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なぜここで働くのか。氷河期世代の文学部演劇専攻卒が、外資系ベンチャーキャピタルに転職しました

Plug and Playに入って、はや1年。個人的なことはあまり書かないようにしてきましたが、スタートアップへの転職を検討されている方や、全くの異業種に未経験で飛び込もうとしている方、年齢や性別の壁を感じている方、あるいは自分の望むような仕事が東京にしかないと悩んでいる地元志向の方のために、自分の転職経験を書いてみようと思います。

「以前は何をされていたんですか?」

入社以来、この質問をされるたびに冷や汗をかいていました。そしてそれが一番よく訊かれる質問(だって新入社員に他に聞くことなんてないですもんね)だったのも困りました。なぜと言って、私はキャリアに全然一貫性がない人間だったからです。

正社員での転職回数は3社目でしたが、派遣やアルバイト、フリーランスの仕事も入れると経験した職種は20以上。転職エージェントに「…いろいろやってますね」と苦笑いされる人生を送ってきました。しかも直近の数年はオーストラリアで旅をしながらライターをするという、半ばヒッピーみたいな生活を送っていたので、日本社会に適応できるかとても不安でした。ヒッピーからVCってなんだ。資本主義への立ち位置180度転換か。

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ちなみに職業への興味はホランドコード(RIASEC)で言うとArtisticが突き抜けていて、次に高いのがEnterprise、SocialとInvestigativeがまあ普通、Realisticが低めでCustomがごくわずか、という結果です。企画編集やコピーライティングが得意で、確定申告と車の運転が苦手。MBTIではテストするたびに毎回結果が変わるのですが、Intuitiveなのだけは変わらず。「今どういう状態か」よりも「今後どうなる可能性があるか」を常に考える、よく言えばVisionary、悪く言えば夢みがちな傾向のある人間です。(たまには現実を見よう)


文学、アート、カルチャーの右脳人間

そもそものバックグラウンドを少し。もともと文章を読み書きすることが好きで、大学では文学部で演劇映像を専攻しました。いわゆるガクチカは舞台観賞と旅行。東京中を歩き回り、青春18きっぷで北海道から九州まで旅し、東南アジアを1人で放浪するというようなことをやっていました。

演劇も文学も旅行も、「ここではないどこか」へジャンプする手段。「新しい価値観」に強く引き付けられる、典型的なドーパミンドリブンタイプです。
就職活動していたのは氷河期の最後。入りたかった出版社は新卒採用中止でした。新卒一括採用が基本だった時代の話です。

在学中からずっと「いつか海外に出たい」という夢があったので、卒業後は地元の神戸で貿易事務をしながら留学資金の貯金に励みました。26歳の時に退職してニューヨークへ留学。語学学校に通いながらNYUのSchool of Continuingでアートマネジメントを学び、ブロードウェイの舞台制作会社やNPOでインターンをして2年半を過ごしました。

帰国後はアート関連の仕事を探したものの、最低賃金(むしろそれ以下)のポジションしかない現実を前に、諦めて消費財の専門商社にバイヤー/商品企画として就職。海外展示会での買い付けや国内市場向けマーケティングの仕事はとても面白かったのですが、「これを一生続けたい」というほどの強い思いもなく、数年で転職を考えるようになりました。どうせ転職するのなら、1年間自分に好きなことだけをやる時間を与えよう。そう思って、オーストラリアにワーキングホリデーに出かけました。31歳になる直前にビザを申請し、32歳になる直前に渡航するという年齢制限の超ギリギリな入国。「ギリホリ」というスラングの良い例です。

ちなみにオーストラリアでは、アートフェスティバルでボランティアしたり、日系の新聞社で編集したり、フリーランスで翻訳やライティングの仕事をしたりしていました。ヨガやってアボカド食べてColdplayとAvicii聴きながら旅行してという、ミレニアル世代ど真ん中すぎて逆に恥ずかしいライフスタイルでしたが、そこで「興味あることを何でもやってみる」という姿勢を貫き通したことで、自分の強みや行きたい方向性が固まったと思います。

