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ニートの肩書きに逃げるのは、もうやめた。


こんにちは、ニートです。
…というご挨拶は今後しない。今回で終わり。


今回のnoteはひと言目から全否定。自分を見つめ、進むために文章を書いてみる。
私の日記兼ご報告。

とんでもなく弱い自分に気がついたから、見たくないから、書くことで強制的に前を向く。宣言してから進む。これが現役から続くいとうちうめ方式。私のやり方。

というわけで、社会人7ヶ月の私、ニートになります。
という宣言から1ヶ月もしないうちに

ニート辞めます宣言入ります。


まず最初に言っておく。
ニートは最高である。

時間がある。自分の時間を好きなだけ好きなように使える。社会にも会社にも誰にも縛られない。気楽。最高。
そして私は今、とても幸せだ。今ある幸せに感謝しかない。
月収200万円稼いでハワイ旅行に行かなくたって、軽井沢に別荘がなくたって、幸せなものは幸せだ。好きな人と鍋をつつくようなささやかな瞬間は、決して当たり前ではない。

だから、ニートの人を否定したいわけではない。それは前提として、私の中で忘れてはいない。


そんなニート生活の真っ只中、12/26クリスマスラブサラダに、アシスタントとして参加した。

ラブサラダ。私はこの空間が大好きだ。店主しのぶさんが創り出す愛の世界が好きすぎて、始め私は常連としてお客さんをしていた。去年の1月から5回くらい違う友達と一緒に行ったと思う。

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ただの常連が、気がついたらエプロンをしていた。気がついたら今、しのぶさんの隣で水を運んでいる。いつの間にか私はアシスタントスタッフになっていた。人生よくわからない。けれど間違いなくそのおかげで私は今、楽しい。


この日も私は、アシスタントとしてお店にいた。ラブサラダでは、仕事内容に”お客さんとお話をすること”が入ってくる。この日はサラダを食べているお客さんに「普段は何をされている方なんですか?」と聞かれた。

私は普通に答えた。「ニートしてます。」
これが結構ウケがいい。正直言って食いつきが良い。「え?ニートってなに?どういうこと?なんでそんな楽しそうなの?笑」と、今回もやっぱりワラワラと食いついてくれる。しめしめ。

そんな私に、お客さんが名刺を渡してくれた。
「あ!私も名刺あります!」とお渡ししようとすると、「ニートなのに名刺あるの!?」とまたもや場が盛り上がってくれる。しめしめ。
そうなんですよ〜ニートでも名刺あるんです〜。と言いながらヘラヘラと渡す。文章書いてるんで、ニートの文章読んでください。なんて自分から言ったりもする。

別に、何も問題はないはずだった。
それでただのニートで終わるならそれで良かったし、ちょっと文章を気に入ってくれるならそれはそれでラッキー、くらいだった。


でも、お客さんがお帰りになった後に、しのぶさんが私に言った。
「ちうが何もしていないただのニートだと、思われたくない。」
「ちうはそうやって簡単にバカにされていい人じゃない。」

口調は激しい。彼女がめったに見せない”怒”の色だった。その根本には、”哀”の色が濃く含まれていた。

焦った。悪いのは私をバカにしたお客さんではない。私をバカにしたのは、私だ。慌ててそれを伝える。
しのぶさんが人を想って湧き上がる感情は、大きく揺れる。悲しいからこそ現れた怒りの根源が、私自身だったことに、心が後ずさりしたのを覚えている。



帰り道。
今思うとなんでもないちょっとした出来事から、私はアシスタントに必要ないと拗ねて泣いていた。場所も選ばず電車の中で、涙と鼻水を垂れ流す。周りからはクリスマスの次の日にフラれた人に見えていたかもしれない。アシスタントの荷物で両手はパンパンだったから、恋人との家から飛び出した人に見えたかもしれない。

ひたすらにじっと心と向き合うと、思い上がっていた自分に気が付く。
私はこの日、しのぶさんと同じものを見つめ、同じくらいの熱量で取り組んでいた。一緒にこの空間を創っていく、アシスタントとして出来ることは全てやる気持ちでいた。
それはいい。それでも、この世界観を生み出し、創っているのは、しのぶさんだということは、忘れてはいけない事実なのだ。

