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ぽたりと落ちた涙のような

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

南天にまつわる大好きな歌。山崎方代さんの代表歌で、たくさんの人々に愛誦されてきて、知っている方も多いかもしれない。
ほんとうにいい歌というのは古今集のよみ人しらずの歌のように、かんたんな言葉で、それでいて深く、なんの説明も必要とせず、多くの人の心にすっと沁みこんでゆく。

過ぎ去った、秘めた恋をやわらかく歌ったこの作品が60代のときのものであるということに私はとても惹かれる。

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山崎方代さんは大正3(1914)年生まれ。戦争で片目を失明、その後もう片方の目もよく見えなくなった。戦後は靴修理や農家の手伝いなど、生涯定職につかず妻帯もせず、あちこち転居をくり返し、四畳半の小屋のような家でひとり慎ましく暮らしながら歌を詠みつづけた。

決して順風満帆とはいえない境涯だったけれど、方代さんの歌は暗くない。

仕末のつかぬ俺の所業にてこずって身をけずる姉が浅間町にあり
何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず
恐ろしきこの夜の山崎方代を鏡の底につき落すべし


陰影の深みはあるけれども独特のかろみや、あっけらかんとしたユーモア、向日性の植物のような明るさがあり、その朗らかさにどことなく惹かれる。

死ぬほどの幸せもなくひっそりと障子の穴をつくろっている
それはもう判このようなさびしさを紙きれの上に押してもろうた
お隣に詩を書く人がひとりいて飢え死ごっこをして生きている


おどけてはいるけれども、しっぽりと暮らすひとりの男の人のたたずまいが伝わるいい歌が多い。
でも方代さん自身はそんな自分を「方代」と呼び捨てたり、お隣の詩を書く人と戯画的にうたったり、どこか物語の登場人物みたいに観客席から眺めるようなまなざしでいる。

いつでもにこやかにおどけてみせるけれども、自分自身の道化ぶり、つくりものめいた在りかたを、その嘘っぽさも、そうあらざるを得なかったやるせなさも、認識していたのだと思う。

おのずからもれ出る嘘のかなしみがすべてでもあるお許しあれよ



ひとりの侘び暮らしのなかで、方代さんは土瓶や湯呑、それから庭木の侘助椿や柚子、青じその花など、身近なものに心を通わせてゆく。
ふざけたり、おどけたり、道化師のようにふるまう一方で、自然にむかうときだけは思わずこぼれるように素直に心のうちを歌う。

近づけどずっと向こうへ道はのびどんぐりの実がころがりいたり
来ぬ人を待つ悲しみよ山茶花は蕾もかたく土にこぼるる
それとなく別れを告げて笹の葉にどうにもならない涙をおとす


ただひとりこぼしてしまう涙のような歌だ。
ずっと和やかにおどけてみせたピエロが、人しれず我しらず、ふいにぽたりと落とした涙のような。
そこに含まれる「ほんとう」の響きに、私たちは心打たれるのだと思う。

そして方代さんはこの、落ちる、こぼれる、ということをよく詠っている。たぶん、彼にとって大切なイメージだったのだと思う。作為ではなく、ふと思わず、落ちてしまう。「誤って生まれた」と感じていた彼にとって、生まれ落ちることも、思いがけずなされてしまったことなのかもしれない。
そして、おどけて朗らかにいるなかで、ふとこぼれてしまう、そこにある「ほんとう」のなにかを、彼は身近な草木にだけは見せていた。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております


この歌が詠まれるまえ、おなじ南天を方代さんは詠んでいる。

知ることの空しさ心づもりなど南天の実が教えたまえり


報われなさ、かなわなさ、そういう深い悲しみが静かに伝わってくる。ひとりだれかを想うなかで、ほんとうの胸の裡はひそやかに草木に語りかけるのみであったのかもしれない。そしてまた、草木も自分に語りかけてくるような、心を通いあわせるようなつながりをそこに感じていたのだと思う。
南天の実はかなわない想いに寄り添っている。

だれにも言えなかった想いは、南天の実を見るたびに憶い出していたんじゃないだろうか。
そして歳月がたって、60代になって来し方をふりかえって、人知れず涙がぽたりとこぼれるように、あの歌を詠んだような気がして、そういうことを思うと余計胸の深いところに響いてくる。

晩年はおどけるような親しみやすさからはすこし離れて、澄んだ詩境にはいってゆく。
自分というものが透けていって、自然そのものが美しく見えてくるような、その期間の凛とした歌も私は好きだ。

からす瓜の種がこぼれて実をつけて霜月紅く色づきにけり
あかあかと夕日が山を下りてゆく何処かで一度見たことがある


そして最後にひとつだけ。晩年に詠んだ南天の歌がある。

そこだけに雪がチラチラ舞っている南天の実は赤かりにけり


そこだけに雪が降るはずはないのだけれど、まるでそこだけに降っているかに見えるほど、鮮やかに色づいた南天の実の赤さが心に沁みたのだろう。
決してはっきりとものが見えるわけではない目に、かつての想いを打ちあけた南天の実、そこに恩寵のようにこぼれ落ちる真っ白な雪が、どんなに美しくその目に、あるいは心に映ったか。

それを想うほどに、この歌がいつまでも忘れられない。

そしてまた、この人しれずこぼれ落ちたものが、どうか多くの人の心にも届いてほしいと、ひとりそっと祈っている。



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※『山崎方代全歌集』(不識書院,1995)より歌を載せています。初出が旧仮名遣いである場合もありますが、歌集収録時に新仮名遣いにされていることから、ここでは歌集収録時のものに拠りました。


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