ワーキングホリデーが終わってからも、日本で派遣社員として働きつつ、南半球が夏になるとオーストラリアに遊びにいく、という大橋巨泉的な生活を2年くらいしていましたが、「さすがにそろそろ人生を真面目に考えないとやばい」という年齢に差し掛かり、腰を据えて就職活動を開始しました。ニュース翻訳やAIスピーカーの中の人、海外スタートアップの日本法人などを受けていましたが、なかなかバランスよくフィットするところがなく、焦っていました。


アルゴリズムを信じてみた

そんなある日、LinkedInにメッセージが届きました。リクルーター以外からメッセージが届くことは稀だったので興味本位で開いたところ、CMOから直接送信されていることがわかり、ちょっとびっくりしました。
「べんちゃー、きゃぴたる???」
それまで金融業界は考えたこともなかったので、驚きました。

「アクセラレーター」という業種が存在することを知ったのもこの時が初めて。スタートアップについて知っていたのはMeetupやAirBnBといった、メジャーなものくらいでした。
でも、「勤務地が関西で」「外資系で」「ライティングのスキルが伸ばせる」という条件を満たしているという点に興味を持ち、アプライすることに決めました。


最も重視したのはカルチャーフィット

正社員での転職は3社目。次に働く会社では絶対にカルチャーを重視しようと思っていました。むしろ、「この人たちと一緒に働きたい」と思えない会社では働いても長続きしないと信じていました。

面接に先立って考えたのは、「スタートアップのピッチを見慣れている人たちだから、面接もそのフォーマットに合わせた方がいいだろう」ということ。そのため、履歴書とは別に「Who is Chiyo?」という8枚の自己PRスライドを作りました。履歴書も「普通に作ったところでそこまでインパクトのある経歴じゃない」ことを逆手に取り、Wordで作るのはやめました(そもそも経歴は全てLinkedInに書いてあるし)。代わりにCanvaを使ってOne-pagerを作り、自分の経歴の中でアピールしたいポイントだけをハイライト。偶然にもCMOがCanvaアンバサダーだったことを面接で知り、盛り上がりました。

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「私を採用すべき理由」と「採用すべきでない理由」リスト

二次面接にあたり、採用ポジションがマーケティング・コミュニケーションズだったということもあり、「マーケティングの基本といったら『セールスポイント10個書き出す』だよね」と考え、「私を採用すべき10の理由」という資料を作ることにしました。
それを作っているうちに思いついたのが「私を採用すべきでない理由」リスト。こちらは自分が絶対に譲れないポイントを10個書き出し、相手の反応を見る、というもの。いささか勇気は要りましたが、そういうアイデアを面白いと思ってくれない(=価値観が合わない)会社には入らない方がお互いのためだと考えました。
ちなみに、面接時にそのリストを渡された上司はかなり苦笑していました。

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それでもどこを気に入ってもらえたのか、するすると入社が決まり2019年の10月に入社することに。

(*ちなみに、これを読んでいる方で「なるほど、Plug and Playに受かるにはこういうフォーマットを真似ればいいのか」と思った方は、Plug and Playには向いていないと思います。私の場合は「相手が何を求めているか」を推測し、自分の得意分野へ引きずり込み、ゲームのルールを自分に都合良く変えた結果たまたまうまく行ったというだけで、これが常に正解とは限りません。というか普通のレジュメで勝負できるような経歴の方は、それで勝負されたら良いと思います。)

自己効力感ゼロの半年間

海外で働いた経験はあったものの、スタートアップ業界は初めて。テクノロジーにはとんと縁のない経歴だったので、入社してからすぐはいつも自信がなく、常に劣等感との戦いでした。

日本国内の企業であれば、TOEIC955点持っているとたいていは「強み」として見てもらえますが、Plug and Play Japanでは全員がバイリンガル、ほとんどの人が帰国子女かインターナショナルスクール卒。海外MBA持っている人も多く、みんなロジカルシンキングができるしプレゼンとかめっちゃ上手。しかもハードワーキングなのにコミュニケーション能力が高く、ストレスフルな状況でも笑顔で対応してくれるいい人ばかり。そして若くて体力がある。

うぅ、まぶしい。37歳(入社時)つらい。20代後半の男性と同じ体力で仕事なんてできないよ!!体力ないと他人に対しても優しくできないよ!!基本右脳しか使ってないよ!!

