「因果応報」を地で行く話
いじめた側は自分がいじめたことをきれいさっぱり忘れる人が多いらしい。
しかしいじめられた方は一生そのことを忘れない。忘れようにも忘れられない。
私は長年いじめ抜かれて性格が歪んでいるから、30〜40年前に自分をいじめた者の「因果応報」をつい願ってしまう。
おそらくいじめられた人の多くは私と同じ思いではないだろうか?
しかし、案外その思いは天に届いているのか、いじめ加害者の多くが「因果応報」を地で行くような不幸に見舞われることも少なくない。
◇
実は最近、まさにその現象が私の周辺で起きた。
高校の頃非常に陰湿ないじめで私を陥れた人物が、今になって信じがたいレベルの不幸に見舞われていると親から聞いたのだ。
その瞬間、私の脳裏に浮かんだ言葉は「因果応報」。心に浮かんだ感情はどす黒い喜びだった。
長年その人物を恨んで罰が当たることを密かに願っていたが、その願いが思いがけず叶ったからだ。それも私が自ら手を下すこともなく。
性格が悪い私は思わず心の中でガッツポーズしてしまった。ただ、その時点から私にとってその人物はどうでもいい存在になり、恨みも消えてしまったことも自覚した。
ようやく私の中でその問題に決着がついたようだ。
◇
その人物は、私の他にも複数の人から強い恨みを買っていたという。それが原因でその人物が窮地に陥ったことは間違いないらしい。(と親が言っていた)
誰かに悪い行いをすれば悪い形でそれが自分に返ってくるし、その逆も然り。それが因果応報の正しい意味だ。今回私はそれをリアルに実感してしまった。
私にとってはスカッとする結末になったが、その人物にとってはさぞかし辛い状況であろう。まあそれもまた自業自得といったところか。
◇
ただ、その人物は自分がそうなった原因がわかっていないようだとも聞いた。
その時私はさもありなんと納得した。
それがわかっていれば、普通の感覚なら多くの人から恨みを買うようなことはできないだろう。
それを平気でできてしまうところが恨みを買う原因となり、因果応報を地で行くような事態を招いてしまったのだろう。
◇
これまでの私は、因果応報などほとんど信じていなかった。
しかし、私を含む周囲の人から強い恨みを買っていた人物が非常に不幸になったと知ってからは「因果応報って本当にあるんだな」と思うようになった。
そうであれば、今後自分は人から強い恨みを買うようなことをしないように気をつけなければ。
また、因果応報のもう一つにつながる「良い行い=人から喜ばれる行い」を心がけようとも思った。
その心がけによって、私の人生がより明るいものになることを祈りつつ。
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