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表現力のあるライターになりたい

先日、ある人に「あなたは『表現者』の雰囲気を持っている」と言われた。

演劇、音楽、美術、文学など、自らの内にある何かを表現する雰囲気があるのだそうだ。

特に芸術的な才能があるわけでもなく、ごく平凡な主婦の自分のどこにそんな雰囲気が見えるのかわからない。

ただ、文学を作り出す人は「書く人」。同じく「書く」でお金をもらっているライターは、文学の表現者である小説家に若干近いと感じるのかもしれない。

でも、小説家や詩人、歌人などは、自分の内から生まれる何かを言葉で表現するのに対し、ライターはすでにある情報をわかりやすい形に整理して伝える伝達者だと思う。

確かに言葉という表現ツールは使っているが、自分の内なるもの、たとえば感情や感性が表に出てしまっては、ライター失格だ。

感情や感性は二の次、あくまでも客観的な見地で、冷静かつ正確に事実を伝える「伝達者」としての役割が、ライターには求められている。

そこに表現が入る余地があるとすれば、おそらく「読む人の役に立つ」ものを書くための表現に他ならない。

そう考えると、やはりライターは表現者ではなく、あくまでも伝達者に徹することが必要不可欠だ。

とはいえ、エッセイ的なコラム記事は別かもしれない。そちらは表現力をいかんなく駆使することが必要な場合もある。

たとえば、私的な体験をもとに書いたこんな記事とか。(笑)

これなんて、まさに自分の体験を面白おかしく表現したものだが、ヤフコメなどの反響を見ると楽しんで?読んでもらっているようだ。

また、このような記事はリアルな体験談に基づき書いているので、間違った情報で人を困らせる恐れがない。だから私が書いても問題はない。(別の意味で叩かれる可能性はあるにせよ)

今後私がライターを続けていくなら、多分その路線が一番生き残りやすいだろう。そのためには、自分が経験したよくある出来事に対する洞察力を磨き、それを人が面白いと感じる文章にする表現力が必要不可欠だ。

また、自分の人生そのものをネタにするわけだから、ともすれば独りよがりな文章になりかねない。それを面白く読み応えのある文章にアレンジするためにも、表現力を磨く必要がある。

そうなると、私が今後進む方向は、やはり表現者への道になるのだろうか……多分そうなる。

それなら、これまでの人生を棚卸しし、読む人が心から楽しめる(?)文章を書くだけの表現力をもっとつけたい。

そのためにはもっと実績を積み、私だから書ける記事を書かせてくれるクライアントをもっと増やさねば。(笑)

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