けれどある時点から、「なんで自信を持てないのだろう?」と考え始めたのです。
確かに、誰もが知っているような有名企業で働いてきたわけではありません。けれど、働いていた時は仕事に真剣に向き合っていたし、自分なりに全力を尽くしてきました。肩書きをリスペクトするのはもちろん大事ですが、肩書きがない自分を卑下する必要はないと気付きました。どんな仕事だって尊いし、どんな人が成功するかわからないのがスタートアップの世界。肩書きだけにこだわる価値観は、自分と同じように肩書きのない人を見下す一種の階層意識につながると気付きました。

また、自分の年齢をコンプレックスに思うのもやめました。「若い=価値がある」「高齢=価値がない」という固定観念を持ち続けることは、自分だけが自信をなくすならまだしも、他人の本質を見誤る恐れにもつながると思ったのです。

世界で500人以上の従業員がいるグローバル企業ですが、大学で演劇を専攻していた人間は他にいないんじゃないかなと思います(でもドイツのオフィスには元バレーボール選手から転職した人がいるので、バックグラウンドの多様さという点では他にも変な人はいるのかも)。

「尊敬する人と一緒に働きたい」「ダイバーシティのある職場で働きたい」と思っていた過去の私。"Careful what you wish for"とはよく言ったもので、周りを見渡しても尊敬する人しかいない状況は非常にエキサイティングではあるものの、自分がダイバーシティ要員になったらめっちゃしんどい。

「ロジカルシンキングってどうやったら身に付くんですか!?」と先輩や上司に泣き付き、今まで触れたことのないようなビジネス書を貸してもらい、突貫工事で読みました。文芸書ばかりの本棚の中での違和感がすごかったです。

さらに難しいことに、配属された京都オフィスが担当しているテーマは『Hardtech & Health』。ものづくりとヘルスケア分野のスタートアップを支援するプログラムを行っているのですが、そのテクノロジーが最先端すぎて、最初は理解するのにかなり手こずりました。

新しいことを勉強するのは好きですし、それほど苦にはならない…ほうだと思っていたのですが、医学領域のディープテックなんてわからないよ!とイベントに参加して絶望しそうになったことも。それでもその素人目線が逆に良い、と言っていただくこともあるので、それはそれでよかったのか…な…。門前の小僧的に習わぬ経を読んでいる毎日です。

それでも、サポーティブな上司とフレンドリーな社長、できない自分を親切に助けてくれる心優しいチームメイトに恵まれて、なんとか日々生き延びています。(…たぶん)


スタートアップ15社ととことん向き合った6ヶ月

入社してすぐに始まったアクセラレータープログラム。「スタートアップを、テクノロジーを理解しなければ!」という使命感のもと、「プログラム採択スタートアップ全社インタビュー」という企画を自分で提案し、理解ある上司のもと、国内外のスタートアップ15社にインタビューを行いました。
この企画を通して様々な起業家の方々に1on1でお話をうかがえたことで、とても良いインスピレーションをもらいました。ヘルステックスタートアップの抱えている課題、そして「世界を良くしたい」「ひとを救いたい」と思っている多くの方々の熱い思いに触れて、「この人たちのテクノロジーの価値を世の中に伝えたい!」と強く思うようになりました。

そして迎えた初めてのEXPO(成果発表会)。新型コロナウイルス感染拡大の影響でやむなくオンラインでの開催となり、準備はすべてが手探り。さらに言うと、この準備期間は社内全員がWork from Home。チャットとビデオでしかコミュニケーションがとれない状況で、東京にいるチームメイトとの距離感がわからず苦しい日々が続きました。

それでも、多くの方のご協力のおかげでイベントは無事成功し、1270名の方に視聴していただきました。たとえオンラインとなっても、スタートアップの方々のためになる仕事ができた。もちろん反省点は山盛りでしたが、この経験を通して「自分にもやれることはある」と少しだけ自分を認められるようになったと思います。


