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ちょっと怪しげな方向に行きそうで自分でも怖いけど…私が感じているいろいろな『におい』の話

最初に。

今日のエントリーは、かなり読む人にわかりづらい内容になる事が予想されるので、途中で分からなくなった人は離脱推奨でよろしくお願いします。(実は自分でも今回のテーマをどうまとめていいのか思いあぐねている状態です)

1.物心ついたころから「におい」に敏感だった

物心ついた頃から「におい」というものに敏感で、人が気にならない匂いが気になってしょうがなかった。特に悪臭と呼ばれる類の匂いには神経質なまでに敏感なので我ながら嫌になるほどだ。

例えば子どもが赤ちゃんだったころ、我が子がおむつの中に排泄するとすぐ気が付いた。それだけではなく、人様の赤ちゃんの排泄にそのお母さんよりずっと早く気がつくことが多かったのでよく驚かれたものだ。

……と、ここまではいわゆる一般的なにおいの話。話はだまだ続きます。

2.人の「におい」で相手の本性がわかるようになった思春期~現在

思春期を過ぎたころからは、人の内面的な「におい」に敏感になった。

例えば、対峙する人の醸し出す雰囲気やこちらに向けたさまざまな感情、つまりその人自身の「本性」のようなものが嗅覚でたやすく感じ取れてしまえるようになった。さらに言えば、たまにその人が育ってきた背景、つまり生活レベルやどんな家庭であるか?ということまで的中してしまうことが増えたため、自分で自分が不気味だと何度悩んだかわからない。

ただ、良くも悪くも正直すぎた思春期の頃はうっかりそれを口にすることで相手の地雷を踏んでトラブルになってしまったことが何度もあり、人間関係の構築にどれほど苦労したかわからない。長年いじめられたのもその辺に理由があったのだろうと思う。

最近はさすがにそのようなヘマをしない程度には大人になったが、それに反比例するように相手の「匂い」を判断する嗅覚がますます鋭くなり、最近ではほぼ初対面で相手がどんな人であるかが大体わかってしまう。特に「この人は絶対に自分と合わない」という人は初対面どころか一瞥してわかるようになってしまった。そういう人からはとにかく私にとっては耐え難いような嫌な「におい」がするのだ。

もちろん、最初は自分の嗅覚などあてにならないと思っていた。それは私の思い違いや先入観による偏見だと自らを恥じた。だからファーストインプレッションで感じた嫌なにおいを否定し、できるだけ善意に相手を見るようにしてきた。

けれども悲しいかな、嫌なにおいがする人間とはその後何年経っても、どう頑張ってもやっぱり合わない。それどころか無理して付き合えば付き合うほどずたずたに心が傷ついてしまうばかりなのだ。だからそのような人とは極力離れるか、できるだけ当たり障りのない範囲で付き合うようにしてきた。

今は嫌なにおいを持つ人、つまり自分と合わなそうな人や、こちらにそこはかとない敵意を向けている人を自分から避けている。おかげで以前より人間関係で苦労することがなくなったのは幸いだ。

3.自分と同じ「におい」を持つ人に出会った近年

ところで、最近になり気が付いたことがある。それは「自分とほぼ同じにおいを持つ(らしい)人間」の存在だ。

そのような人たちからはなんのにおいもしない。にもかかわらず……なんと形容したらよいのだろう……自分と同じ「におい」を感じるのだ。そして、近づくと長い時間その人のそばにいるのがちょっとしんどくなってしまう。なぜなら自分自身を外から見ているような、実に奇妙な感覚に陥り、なんとも言えない居心地の悪さを覚えてしまうからだ。

現在、私から見てそのような立ち位置にある人が男女を問わず数人いる。それは家族でも親兄弟でもない赤の他人だ。それに年齢はおろか、育った背景も現在の生活形態もことごとく違う人ばかりだ。さらに言えば、近年までは顔も知らなかった間柄だ。

なのにどうしてだろう。ものすごく居心地が悪いのに不快ではない。どちらかといえばくすぐったいという感じがぴったりだ。それに、一緒にいると「この人(たち)とは何も言葉を交わさなくてもツーカーでいけるかも」という根拠のない安心感が常に隣り合わせとなり、なんとなく気持ちが安定するという一面もあるのだ。

また、奇妙なことに、その人たちとなんでもない世間話をした、あるいはその人たちが意識もせずに行っていたことを目にしたことで、それまで絡みに絡んでいた糸がすうっとときほぐされていくかのように頭がクリアになった。そしてその時抱えていた問題を解決する糸口が次々と見つかり今に至る。

実を言うと、そのような人たちと出会って以来、もともと守りに入りやすい私の人生は、自分でも予想だにしなかった斜め上過ぎる攻めの方向(なぜかWebライターやってます)でばく進している。ただそれは決して悪いことではないとも思う。もはや何か見えざる手が自分を良い方向にもっていってくれているかのような、そんな感じさえするのだ。

今はとりあえず行けるところまで行き、とことん斜め上方向の道(Webライターとしてやっていく道)を上がっていこうかと思う気持ちになっている。人生いくつになっても挑戦を続けていいんじゃないかとも思えるようになった。

それにしても、人との出会いがきっかけとなり、晩年に向けて人生が良くなるなんて最高ではないか。そう考えると、人生の後半で私と同じ匂いを持ち、私が前に進む勇気を出すきっかけを与えてくれた人たちに出会えたことには感謝しかない。

最後に

今日のエントリーでは色々と怪しげでわけのわからないことばかり書いてしまったので、無理やり頑張ってここまで読んで下さった方には本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。

ただ、これらの不思議な出来事は間違いなく私の周囲で起こってきたことだ。昔からにおいに敏感なところはあったが、よもやその嗅覚をもって人の本性や生きてきた背景、さらには自分との相性までわかってしまうようになるとは思わなかった。でもまあ、その変に鋭い嗅覚が私の人生を良い方向に変えてくれたなら、結果オーライという事でよしとしよう。

カバー画像:pixabayより

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