると思う」という編者・吉野秀雄の言に私もならい、この記事でも現代仮名遣いとしています。
各詩の収録は下記の通りです
☆「ほそい がらす」「雲」「沼と風」「毛虫を うずめる」「おもい」
→『秋の瞳』に収録(青空文庫はこちら)
kindle版もあります
☆「涙」「かなかな」「私」「夜」「響」「秋のひかり」
→『貧しき信徒』に収録(青空文庫はこちら)
kindle版もあります
※注 「秋のひかり」内の「ここで遊ぼうかしら」という一文は原稿だけにあり、刊本にはない字句となります。
☆「晩飯」→「信仰詩篇」昭和元(1926)年2月27日編(『定本 八木重吉詩集』内に収録)
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文庫サイズで、重吉の詩をやわらかなタッチの絵と楽しめるこちらもおすすめです。50篇弱に厳選された詩はいずれも胸を打つものばかりでした。井上ゆかりさんが重吉の詩のために描いた絵は、ほんとうに詩に寄り添っていて、ひとつの絵本として楽しめます。
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