フェムテックとの出会い

EXPOから息つく暇もなく、新しいアクセラレータープログラムが始まった夏。そこで「フェムテック」というジャンルがあることを知りました。「女性」に関連するテクノロジーを指す言葉です。フェムテックスタートアップをプロモートする企画のチームにアサインされた際、イベントのタイトル『フェムテック:女性xテクノロジー』に少し違和感を感じました。(「テクノロジー」はそもそもジェンダー関係ないものなのに、そこでわざわざ「女性」をつけると逆にジェンダーバイアスを助長するのでは?と思ったのです)

「そのタイトル、『Femtech & Beyond』に変えてみたらどうでしょうか?」

勇気を振り絞って提案してみたところ、すんなりとチームとクライアントに受け入れていただきました。

私がどうしても提案したいと思ったのは、過去に「Vagina Monologues」という戯曲を日英バイリンガルで上演した経験があったからです。舞台用の字幕を作るにあたって、フェミニズム関連の本を読み漁り、性差別を助長しないような日本語へと英日翻訳していた時の経験が役に立ちました。


言葉がどのようにオーディエンスに届くかを想像する能力。
抽象的なイメージから新しい言葉を生み出す能力。
言葉の意味を掘り下げ、新しいメッセージを付け足す能力。

今ある現状を疑い、新しい世界観を作り出す能力。

それらは文学を、そして演劇をやっていなかったら身につかなかった能力だと、振り返って思います。そしておそらく、私が女性で、出産・子育て世代で、演劇を通して社会問題やメッセージ性に関心があったからこそ気づけたポイントなのだろうと思います。ダイバーシティ大事!
1年を経て、ようやくほんの少しだけ、ミッションに貢献できたのかなと思っています。


自分の仕事をつくる旅はつづく

一見つながりのない、バラバラなキャリア。レジュメを見て「一貫性のない人」と見るか、「新しいことにチャレンジするのを恐れない人」と解釈するかはその人次第だと思います。

Plug and Playで働いていて、楽しいことも多いですが、思うように仕事ができなくて落ち込むことももちろんあります(割合でいうとまだ後者がだんぜん多い…)。でも、舞台で教えられたのは「ごちゃごちゃ言わずに芝居で(仕事で)返せ」という姿勢。そうは言っても「ごちゃごちゃ言う」のが仕事の一部なのでやっぱり言ってしまうのですが、とにかく、「自分に凹んでいる暇があったら記事の一つも訳したら?」というマインドセットは身につきました。そして、「完璧じゃなくてもとにかく提出する、そしてフィードバックを積極的にもらいながら改善していく」という姿勢も。

Plug and Playで働いていて何よりも良いなと思うのは、社風がフラットで実力主義、好きなことを提案してやらせてもらえるところ。逆に言えば、与えられた仕事だけを黙々とやりたい人には合わない。私には合っていると思います。

落ち込んだ時は、「なぜこの会社にいるんだっけ?」と問いかけるようにしています。
自分の人生の時間を、何に使いたいか。自分の持つ能力を最大化できる場所はどこか。

というわけで長くなりましたが、良い上司に当たれば氷河期世代でも十分働けるし、女性だからといって遠慮することもないですし、バックグラウンドが違うからこそ視点が違って良い場合もあるというストーリーでした。

日本の労働市場だけはまだまだ流動性が低く固定観念が強いかもしれませんが、グローバル視点で見れば世の中は実力主義だなと感じています。そして、こういう環境で働けていることを、とてもラッキーだと感じています。

若い方へキャリアチェンジのヒントにしてもらえればと思ってこのエントリを書きました。けれど、本当にメッセージを伝えたかったのは、私と同じ氷河期世代や、これから先の見通しがわからない中で就職活動をしなければならない世代の方々かもしれません。

年齢制限、性差別、経験の有無。就職活動では様々な壁にぶつかると思います。でも、それらをものともせずに乗り越えて、自分らしい、自分だけのキャリアを作るガッツのある方が、これからの日本には、特にスタートアップには、必要なのだと思っています。

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