お金

仕事における自分の「価値」は他者が決める

「仕事における自分の『価値』は他者が決める」

それは、かつて新卒で就職した会社で、私がいやというほど叩き込まれた概念だ。その概念は今も私の心の真ん中にしっかりと根を張っている。そして仕事をする期間が長くなるほど、その言葉の重みが増している。

そんな、この仕事に対する私の考えを、備忘録として何回かに分けて書いていきたい。

----------------------------------------------------------

雇用市場におけるアラフィフの市場価値は低い。ずっと仕事をし続けてきた人でも、再就職市場ではその価値ががた落ちする。ましてや、私のように仕事を辞め、家庭に入っていた期間が10年以上と長い場合は、労働に見合った報酬がもらえる仕事などゼロに近いといっても差支えない。そんな厳然たる現実に直面した時期に、Webライターという仕事に出会った。

最初の1年間受注していた仕事は、そりゃあひどい単価だった。今の自分なら、地雷クライアントとして積極的にTwitterで紹介する程度にはひどかった。それでもお勤めの仕事と違い、「年齢だけで差別されることがない」という点が大きな魅力だった。

それに、ただ「人より文章を書くのが苦にならない」というだけのど素人が、通常の仕事なら必ずある研修もなしにいきなり現場に出るような状態だ。クライアントの立場で客観的に考えれば、それがどれほどリスクの高いことであるかぐらいは、その道の素人であった私にも容易に想像できた。

そんなわけで、私は単価のあまりの低さに辟易しつつ、「これは研修期間。わずかでもお金をいただきながら実践で『Webライティングのいろは』を学べると考えれば、高い教材代やセミナー料金を支払う起業セミナーよりも、はるかに有意義に違いない」と考えて仕事をしていた。

けれども、今年に入ってから、自分が登録しているランサーズの運営から、それまでの倍以上の単価の仕事の案内が複数届き、それをほぼすべて受けているうちに収入が増えた。その結果、今は約半月の稼働で、私が目標としていた扶養内パート収入程度の収入が得られるまでになった。

おそらく、この時点で私のこの世界における「価値」がある程度適正なレベルに上がったのだと思っている。

けれども、そんな悠長なことができたのは、子供が自立し、多少生活に余裕ができたからだ。(そういう意味で今の私がとても恵まれているのは否定しない)

もし、今すぐまとまったお金が必要なら、割の良くない内職としての位置づけが強そうな、Webライターの仕事は絶対に選ばなかった。従来通り、ただ一定時間働けば一定の時間給がもらえるパートの仕事を選んでいたと思う。本当にお金が欲しいなら、どんなに体がきつかろうが、明らかに割に合わない仕事だろうが、何でもやるしかないからだ。

それに、こうも思うのだ。「単価が高い、搾取されている」と思う案件にしか恵まれないのは、自分のライターとしての実力が、客観的に見てその程度だからではないか? と。

これは、1年間0.1~0.25円の仕事をしていたころ書いていた自分の記事を、改めて検品者の目線でチェック&リライトしてみた結果、「ああ、確かに当時の私の記事のクオリティは、今よりかなり低かった(さすがに0.1円は低すぎで、実際には0.5円ぐらいの価値はあったと思うけれど)」と感じたことで気づかされたことだ。

それはあまり直視したくはない事実だったが、逆に言えばそのことに気づけるようになったほど、自分は成長したのだろうと思う。もちろん、今もなお、自分の記事のクオリティがそれほど高いとは思えないが、当時に比べれば格段に良くなっていることだけはわかる。

そう考えると、1年間搾取された期間は全く無駄ではなかったと今は思えるのだ。

高い報酬には理由がある。それだけ高いクオリティの仕事が求められるのだ。そして高い報酬の仕事ほどクライアントが要求する、あるいは期待するレベルが高くなるのは当然のことだ。

ましてや、ほとんどのクライアントは法人で、企業ならではの、非情ともいえるコスト管理のもと、社員の給与や外部委託ワーカーの報酬の計算をしているということも忘れてはいけない。

自分が誰かの仕事に報酬を出す立場になって考えればたやすくわかることだが、適当に仕事して、クオリティそこそこでも高い報酬が欲しいというのは虫が良すぎる話だ。だからそれなりの仕事しかできないなら、それなりの報酬しか支払われないのは当たり前だ。

少なくとも企業内で社員が自分の査定に強く意義を唱えれば、「だったら黙って結果を出せ」といわれるのがオチだ。

修正箇所が多いということは、自分の書いた記事がクライアントの求める水準に達していないということでもある。私たちは、そんな自分のレベルの低さを棚に上げてクライアントを悪く言うだけでよいのだろうか? まずは自分が高い報酬に見合ったクオリティを提供できるように精進するのが先ではないか? と思うのだ。

そのうえで、客観的に見て明らかに自分の価値より低い仕事は、こちらから切ってしまう、あるいはそんな仕事を受注しないようにすればいいだけではないだろうか?

-------------------------------------------------------------

ここまで、思いのままに自分の言いたいことを言いたい放題書いたので、全くまとまらない文章になってしまった。

私も、なにもクライアントにこびているわけではない。屑のようなクライアントに辟易した期間が結構長かったので、そのようなクライアントは今すぐにでも淘汰されてほしいと強く願っている。

けれども、一国一城の主である個人事業主なら、労働者(下請け業者)ではなく経営者(クライアント)としての目線で、この仕事の報酬について考えるべきではないか? 

なぜクライアントがその報酬で仕事を発注しているのかという背景にまで思いを巡らせ、巷にあふれる搾取案件が一向になくならない理由までよく考えるべきだ。

でないとこんな魑魅魍魎あふれるフリーランスの世界で、たとえパート程度の報酬でもこの仕事を継続することは難しいと思っている。

-------------------------------------------------------------

次回は、検品の仕事を通して感じたことを書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?