支えること、添えること、一緒に創っていくこと。
輝いている人の陰に隠れて、そこに甘んじてしまうこと。

その差は紙一重。紙一重だけれど、「ニートです」と自分で自分が何者なのかを口に出せず、些細なことに拗ねている私は、この時後者だった。

今の私が必要がないと思っているのは、しのぶさんでなくて私だった。そんな自分を直視せず拗ねて泣く私は卑怯だなと思って、卑怯者の自分が悔しくてまた涙が出た。


ニートには責任がない。それはとても楽なことだし、人によってはそれが幸せになるだろう。だけれど、今、そのニートという言葉に逃げる自分のことが、自分は気に食わなかった。それだけ。


気に食わないと思っていることに気が付いたから、ここからどうなりたいのか、なぜそう思うのかを私に問いかけた。

今のままでも幸せだ。沢山のものを与えてもらって、幸せに過ごしている時間は有難く居心地がいい。

でも。今度は私が、大切な人たちを幸せにできる人になりたいのだと気が付く。
私は、自分の足で立ちたいのだ。今の自分よりも、もっともっと輝きたい。より多くの人に私の文章を読んでほしい。今よりもずっと多くのものを与えられる人になりたい。


あの時、珍しく怒ったしのぶさんを思い返す。
あ、私、ビビっているんだなと気がついた。自嘲に近い感情が湧き出て、なんだかおかしくなって口元が緩んだ。

こわかった。
伊藤千梅として、これから生きていくのが本当にこわい。そんな自分を見つめ、嘲笑う。
自分の力で勝負して、経済的にも自立していくことに、自信がない。私は私の文章が好きだから、否定されるのが怖い。あなたの文章は価値がないといわれるのが怖い。

ライターをしているけど仕事がないからニートをしているより、少し文章が得意なニートのままのほうが気が楽だ。少しでも相手のハードルを下げておく事で自分の心を守ろうとする見え見えの作戦。ダサい。そして、ダサいままでいいと思う自分はどこにも見当たらない。



自分の力で立ちたい事実に気がつくと、怖いという壁にぶつかる。
怖いことを見つめると、それは自分の力で立ちたいからだと思い知る。

だからもう私の中では、こわいを乗り越えて、覚悟を決めるしか道はない

…でも怖いものは、こわい。そこでよっしゃやったると切り替えられるほど今の私は強くない。


サラダから2日間。人知れず怖さと戦ってみた。
なぜ怖いのか、なににこんなビビっているのか。心の声を書き出しては整理してを繰り返していたら、ノートを何枚も使っていた。この時の話はそのうち気が向いたら書いてみる。

結局、向き合いすぎて疲弊していた時に「これから何してても失敗するとか大変なことには変わりないから、だったらやりたいことして大変なほうが良くない。なんとかなるから。」って言われて、その言葉がすんと入ってきた。

自分で煮詰まった先にもらった言葉は意外にもシンプルで、どこかで聞いたことあるようなことだけど、言葉をくれた人とタイミングによって、とらえ方が変わるようだ。今の私にはしっくりきた。


今私が覚悟を決めなくたって、また違った壁にぶつかって、きっと同じように悩むのだから。

挑戦したいのが私で、くそ真面目に物事と向き合うのも私で、自分の心を大切にしてしまうのも私だから。

私が自分の力、まずは文章の力で自分を形作りたいのだと知ってしまった以上、やるのみ。怖いの乗り越え方というよりも、向き合い方を見つけたから、覚悟は決まった


・・・


長々と文章を書いてみた。ここまで読んでくださった方は、一体何を読まされたのか。まあ。ようするにこれはただの決意表明だ。

最近、見つめ直したくないものをたくさん見つめ直している。書きたくないものをあえて泣きながら言葉にする。そうして少しずつ前に進む。ドМかもしれない。


これから私は、いとうちうめ。という1人の人間として生きていきたい。と考えている。経済的にも、精神的にも、自立をしたい。

ダサい自分も、卑怯な自分も、臆病な自分も。
しょうがないから受け入れてあげる。だから頑張んなさいな、私。

踏み出すために、ニートという言葉を使って、自分を保っていられるほどやっぱり私は強くない。


何をしているの?って聞かれたら
ライターなのか、著者なのか、肩書きは知らんけど。仕事で文章を綴っていますと答えよう。



ニートの肩書きに逃げるのは、もうやめたから。


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写真:福村香奈絵さん



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