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はじめての妊娠〜出産①


息子が産まれてから
あっという間に二か月が過ぎました。

今となって出産・分娩時を思い返すと
ただただ勉強不足だったということ。

出産・分娩に対しての知識がもう少しあれば
あんなに戸惑うことは無かったのかな

と思うことばかり。

でも初めてのことなんだから
経験しなきゃ分からないでしょ。

というのが本音で、全ては
なってみなきゃ分からないことばかりでした。

だからこそ、世のお母さんたちは経験者としてのチーム感で満ち溢れているのでしょう。

あの時間を知っているのは
当事者だけなのですから…



結論から言うと、

私の出産、分娩方法は

緊急帝王切開

陣痛?と思われるところから30時間経っても
子宮口は3センチ。


震える手でサインした緊急オペ承諾書の書類には

軟産道強靭


と書かれておりました。


以下、少し長くなりますが
お付き合いいただけたら幸いです。



【妊娠前の私の身体事情】

身長152cm。ダンス歴約30年。
I字バランスはもちろん、
開脚180度は痛くも痒くもなく、
自分の柔軟性だけは信用していました。

オーバーストレッチ気味の
扱いやすいような扱いにくいようなそんな身体です。

柔らかいということに間違いはなかったので

妊娠が分かった当初から

きっとすぐ産まれるね!
安産だね!
踊りながら産まれてくるかも?

そんな言葉をかけていただいて

そうかも〜(*´ω`*)
とお気楽な妊婦生活序盤でした。

母も祖母も安産だし、自分もそうだろう!と。

妊娠中は多少の貧血はあったものの、
つわりも乗り越えられる程度。
体重は15kg増えてしまいましたが
妊婦健診では母子ともに健康◎

妊娠4ヶ月で産前最後の舞台を終え、
妊娠8ヶ月までミュージカルの教えを週2回。

妊娠中のお仕事は
不安と出来るはず!
が半分ずつくらい。

今思えば、もう少し休んでも良かったのかもしれないな。と思いながらも、
長い妊娠生活、出来るだけのことはしたい。
その思いでお仕事をさせてもらえたことに
心から感謝しています。

お仕事を終えて里帰り。
実家で暇を持て余した私は、
歌い、庭で踊り、フルートを吹いて貧血になりかけながらも、問題なく臨月を迎えました。

コロナ禍の里帰り出産
立ち合いなし。面会なし。
コロナ陽性が出たら帝王切開になります。

そう書類を渡された時は
ちょっと恐ろしくて、
家族に当たってしまいました。

次のPCR検査で陽性が出たら
帝王切開になっちゃうんだからね


と、そんなことを言っていた自分。
今となってはあの時。
経膣分娩があんなに大変なものとは知らなかったのです。。。


出産予定日1週間前からソワソワソワソワ。
怖くて怖くて、泣いていました。

この骨盤をどうやって赤ちゃんは通ってくるんだ?
股関節が脱臼でもしなきゃ
産まれてこれないんじゃないか。
歩けなくなる気がする。


そんな不安で押しつぶされそうになっていました。

でも、きっと自分は安産だ。
すぐに出てきてくれる。

と自分に言い聞かせ、
その時をひたすらに待っていたのでした。



つづく。


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