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Webライターへの道:私の背中を押したのはなんと「母」だった

50代を目前に子どもが自立し、母としての役目がほぼ終わったので、それに代わる「何か」を見つけるための選択肢の一つとしてクラウドソーシングに登録し、自分にできる仕事を探して始めた。

始めはモニター感覚でしかなく、正直言ってそれで1万円も稼げるとは微塵も思っていなかったので、タスクという単発で楽な仕事を中心に受注していた。けれども、これまでにもよくやってきたTV視聴モニターと同じ感覚で、軽い気持ちでライティングの仕事を受注したところ、そのクライアントから「継続依頼」という形で仕事を請け負うことになり、ふと気が付けばライティングの仕事を複数受注する状態となっていた。

登録当時は専業主婦で時間はたっぷりあった。だから2000文字で500円にも満たない、今考えれば叩き売りのような単価の仕事を月に30本ほど請け負い、月数千円の収入を得ていたわけだが、そんな状態にもかかわらず、登録していたランサーズの認定ランサーとなり、それに伴い仕事の打診が増えたため、大した才能もない自分がこれを「仕事」としてよいだろうか?とかなり悩んだ。

家族や身内はWebライティングを「仕事」とすることに良い顔をしなかった。そもそもクラウドソーシングとはなんぞや?という感じだったし、Webライターなんてなんとも怪しげな響きだと私ですら思っていたのだから、彼らが良い顔をしないのも当たり前だった。

「仕事がしたいならパートにでも出たら?」

「お金に困っているわけではないのだから趣味でもやっていたら?」

身内は大体口をそろえてそう言った。

けれども、母だけは違った。

「クライアントがあんたを信用して継続的に仕事をくれるのなら、『仕事』としてちゃんとやってみたら?あんたなら大丈夫よ」

と言ったのだ。

意外なその言葉に私は驚きのあまり声を失った。なぜなら、堅実をモットーとし、無難に生きることをよしとする性格で、「身の丈に合った暮らしをする」というのが母の信条だったからだ。だからどう考えても夢食って生きているような感じにしか思われそうにないWebライターへの道は、私にとっては「身の丈に合わない」と言われて反対されるか、あるいは鼻で嗤われるだけだと覚悟していたのだ。

最初は性質の悪いジョークを言っているかと思ったほどだ。けれども、母は至って本気だった。

後で知ったことだが、他ならぬ母自身が洋装店と契約して自分が縫った服をデパートに卸していたという経験があった。だから実はそのような業務形態の仕事に非常に理解のある人だったのだ。

また、母は我が子といえども絶対に過大評価などしない人なのだが、なぜか私からその話を聞いた時「文章を書く仕事はこの子にとって『手に職』になる違いない」と確信していたらしい。子どもの頃の作文を読んだ記憶からかとにかく「仕事としてやっていけるレベルだ」と思ったようなのだ。

そんなわけで、ためらっていた私に「ダメなら辞めればいいのだから、とにかくやってみなさいよ」と強く背中を押したのは母だった。そのことが私にとってどれだけ大きな心の支えになったことか。その影響は計り知れない。

そんなわけで、それまで自信がなかった私は、完全に「仕事」として自分の意識をシフトチェンジし、本格的にこの仕事に取り組み始めた。

その途中では例のDeNA騒動などもあり、一時的に全ての仕事を失ったこともあったが、今年に入ってからは割りの良い継続案件もいただき、去年とは比べ物にならないほど収入がUPした。

今の収入は月10万円弱で、UPしたといっても自力で生活できるレベルではないが、世帯収入という点で考えれば生活には困らない程度には家計に貢献できている。そもそも家にいながらそれだけのお金が稼げるなんて思いもよらなかったので、母の言っていた「手に職」もあながちウソではなかったかもしれない、と自信を持ち始めている。

それにしても、母が背中を押してくれなかったら今の私はない。収入はまだまだ少ないが、自分の持っている能力を生かしてパート程度のお金を稼ぎだす力があるというのはやはり私にとっては生きる力となる。そう考えると、老境に入っても頭が衰えることなく娘よりも勘が冴えわたり、娘を正当に評価してくれる母には本当に感謝している。

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