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書く仕事の社会的責任は重い。だからこそ続けたかった仕事から降りた

最近、体調不良を理由に、最も長くやっていた仕事をひとつ手放した。

金額はそこそこな無記名記事ではあるが、メディアの方針やチェック体制はもちろん、編集者の姿勢もすばらしい。だから、できれば手放したくはなかった。

しかし、だからこそ手放した。いや、手放す必要があった。

その案件は、マンツーマンで難関資格を持つ専門家が添削するほど難しい内容。専門用語満載の資料の読解もかなり難しい。

つまり、私にはレベルが高すぎたのだ。(それでも編集者や専門家の方からは高く評価してもらった。そのことにはただ感謝しかない)

ライターとしてステップアップするためには、少々背伸びして難しい案件に挑戦することも必要だ。それにより得るものは非常に大きい。

しかし、それよりもはるかに大事なのは「引き際」だということに、今更ながら気づいてしまった。

正直言えばこの決断についてはかなり迷った。自分にとって非常に勉強になる仕事だったからだ。

しかし、その仕事は、私が健康な状態でようやく一定の水準を保てる高いレベルだ。体調を崩した今無理に続ければ、資料の読み違いなどから来る致命的なミスも犯しかねない。

万が一そのミスを編集者が見逃せば、記事の公開後に読者に不利益が生じ、メディアにも損害を与えかねない。仮にもプロである以上、それは絶対に避けたかった。

そのようなことになる前にこの仕事を降り、早めに他の人員を募ってもらう方がいい。その方がメディアに損害を与えないし私も無傷で済む。

というわけで、ようやく辞める決断に至った。

もちろん、今でも心残りはあるが仕方ない。引き際をわきまえたこの判断が正しかったと考えよう。

なに、私より優秀なライターなんて掃いて捨てるほどいる。代わりはすぐ見つかるだろう。

それに、体調が戻れば、私自身にも新しい仕事も見つかるだろう。その程度の実績は積み重ねているから、そこは心配していない。

それにしても、ライターとはなんと神経を使う大変な仕事なんだろう?おかげで、過度の集中により、何度体調を崩したかわからない。自己管理が下手な私には、なおさら大変な仕事だ…

自分が書いたものが世に公表されることで、自らに生じる社会的責任は、とてつもなく重い。それは個人のライターだけでなく、メディアや出版元の会社も同じだ。

言葉の選定をひとつ間違えただけで炎上し、時に人の命まで奪う力を持つ。それほどの力を持つペンは、確かに剣よりもはるかに強い。

私は一介の底辺ライターに過ぎないが、仕事の経験値が上がるほどその怖さを痛感、ただでさえ重い筆がますます重くなるばかりだ。

もしかすると、そんな私はライターに向いていないのかもしれない。

でも、これまでに私が書いた記事は、記名記事だけでも50を超え、少なくとも数十万人の人が、私の記事にアクセスして読んでくれている。

だから、仮に今すぐ廃業したところで記事は残り、引き続き多くの人の目に触れ続けることになるのだ。

そう考えれば、「私ライターに向いてないわ」なんて言ってももう遅い。

ライターと名乗った以上は、この仕事を辞める最後のときまで自分が書くものに責任を持ち、絶え間なく襲いかかるプレッシャーと戦い続ける必要がある。たとえ、文字単価1円未満で書くライターであっても…だ。

クライアントと契約し、1円でも報酬が発生すればその時点ですでにプロ。プロとして書いた以上、それには必ず社会的責任が発生する。たとえクズのごとく安い仕事でも、その責任から逃れるわけにはいかないのだ。

だからこそ、一定以上の品質を保てない仕事が発生した場合は、速やかに撤退する必要がある。一時的に収入は下がるが、長い目で見ればその方が多くの仕事を失わずに済むだろう。

だから、今は不調でもできる仕事だけに絞り、コンディションを整えたいと思う。その決断が良い方向に向くようにと祈りつつ。

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