種を蒔く ~発達障害の早期支援~
以前、こんな連投ツイートをしました。
誤字はご愛嬌ってことで…。
何の気なしに呟いたのですが、想像以上に多くの人に見ていただいたみたいで。Twitterの拡散スピードの速さを体感して、びくびくしてました。
読んでいただいた方々、ありがとうございました。
この連投ツイートが多くの人に見てもらえたのは、おそらくいろいろな現場で、同じ悩みを抱えている人が多いからだろうと感じています。
保健師は主に乳幼児健診で保護者の方とお子さんと向き合いますが、毎日お子さんを見守っている園の先生方、学校の先生方も同じような葛藤を抱かれているかもしれません。
発達障害という言葉
いつの間にか発達障害という言葉が世の中に浸透してきましたね。
NHKでも特集が組まれたり「自分は発達障害です」とカミングアウトする芸能人の方も出てきました。
でもあくまでも発達障害という「単語」が知れ渡っただけで、理解が十分にされたとは言い難い。
とある講演で心理士の講師が次のようにおっしゃっていました。
「発達障害を理解することは、人間を理解することだと思う」と。
発達障害は、ここからが障害・ここからは障害でないというはっきりした境界がありません。
発達障害を知れば知るほど「自分にも当てはまるかも」と思う人、少なくないと思うんです。でもそれって間違っていなくて、誰しも濃度の違いはあれど発達障害の特性を持って生きているんです。
テレビでは主に中学生くらいから大人の発達障害の方が取り上げられますが、乳幼児期~小学生くらいの特集を見た経験がありません。
本人が自分の生きにくさを自覚し、言葉で表現できる年代が中高生だからでしょう。
保健師の私は、テレビでは特集されない乳幼児期の支援をしています。乳幼児期の支援の大きな特徴は、支援を受ける受けないの決定をするのが、本人(子ども)ではなく親や家族である点です。
早期発見と早期支援が(いつの間にか)乳幼児健診に求められるようになり、現場は対応の難しさに頭を悩ませているのではないでしょうか。
うちの子はおかしいってことですか?
健診で気になったお子さんがいたとします。私は保護者の方に「ここの点が保健師としては気になる」と説明し、受けられる支援をいくつか提示する。”様子を見守る”という選択肢も。
「うちの子は、保健師さんからみておかしいってことですか?」
この言葉が返ってくるのは珍しくありません。
「他の人からそんなこと言われたことない」「活発で元気がいいだけ」「他の子も同じようだから心配はしていない」
たった20分で、この子の何がわかるんだと言われているような気になります。
保健師から来て下さいと言われたから時間を作ってわざわざ来たのに、場合によってはお子さんにケチをつけられるわけです。
だけど、本当にその通りで。
たった一度の、約20分の相談場面で、自分はこの子の何を理解したというんでしょうね。
何様のつもりで偉そうに「お子さんには〇〇というところがありますね」と言っているんだろう。
早期支援の必要性はあるのか
健診の場で、お子さんの全てを理解できるわけではない。それでも私は”早期支援は必要”だと思います。
そして支援を受けるための”早期診断”も必要だと思います。あくまで目的は診断されることではなく、診断されることでどんな支援が受けられるか、ですが。
保健師の中でも「生活に支障が出ていないのに、発達障害の可能性を伝えることに意義があるのか」「指摘されることで楽しく育児ができなくなる人もいるのではないか」と意見が分かれます。
ラベル付けしたからといって、そのお子さんや家族が生きやすくなるわけではありませんからね。
たまに思春期~青年期くらいのお子さんのことで相談が入ります。
人間関係がうまくいかない、学校に行きたがらず引きこもりがちといった相談が多いでしょうか。
よくよく調べてみると実は ”小さい頃、保健師が気にかけていた子だった” ことが少なくありません。
昔は今ほど、「保健師としては気にかかる」と伝えていなかった時代です。
保健師は気づいていたのに。
そんな相談を何度か受けてから、私は「早期支援は必要なんだ」と考えるようになりました。同時に早期支援とは、気づきの種を蒔くことではないかと思い始めました。
種を蒔く
もちろん支援を利用しなくても、大きな問題を抱えることなく一生を終えられる方もたくさんいると思います。
だけど私は、私が保健師として関われる乳幼児期のうちに、できる限りの気づきの種を蒔いておきたいのです。
ありがた迷惑。お節介。余計なお世話。
あなたから指摘されなければ、子どもにレッテルを貼らずに育てることができたのに。
ストレートに言われたこともあります。
大丈夫ですよね? に「大丈夫」と返さなかったこともたくさんあります。
本当は…不安に思う家族を安心させてあげる言葉をかけたい。
よく育ってきてますね、大丈夫ですよ。立派に大きくなってますよ。
でも一方で保健師の「大丈夫」の一言が、その子の一生を左右するかもしれない。それを私は知っています。
困ったタイミングで「もしかして保健師が言ってたのって…?」と、どこかの相談機関につながるように。もし将来、その子に支援が必要となったとき、蒔いた種が芽吹くように。
嫌われようが、批判されようが、その子の10年後に責任を持つ。
傷つけたくない相手を、傷つけるかもしれない覚悟を持って。
傷つけた責任は、適切な支援へつなぎ、寄り添い、共に成長を喜ぶことでしか果たせないと思うから。
支援の結果が実るのは、10年後の未来。
どのような形で実るか。見届けるまでが保健師の仕事であり、責任なのだと思う。
そしてどんな実になるのかは、身近な大人や環境、そして社会にかかっていると思っている。