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「楽に働きお金を稼ぐ」ことに罪悪感を覚える必要はない

この仕事を始めてから1年半ほど経った頃から、労力以上の収入が得られるようになった。

もちろん、これ1本で食べていくと考えればまだ全然足りないのだが、家計を助ける、あるいは老後に備えて貯蓄するという目的なら十分な収入を、家にいながら得られるのだからとてもありがたい。

バイトやパート、あるいは正社員で同様の金額を稼いでいたころは、たくさんの嫌なことを我慢し、頑張って頑張って働いてその収入だったのだが、今は「こんなに楽に仕事してそんなにもらっていいのかしら? 」と思うほど、精神的に楽な気持ちでゆるゆると仕事をし、それと同程度の収入が得られているのが不思議でしょうがない。

そう、私にとってライターはあまり苦にならない仕事なのだ。

納期間際にうなりながら記事を書こうが、仕事に熱中しすぎて徹夜になろうが「まあ、お金をもらっている以上そういうこともあるさ」という感じで、あまり苦しいとは思わない。傍から見ると「そんな大変な仕事」らしいのだが、私は全くその自覚がないのだ。

そもそも、地獄のような職場環境だった正社員時代や、20年以上ずっとワンオペで子育てをしてきたことに比べれば、この仕事で起こる理不尽な出来事すらも吹けば飛ぶほど軽いと思う。

さらに言えば、少し前にスランプに陥った時でも、洋裁とか編み物、カメラなどの「趣味」で行き詰った時とあまり変わらない感覚しかない。つまり、客観的に見れば確かに仕事として文章を書いているものの、私の中では「仕事」をしているという実感が希薄なのだ。

しかし、「楽に働きお金がもらえる仕事は1つもない」「仕事は辛いのが当たり前」「苦労してこそ仕事」と、長年周囲の大人から刷り込まれてきたため、自分的には「自分にとって苦にならない仕事で楽してお金を稼いでいる」いう現状に、大きな罪悪感を覚えてならない。ああ、なんて貧乏性なんだろう。

しかし、そんなふうにうろたえ、自分の仕事を「内職ですから」とつい卑下しがちな私に、身近な人生の先輩方が異口同音にかけてくれた言葉がある。

「それはあなたにとっての『手に職』や『天職』では? 多分誰にでもできる仕事じゃないよ」

彼ら曰く、「あなたが『楽に働きお金をもらえる』と思っている仕事」は、すなわち「あなた自身が苦労を苦労と思わないだけで、他の人がやれば大変な苦労を伴う仕事である可能性が高い」という。

また、「苦労を苦労と感じない」ということは、これまでの人生でそれなりに苦労を乗り越えてきたからこそ思う事であり、本当に苦労がない人ならそんなことを絶対言わない……とも。

そして最後に、「今まで1人で子育てを頑張ってきたご褒美として今の仕事を神様が与えてくれたに違いないのだから、堂々と『楽に仕事してお金がもらえている』と自慢してもいいぐらいだよ」と激励されてしまった。

実はそう言われても半信半疑の私だが、豊富な人生経験を持ち、酸いも甘いも噛み分ける年齢となった人たちの言う事だから、その言葉はおそらく間違いないだろう。

また、最近自分でも、以前より肩ひじ張って頑張らなくても、仕事を始めとする色々なことで自分が思っていた以上の成果を実感できるようになった。それが「年の功」というものだろうか? だとしたら嬉しいのだが。

ライターは、「これまで生きてきたうえで自分の糧となったものがどれだけあるか」が勝負となる面があるが、これまでの私は職歴が浅いことからその部分で勝負するのが難しいと思ってきた。しかし、蓋を開いてみれば、この人生経験そのもので楽に勝負できる状態にあることに、今さらながら気づかされた次第だ。

そうは言っても、自分の中に蓄積されたものだけで勝負していれば、いつか行き詰る日が来るだろうということもわかっている。だから、楽な精神状態で仕事をする一方で、趣味を突き詰めてきたときのようにライターとしての知識をより深め、これからも楽に仕事が続けられば最高だと思うのだ。

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