外れて欲しい、社会変化の予想

 はじめに断っておくと、政治思想を主張したくてこの国の未来を憂いているわけではないです。でもまぁ、言葉にしたくてノートにしてます。

 この国らしさを維持していくのに、この国だけでは賄えなくなるのではないか

 国産第一次産業従事者の過半数が高齢者で、世代が下がるに連れて従事者も減少し逆ピラミッド型である。
 かつての農村では、とりあえずたくさん子供つくって、みんなで農業をしていた。それで誰もが十分な生活ができていたかはここでは考察しないが、少なくとも働き手が沢山いることが農業に限らずとも第一次産業の前提になるのだろう。現代では機械化や技術革新が進んでいるとは言え、それでも限度はある。  
 社会が若い世代(特に子供)を養う体力がなければ、当然出生率は下がるし、働くにしてもより稼げる仕事への需要が高まりますよ。そして、そういう仕事はどうしても都市部に多く見られるので、第一次産業が経済の中心となっている地方ではますます人が減少する。
 そうした地方に対して、人口が多い国から人を迎え入れることで住民数や、第一次産業従事者の後継者を賄うとしたら、確実に地方における余所から来た人の数は増えていく。寧ろ、余所者が集まらないと崩壊してしまう社会だってあるかもしれない。でもそれは、余所者が中心となりその社会が形成されることを目的とはしていないはずだ。
 一方で余所からわざわざ移住するとなると、相応の理由も必要となるわけで、少なくとも排他的な地域に好んで溶け込もうとする人は恐らく少ない。
 
・変化を拒み衰退していく様を指を咥えて眺めるか
・変化に従い余所者と自分らが共存できる状態を目指すか

 こんな2択を強いられていくことが、これから徐々に起こり得るのではないかと、社会変化の予想をしてみる。

 どちらにもそれぞれ価値観があって、一概に○☓で割り切れるものではない。しかし、国産の食料は第一次産業によって生産されるものであり、現状から改善されなければ、国産品は高くて消費者が買えず、消費者が買えないので生産者も利益が見込めず、クソみたいな循環が更に悪化していくことはもはや約束された明日である。

 答えが出せるわけでもないけど、なんとなく言葉にせずにはいられなかったです。

 おわり

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